唇に続く全ての嘘の為に | ナノ

いつものように家に帰ると、大きな箱がふたつ、玄関に並んでいた。そこには、へたくそに折りたたまれた私のプリーツスカートや、何かの拍子に絡まったネックレス、空気が逃げてぺしゃんこになってしまった枕や何かが、所狭しとぎゅうぎゅうに詰め込まれて蓋がしまらないでいる。恐らくこの二つ分の大きな箱にこの部屋で生活していた私の全てが凝縮されてしまったんだろう。

「銀時、帰ったわよ」
「おー、おけーり」

なんでなんだろう。玄関があって、そのまままっすぐ進めば居間があるんだけど、距離は全然無いはずなんだけど、ゆるゆる微笑って手を振る銀時が遠い。この荷物はなんなの?だとか、悪い冗談はいいかげんにしなさいよ、だとか、言ってやりたいことは山ほどあるのにどれも喉を通る途中ですっかりはじけて言葉になってくれそうにない。代わりにはじけた言葉がじりじり喉を焼き払って痛みを生んだ。明らかに、あからさまに、この光景は異常だ。今日という日は何もこんなに変わった事が起こりうるような特別な日では無い気がするんだけど、どうだろう。こんなのはまるで、まるで。

「ねえ、何?これ」

それでもようやっと絞り出した声は少しかすれて、情けないものになった。足を踏み入れた居間は、どこかすっきりして見えた。目の前でソファに座る銀時の表情は、もっとずっとすっきりして見える。おかしいなぁ、この男、こんな穏やかに笑ってる時は、決まって何かがあるときだ。茶化してはいけないような、深刻な何かが。まだ一緒に暮らす前、銀時が飼っていた猫が死んだ。その時も、奴はゆるゆる微笑んで泣きもせずに倒れる猫をじっと見ていた。その姿がとても哀しくて、私は柄にもなく泣いた。いつまでたっても泣かない銀時の代わりに。

「あー、気づいた?…って、普通気づくよなァ。わざとなんだから当たり前ェか」
「こんな玄関開けてド真ん中に置かれてりゃ誰だって気づくわよ」
「だよなァ」
「…じゃなくて、何これ、って聞いてんの」
「おう、それな」

よっこいしょ、なんてわざわざ言いながら腰を上げた銀時は私の目の前に立って、浅く息を吐く。逆光のせいで表情は曖昧だ。茫然と立ち尽くす私の肩にそっと手を置いて、今度は浅く息を吸い込んだ。

「悪ィ、出てってくんね?」
「…は?」
「だから、終りにしてくんねェかって、言ってんの」
「何言ってんのあんた」
「…頼むから」
「銀時」
「なぁ、頼む」

頼むよ。何度もそればかり繰り返す銀時の声は笑っちゃう程シリアスで切羽詰っていて、納得できないとかそんなものすっとばして、私は「うん、わかった」、それしか言葉が出てこなくて。我ながら、アホだと思った。やっぱり言ってやりたい事は山ほどあったのに、今度こそ絞り出せもせずにそれらは喉の途中で死んでしまった。なんだか思い出や希望に比例しないまま呆気なく終わってしまった私と銀時の生活は、結局どこからどこまで意味のあるものだったんだろう。私にはよく、わからない。それどころか、銀時がもういない生活そのものを想像することすら出来ない。それほどまでにあっという間に。泣く暇も与えて貰えないぐらいに。
今思えば、銀時の指先を包んであげなきゃならなかった一番のタイミングは、何が何でもこの一瞬の内だったような気がして。それだけでこの淋しい男はほんの僅かでも救われたんじゃないだろうか。気づけなかったのは、私が何も知らなかったからだ。今ならこんなにわかるのに。


