kisses and cake | ナノ


穏やかな朝日が悪戯に窓から入り込んできて、まだ眠る皮膚を擽っている。温まる頬に光の気配を感じながら、今日という日、一生に一度の朝を、気持ちよく迎え入れる。眠りから覚めないうちにこんなに穏やかな気分に浸れるのは珍しい。だからこそ尚、俺はこうして朝と戯れている。

もう起きたら?みんなが待ってる。 おいおい、急がなくたっていいだろ、まだまだ時間は沢山あるんだ。 なんて会話を瞼の裏で心地よく。相手はお日様だ。随分とメルヘンなことをしている自分がおかしくて、とうとうふわりと笑みが零れてしまった。観念して、ようやくゆっくり重い瞼を開く。幸福な微睡が名残惜しくてついついもったいつけてしまう。もう少し、もう少しだけ…。

ぼやけながら現実世界のおでましだ。朝日で透明に光るいつもと変わらない船室の風景が少し懐かしい。次第にはっきりと開けていく視界に淋しさと安堵の吐息を。明るい窓の外を見やると清々しい晴れ空が。カモメがキイと啼いて、低い位置から太陽に向かっていく。白く壮大な雲を切るように、碧い空と海を分けてさらにもっと奥へ奥へ。俺は目を細めて人肌に温いシーツのすきまからただじっと眺めた。あのカモメは、グランドラインを越えたその先に辿り着けるであろうか。目的地もまた、こんなにも美しく晴れ渡っているだろうか。どうかそうあれ。そんな祈りを贈りながら。

身体を真横にねじると、身を小さく縮めた柔らかいラインがそこにある。顔は真っ白の海に溺れてしまって見ることはできないが、僅かに散らばる髪の毛がその人物が確かにここにいることを物語っている。当たり前にそこにある風景に俺は微笑んでその隙間に手櫛をいれた。陽をしたためた長い糸はまるでここまで呼吸をしているみたいに暖かい。上下に波打つ息遣いに尊さを噛みしめた。

さて。すっかり目が冴えてしまった俺は退屈だ。そろそろなんでも眺めるだけは飽きてきたところ。気持ちよく眠っているのを邪魔してしまうのは野暮かもしれないが、この空間には生憎俺と彼女の二人きりな訳で、であるなら、もう付き合ってくれても良さそうな頃だ。眠る姿も大変魅力的だが、そろそろ話そう。起きて目を見て触れ合って、今度は二人でこの素晴らしい朝を満喫しようじゃないか。



「ごめんな」



シーツをひっそりめくり、姿を現した形のいい耳に唇を寄せて小さく囁くと、眉間に皺を寄せながら二、三度唸る声が聞こえる。面白くてつい声を出して笑ってしまった。それでも起きないのは想定内。続いて、前髪をかきあげた先にある白い額に優しいキスを。それから少々小ぶりな鼻の先にも同じくキスを。ひとつ、ふたつ、みっつめはぴたりと閉じられた瞼の丘に。睫毛が当たってこそばゆい。



「う…ん」

「おはよう、起きたか?」

「…まだ。…ちっとも」

「ウソつけ」



悪ふざけで目が覚めないふりを続ける彼女の額に今度はキスではなく少し強めの小突きをお見舞いしてやると、くすくす笑いながら今度こそ瞼に隠れていた丸い瞳を披露してくれた。まだうっすらとぼやける瞳は数回瞬きを繰り返せばすっかり光を取り戻す。気を取り直してもう一度朝の挨拶を交わし、片腕を折り曲げ頭を支える。自然ともう片方は彼女の腹部にあてられた。シーツ越しなのが恨めしい。