ともかく、私は銀時のまとめた段ボールを抱えて引き払わないで置いておいた自分のアパートに戻った。やるせないけど、良かった。でなきゃこの街に私の帰る場所は無くなってたから。でももし、さっさと引き払ってたなら、ぶっきらぼうに優しい銀時は別れようなんて言わなかったのかもしれない。悲しい後悔と期待に気はまた沈む。今さらそんなこと思っても、もう。
ずっと帰ってきてなかったから埃があちこちにたかっていて空気が良くない。窓を開けると冷たい冬の冷気がわっと部屋に吹き流れて肌を冷やした。ぎゅうぎゅうの段ボールを部屋の隅に適当に置いてしぼんだベッドに横たわる。今日は掃除なんかする元気は無い。空気の入れ替えをするには随分厳しい冬の風の匂いを嗅ぎながら瞼を閉じる。でも、何にも見えない。やっぱり涙も出ない。せめて銀時、あんたの顔くらい漫画みたいに瞼の裏に映ったらいいのに。 どうしてもうどこにも見えないの。あんたのアパートとこの部屋はそんなに離れちゃいないっていうのに。私の身体だって心だって頭だって、あんたの部屋に半分は残したままでいるつもりなのに。どうしてこんな一瞬で離れてしまうんだろう。それよりも、どうして私からいなくなるのよ。一緒に暮らした時間を無かったことにしちゃえるのよ。私これでもいい歳なんだから。あんただってそうでしょ。どうして離れていけちゃえるのよ。売れ残ったら、誰に貰ってもらえばいいの、馬鹿。

「馬鹿…ああもう、ほんっとに馬鹿よあの男」

ぼすん!壁に叩きつけられた枕が悲鳴をあげた。虚しくて虚しくて、今度は自分の心臓が悲鳴をあげた。どうすればいいのかわからなくて、私は今夜眠れぬ夜を過ごす。明日が恐ろしいだなんて事を思うのは思春期以来かもしれない。目が覚めても何も変わっちゃいないんだわ。きっと夢なんかじゃないもの。

























いくら気分が沈んで仕方なくても、日々は勝手に進んでいく。あれからすぐに一週間が経ってしまった。ほんの少しの冷静を引っ張り出して、なんとか追いつこうと仕事も自炊も掃除もこなすのに、心だけはいつも置いてけぼりのままな感じがしている。身体の動きに気持ちは全くついていけずにぎこちない。頭にちらつくのは懇願する銀時の目だった。何十回とため息をついて、別れの原因を探っても堂々巡りなまま一日は簡単に過ぎていく。問い詰めることをしなかったのはなんでなんだろう。どんな手をつかっても、そうよ、襟元ひっつかんで無理やりにでもなんで、どうしてって言えば良かったのよ。
仕事が終わってくたびれた身体をそのまま家路に着かせるのがもったいなくって、ふらふらたどり着いたのはいつも良く行っていた居酒屋だった。冷たいビールをぐびぐび喉を鳴らしながら飲み干すと、アルコールの炭酸の粒があちこちではじけた。

「ぷは」

人で溢れて騒がしい店内。カウンターにひとりで座る女は私だけ。ずっと昔に戻ったみたいだ。銀時と付き合いだす前は、いつもここにひとりだった。いつの間にか二人並んでこの席に座るのが当たり前になっていたんだっけ。ああでもない、こうでもない、ろくでもない、なんて言い合いながら酒好きなふたりは夜の終りまで飲んだ。私の愚痴でも、どんなくだらない話も、軽くあしらってくれたり時にはマジになって聞いてくれたりしたんだよなぁ。逆もまた、しかりか。ぽっかり空いた隣の席に残像が見える。気持ちよさそうにビールを煽る銀時の姿だ。こっちを見て、下品に笑ってる。身ぶり手振りが多いこと。そんでもっていよいよ酒がまわり始めたら今度は声がでかくてうるさい。あー?お前も人のこと言えねェだろうが。なんてしょっちゅう言われていた。反論するけど、本当にその通りだった。私たちって変に似ていた。

「…マスターぁ、忙しいとこごめん、おかわり頂戴」

お前、酔いつぶれたっておぶると思うんじゃねェぞー。うるっさいなぁ。何よ今度は幻聴?悪趣味な奴。まだ二杯目だっつーの、酔わないわこんなんじゃ。
…もうだめ。思い出してしまう。それを振り払うみたいにもう一杯、もう一杯もう一杯もう一杯。やだ、なんのなのよホントに。全然こんなんじゃ、酔えないわよ。あちこちで歓声や笑い声。私をみんなひとりにする。背中をなでてくれる人もいない。次のお酒を頼んでくれる人もいない。一緒に笑ってくれる人がいない。手を握ってくれる人も、私と喧嘩をしてくれる人も。きっと帰ったって、ただいまも聞こえない。休日はどんな風に過ごせばいい?新しくできた喫茶店に行く人も、いきつけのファミレスでデザートの新メニューを食べてくれる人も、漫画を一日中隣同士で読んでくれる人も。いない。いないの。銀時が、いないの。
ああこんなんなら!こんなんなら!……苦手な料理も少しは上達しとけば良かった。もっと二人で出掛けておけばよかった。あとほら、なんだっけ?プリクラ?いい歳こいても撮ってみたら良かった?ううん、それ以前に、よく考えてみたらあれだけ一緒にいて写真の一枚も私たちには、無い。現状に満足をせず、あぐらをかかず、もっとお互いがお互いを幸せにしたいと願いあえる恋愛をしあえていたら良かったんだ。原因がわからないんだから、だったら尚更。ひたすらに頑張っていればよかったんだ。(けど、そうは思うのに具体的にどうやって??)

「悔しい」

最後まで何もわからなかったから。銀時があんな顔をするほど、なのにひとつも理由を教えてくれなかったほど、私の存在がちっぽけなものだったんだと思い知らされたから。
銀時が何を思って考えて私からいなくなっちゃったのかを私はもう一度よく辿らなくてはと思うの。でなきゃ一生死んでしまうその時まで悔しいまま、後悔したままになっちゃいそうなんだもの。そんなの駄目だと思う。だって私こんなに銀時を知らない。知ってることは沢山あるのにいつだって肝心なところは見過ごしてばかり。それじゃあ私、大げさだけど死んだって死にきれないわよ。私もひとりになったなら、銀時だってひとり。今頃どうしているんだろう。あの男がしおらしく私に頼みごとをするなんて、出来すぎてる。バカ、あのバカ。絶対に何かあるに決まってるじゃないの。何より、私にはやっぱりあのバカしかいない。

「マスター、お会計お願い!」

鞄もコートもがさつに持って、疲労困憊の足首に力を入れた。目指すのは駅。乗り慣れた電車に飛び込め。寿司詰めの車両に悪態をつきながら、息を押し殺してふたりが過ごしたアパートまで。行く道行く道に銀時の姿が浮かんでは消えて、濃紺の夜空が呑みこんでしまう。ふざけないでよ、奪っていかないで。消してしまわないで。本当ならこんな幻なんかじゃなくてありのまま、そのままの銀時が欲しい。ちょっと、覚えてるの?私まで忘れかけてたわ。あの居酒屋で、私がひとりで飲んでた席、その隣。あんたがどかっと無遠慮に座った瞬間からそのアホみたいな銀髪がおっかしくておかしくて、それから何度だってすぐ見つけられるようになったんだから。酔った勢いで意気投合、したじゃん。馬は絶対に合ってたじゃない。キスもセックスも楽しくておかしくて、私幸せだって柄にもなく思ったんだよ、あんたもそうだったんでしょ?知ってるんだから!アパートまでもう少し。鍵の隠し場所は知ってる、なんか変な置物の下。いっつも捨てて欲しかった!だからちゃんと、部屋にいて。そうでなくても、帰ってきて。私は帰るわよ。あんたが嫌だって言おうがまた頼むって言おうが、居座ってやる。まずはちゃんと話をしよう。