「…いい朝」

「そうだなァ」

「どうりで夢見が良い訳だわ」

「へえ、そんなにいい夢なら俺も見たかったな」

「エースは見てなかったの?」

「そんなのすっとばしてぐっすり眠ってた」

「もったいない」

「明日見るとするよ」

「ふふ、頑張って」



ひとつのシーツにふたりでくるまりながらの会話は淡い光を含んで紡がれ続ける。他のクルー達は今頃喋り相手もいなく、黙って身支度をしているのかと思うとどこか痛快な気分だ。悪いな、俺だけ。たったひとりの女神を傍らに置いてる自分が誇らしくて思ってもいない謝罪を言葉に出さずくれてやる。聞こえるはずのないむさくるしいブーイングが聞こえたような気がしてなかなか愉快だ。そんな俺に気が付いたのか、女神は不思議そうに俺を見ている。紛らわせようと「なんでもねェよ」と笑ってやると、もっとハテナマークを浮かべるから面白い。

会話はとめどなく続いた。退屈はどこかに姿をくらまして見当たらない。俺の言葉ひとつひとつに丁寧に耳を傾ける彼女とは別に、彼女の話をぼんやり聞き流してしまうことの多い俺はたまに叱られる。やれやれと呆れたふりをする彼女の表情がたまらなくて、俺の悪い癖はなかなか治らない。



「…あ?」

「どうしたの?」

「朝飯の匂いがもうしてる」

「サッチが起きたのね」

「待てよ、耳を澄ませばいろんな音聞こえるぜ」

「どれどれ、…あ、ほんと」

「だろ?」



この大きく一歩一歩靴を鳴らして歩くのはジョズだ。朝飯前に一汗かこうとビスタを誘ったらしい。話声が聞こえる。

隣の部屋でガサゴソ煩いのはマルコだな。あいつは意外と几帳面だから、律儀にベットメイキングでもしてるんだろう。



「聞いて、親父が笑ってるわ」

「あァ、船が揺れてる」



顔を近づけてイシシと子供のように二人で笑いあう。今朝のモビー・ディックはいつものように朗らかだ。みんなの目覚めの様子を伺いながらまだ俺たちだけがこうしてのんびりゆっくりしている。ヒンシュク買いそうだな、そう言うと彼女まで悪乗りをし始めて、いいじゃないたまには、なんて言う。



「今日は特別。もう少しくらいならみんな許してくれるわよ」



そんなことより。言うなり俺の身体の上に乗りあがり、その肌と肌を隙間なくくっつけた彼女はいつになく女らしい。両手でまるで猫相手にでもするように俺の髪を掻き回し鼻の頂き通しをあてがうから、瞳や頬がやけに近い。男とは180度違う柔らかい身体を潰してしまわないように抱き支えて、彼女が落ちないように、彼女のしたいように。執拗に目にかかりそうな俺の前髪を救い上げては目じりを下げる彼女をこれ以上無い暖かさを持って見つめ続ける。今度は彼女からのキスのシャワーが顔のいたるところに降り注いで、そこからはじける愛をひとつも見逃さないよう目を凝らした。

戯れに夢中な彼女の首に顔を埋めながら、俺は思う。心底、心底いとしいと。自分だけが今、こんなにも幸せなんじゃないかと思えば思うほど、嬉しくて泣きたくなった。一生をこんな朝のように迎えられるのなら、嵐の夜も恐れず眠りにつくことができる。きっと自分は世界の果てまで飛び立てる。あのカモメのように風に想われて、あのカモメよりももっとずっと遠くまで。神、もしあんたが本当にいるのなら、あんたでいい。あともう少し俺をこの朝に閉じ込めておいてくれ。こんなに幸せな自分をほんの少しでいい、許して欲しい。手のひらがとても暖かい。この熱には、俺のそれも敵わない。抱きしめてくれ、もっと。この朝ごと。



「エース」

「…ん?」

「大好きよ」

「…おう」

「みんながあなたを大好きよ」

「…なんだよ、急に」

「まだ、言ってなかったわね」



耳元に天国が降ってくる。



「おめでとう」



俺だけの今日一日が、それを合図に始まっていく。

ありがとう、この言葉以上の感謝を、俺は知らない。






kisses and cake














20110102

あきこさんと、それからエースを愛してやまないすべての人へ