「銀時!」

思いきりドアを開け放った。

「あ…れ?」

リビングは真っ暗で、物音は家電の電気音だけ。開け放たれたドアから冷たい風がびゅうびゅう唸りながら、家主のいない部屋を荒らした。いるかいないか、どちらかだろうと思っていたけどいないのはいないので拍子抜けだった。おとなしくドアを閉めて、冷えたフローリングを踏みしめる。微妙に散かっている。これって不法侵入になるのかな、なんてくだらないことを考えた。ほんの少ししか時間は経ってないのに、懐かしい、嗅ぎなれた匂いがして心地よかった。ばさばさコートを脱いで、ひとまずソファに座る。私の体重を自然に受け止めてくれるこのソファは確か、一緒に住み始めた時に土方君から無理やり譲ってもらった中々お高い品のいいソファだ。この部屋には少し場違いなんだけど、それがまたいい。ごろんと横になると、すぐに寝てしまいそうになった。気持ちいい。懐かしい。落ちつく。身体を倒したおかげで目線は一気に目の前のテーブルと変わらない高さまで来た。閉め忘れられているカーテンのおかげで外は丸見え。月が出ていて、光が入る。
しばらくだらりと横になって、静かに息をする。銀時が帰ってきたら、まずは何から話をしよう。訳を聞いて、私の気持ちを言って、それから。わかってくれるだろうか。ちゃんと話を聞いてくれるだろうか。あいつ、そんなに真面目な話、したがらないからなぁ。でも今回は流石に応じるだろう。「頼む」だなんて、そんなことジャンプの発売日くらいにしか言わなかったじゃない…。少し喉が渇いた。視線をやると、キッチンにはかろうじて電気ケトルの電源がついている。いじってなければインスタントコーヒーはすぐ横の棚の中。洗いもので溢れ返ってる流しの中からカップを探して適当に洗った。湯を注いだだけのインスタントはアメリカン。ケチ臭い銀時がいつも薄めろ薄めろとうるさかったものだからすっかり癖になってそう作ってしまう。啜ると広がる親しみ深い味。朝と眠る前はいつもこのコーヒーだった。部屋のどこそこに思い出が詰まっている。例えば今立ってるキッチン。銀時がたまに作ってくれたケーキの、スポンジが焼ける匂い。面倒臭がって中々作ってくれなかったんだよね。恐る恐る足を踏み出せばこのリビング。ほんっとに汚い。あ、また漫画積み上げてる。寝室は?あ、やっぱり万年床。私もそうだったんだけど。眠れない日はなんでだか真冬なのに怪談噺をしてやった。銀時の奴、ありえないぐらいビビってんの。それから出窓。私の持ってきたポトス。珍しいな、水あげてんのね。って言っても一週間しか経っていないんだ。変わらないのは当たり前か。ぐるりと部屋を一周すれば、とめどなく降り積もる私の大切な銀時との時間。それを思ってもっともっと足りないと感じてしまった。まだまだ。あんたとここで過ごしたい。
ぼんやり空気を堪能しながら視線を動かしていると、視界に違和感を感じた。片づけられていないテーブルの上にばさっと乗っかっている小さな白い袋の山。周辺にちらかるアルミを丸めたようなゴミ。

「何これ」

手に取ると中身ががさがさ揺れた。表紙に袋から出てしまって、今度は中身がフローリングに散ばる。とても見慣れた雰囲気の、それ。でも、全然この部屋には似つかわしくない、それ。

「え…」

息を呑んだ。ちょっと待って、これって。いきなりフラッシュバックしたのはそうだ。あの、猫のこと。妙に仲が良かった二人。銀時の膝の上で眠るのが当たり前だったあの猫。なのに最期の日、消えはしなかったけれどかたくなに銀時の膝で寝るのを嫌がっていた。二人して首をかしげたよね、どうしてなんだろう、って。その翌日、猫は。突然ゾッとして身震いしてしまう。落として散らばせてしまったそれらを慌ててまとめて握りしめた。不安、なんて言葉じゃ全然足らないような悪寒が走ってしょうがない。軽いパニックに近かった。ぐるぐる辺りを見渡して、本と本の隙間に半分埋もれているノートパソコンをやっと見つけた。僅かな距離も我慢できずに走っていく。がばっと開かれてスイッチを押すと、画面はパッと明るくなった。指先だけじゃない。全身が震えていた。ままならない指先がキーボードを打つ。しきりに頭に浮かぶのは、この世で一番恐ろしいこと。ばくばくと轟音を身体中に響かせる心臓を押さえつけて、どうにか開かれたページを読み取る。大きなサイレンが鳴ってる。螺旋みたいに捻じれる恐怖の狭間で、あの猫が「みゃあ」と鳴いた気がした。嘘、嘘、どうか。

「………」

そのどうかが、どうしてに変わったまさにその時、ガチャン、金属音が鳴って、とうとう私は我に返る。振り向くと待ち焦がれてやまなかった最愛の人が驚いた顔で何も言わずにこっちを見ていた。私の頬に水が伝う。私だって驚いている。やっと会えた幻でもなんでもないありのままの銀時なのにそうであってほしくないだなんて。どれだけ時間が経っただろう。二人視線だけを突き合わせて、まだ何もしゃべっちゃいない。ほんの数分なのに、とてもとても長い時間に感じられた。もう一度、手の中に納まるそれをぎゅっと握る。真っ暗な部屋に、月の明かりとノートパソコンが放つ機械的な光。すべり落ちる涙が熱い。口を開けて突っ立っている銀時に向けて、声にならない声をどうにかひねり出して、ようやく私は投げかけた。しっかりと、確かめるように。聞きたいのは否定の言葉ただそれだけ。それしかきっと、私の耳は受け付けてくれないと思う。

「銀時、あんた、死ぬの…?」

とぎれとぎれに、しかも震えが止まらないそんな私の声音を耳にした銀時は驚いてそのままだった表情をことさらゆっくりと、やわらげて微笑んだ。
苦しそうに、でもどこかどこか愛おしそうに、切なげな笑顔。怖いぐらい穏やかな、笑顔。見たことがある。あの猫がいなくなった日。あの時と一緒だ。代わりに私が、泣いている。天井も床も崩れ落ちそう。

「死ぬの…?」
























次にハッとした時、目の前すぐに銀時の顔があった。あのまま涙を流すだけでそこを一歩も動かなかった私を見兼ねた銀時が、わざわざ距離を詰めてここまで来てくれたらしい。珍しく私の後髪なんかを撫でている。私の思考は止まったままだ。銀時が否定も何もしてくれない。それどころか、ただ笑ってるだなんて、もうそんなのいくら問うたとしても答えは同じなんじゃない。

「一か月前によォ、俺、歯医者っつって出た日あったろ。あんときホントは歯医者じゃなくて普通に医者にかかってきてたんだよ」

あまり聞きたい話じゃない。それなのに、銀時の目をどうしても逸らせない。

「知るまで俺、まさか自分が病死なんて絶対しねェと思ってたわ。ガンなんだと。言われた時は流石に驚いて医者に言っちまったよったく、エイプリルフールは今日じゃねェんですけどォーってな感じに。糖分取りすぎて糖尿になんならまだしもよ、ガンって何だよって思うよなぁ。我ながら引くわ」

今度はわざと大げさに笑う。ふざけたように変な顔までして。それから、うなだれた。また静寂が訪れる。下を向いた銀時が小さな声でゆっくりと再び喋り出した時には私の涙が雨みたいに床にだらだらと降り注いでいた。

「始めの一週間はなんかあんま実感なくて全然信じらんねェって思ってた。それ、薬な。それはこそこそ飲んでみたりはしたけども。で、次の一週間もその次もなんとなく夢みてェな気しててまだぼんやりしてたんだけどよ。お前に出てけっつった日、また医者にかかってて…なんかいきなりあとどんぐらいこっちで息吸ったり吐いたりできるとかヘビーな話題になってだな、それがどうやら、あー、何?あと半年?とからしくて…」
「………」
「半年で死ぬ男とお前つきあってらんねーだろ」
「銀時」
「え、なに」
「馬鹿」
「…わり」
「銀時」
「次はなんなの」
「ほんっと馬鹿」
「だから悪いっつってんだろーがよ」
「銀時」
「はいはい!さっきから何ですかオメーはよ!!」
「結婚しよ」
「悪かったね馬鹿で!!!!って、なんだと?!」
「結婚しよ。まだ半年もあるんでしょ?だったらすぐ籍入れて、速攻で式もあげよう。準備なんて迅速の迅速を極めれば一か月で多分どうにかできる。そのかわりあんたは死んじゃうんだから準備に口挟まないでよ。明日指輪、買いに行こう。あと、子供もつくろ。あんたを立派な親父にしてあげる。家族をつくろう、あんたは子供に会えない計算になっちゃうけど、地獄でも天国でもどっちだっていいから私と子供を守ってて」
「おま、何言っちゃってんの???」
「まだ半年ある。大丈夫、全部できるから」
「…あのな、現実逃避は大概にしなさい。そういうのは俺だけでいいっつーの」
「違うわよ!本当に!マジで話してんの!!」

涙も吹かず、立ち上がって銀時の襟元を掴んだ。すっかり呆気にとられている銀時に構わずに、大声を張り上げる。

「だってあんた、私を嫌いになったわけじゃないんでしょ?まだ好きなんでしょ?私だって、あんたのこと好きよ!大好きよ!愛してんのよ!お互いそうなのに結婚しちゃいけない決まりなんか無いんだから!何回だって言うわ、まだ半年もある!あんた半年も生きれるのに一人でなんか死のうとしてんじゃないわよ、バカにしてんじゃないわよ!私にはそれが半年じゃなくたって、その半分だって、むしろあんたが例え3日で死にますって言ったって、それでも今ここで別れなきゃなんないならそっちの方がずっとマシよ!銀時との生活が何よりも大切なの!はっきり言う!私あんたの為ならなんだってあげる!大げさだろうがなんだろうが、あんたがいなくちゃ私だって死ぬわよ!ねえ、私と銀時は、こうやってまだ話もできる。触ることもできる。キスもセックスも喧嘩もなんでも出来るなら、結婚も子供も全部出来る。あんたみたいに馬鹿で、優しい人間を、誰が一人なんかにさせるのよ、あんたが死んじゃうその日に、私今よりもっと大きな声で泣いて叫んで愛してる淋しいって言ってやるわ!!」

顔が泣いて泣いて、ぐちゃぐちゃ。威勢良く掴みあげたはずの胸元を握る手は震えだしてかっこもつかない。でも嘘はどこにもない。全部事実なんだから。たった、たったそれだけの理由でなんか捨てられてあげない。

「…わかった、わぁったから、手、離せ。病人なんだから」

ゆっくり離された手を、同じ動作で銀時の大きな手が包み込む。穏やかな銀時の声が耳にふわりと届いた。子供をあやすみたいに私の肩を支えて、床におろしてくれる。そのしっかりとした暖かい腕からは、この人が本当に死んじゃうだなんて微塵も感じられない。だから私はもっともっと悲しい、切ない。
支えられていた肩が抱き留められる。興奮してまだ落ちつかない私の背中をぽんぽん叩きながら、力をだんだんこめてくれた。銀時の匂いがする。ぴったりくつけた身体と身体。この身体の片方が、半年経てば灰になってしまう。もう声も聞こえなくなってしまう。私を、私のまま、私だけの力加減でこうして心地よく抱きしめてくれる腕が、肩が、手のひらが、灰になって崩れてしまう。こんなにも悲痛なことはこの世界のどこを探しても、無い。

「俺がこんなこと言うのは言っとっけど貴重だぞ」
「…な、によ」
「お前が言うことは全部正しい」

ありがとう、本当に悪い、私の泣いた顔も、怒った顔も、笑った顔も、全部自分だけが今まで独占できたことを、何よりの幸せだと思って仕方ない。
私が隣にいて、良かった。本当に良かった。それ以上の言葉が、わからない。それぐらい、良かった。

そんなことを話す銀時の、気づくかそうでないかの息遣いを肌で感じていた。あの銀時が頼りなく小さく震えている。私の流す涙が銀時の肩を濡らすから、だからきっと寒いんだろう。そういうことにしてあげよう。
ねえ、銀時。私、本気だよ。本当に思ってるよ。明日も明後日も、この部屋で二人で夜を待って、朝を歓迎しよう。窓の向こうの月が綺麗だねって早く二人で感動しよう。

「胸のあいたドレスにしろよ」

ようやく離されてしまった身体が寒い。銀時が微笑んでいる。目にはうっすら、透明の膜が張っていた。どうりで、私の右肩は冷たい訳だ。

「…うん、いいよ」

でも、本当は知っている。胸のあいたドレスにしろ、なんて言う癖に。この人は、きっとそれを着せてはくれない。私がいくら叫んでも、縋りついても、こうして宥められてぎりぎりで諭されてしまう。私の願いにつきあってくれるその素振りの向こう側に、銀時だけしか味わえない恐怖と絶望がちらちら見え隠れしているのを、私は知っている。なんて優しくて、厳しい人なんだろう。私の薬指は、半年後もがらんどうなんだろう。けどそれこそが、この人が私に向ける最期の愛情なのだ。わかっているから、私も同じように返事をした。私には結局、この人を最期まできちんと抱きしめ、包んであげられない。その微笑みが何もかもを語っている。
月が銀時を吸い込んでしまいそうなほど明るい。
笑ってくれていい。銀時のつくこの優しく厳しい嘘が、まさに愛だと、そう願って願って願ってやまない。
あーあ、わからない、わからないと嘆いていたのに。なにもこんな時にわからなくたってよかったのかもしれない。

「うわー、俺、ホンっト死にたかねェんですけど」

とうとう銀時が私の見てる前で泣いた。
こんなに暖かい涙を流せるのに、半年、たったそれだけで何にも無くなっちゃう銀時をやっぱり私は信られない。心底そう思って、私もまたわんわん泣いた。



唇に続く全ての嘘の為に









20110128 一周年/シュロたん
お題/浮世座