君と共に生きていくということ | ナノ



世界で一番狡い男を知っている。ふらりと現れては心臓を盗む。私はもう人ではない。なら、なんだというのか。
私はただの、本当に本当にただの、をんな、それに尽きる。




















日中かんかんに晴れ渡った海の上の夜は比較的静かだ。私は航海士ではないから、空気や天候の関係なんてものは知らないのでなんとなくそう勝手に思い込むことにしている。こんなにも静かな夜は、乾いた床板を踏みしめる音がいつもより大袈裟に聞こえてくるものだから、シーツに沈めた身体が無意識のうちにぎゅっと丸まってしまった。その聞きなれた足音がいつもの倍のボリュームで一歩、また一歩とこちらに近付くのを感じ取るたんびに私を支配するのはスリル。それもとびきり上等で刺激的な。少女が蝶々を追うような、淑女が扇子で顔を思わず隠してしまうような、かと思えば恐ろしい獣に背後をひそりと尾行されているかのような、そんなアンバランスなスリルが全身を駆け抜けてしまうのは、もう何度も味わっているはずだから多少慣れてもいい頃だと思うのに。


「よう、起きてるか」


ノックも何も無しに開かれたドアの向こうにはっきりと立つ人影をシーツの隙間からそっと覗くと、私の顔は面白いぐらいに笑顔になっていくのだから、しょうもない。勿論、悟られないよう最善の注意を払いながら、だが。
小さく深呼吸をして、せーのでシーツから抜け出した。


「あんたが来るってのに寝ちゃないわよ、エース」


わざとダルそうに髪を掻き上げて、ついでになるべく面倒臭そうにそう言ってやると、エースはそれはそれは楽しそうに、満足げに、にやりと笑って私を見下した。
この男が、私のこういうところをたまらなく思っていることぐらい知っている。エースが好きでたまらないのはこうした、可愛げのない女なのだ。


「何か食べる?」
「いや、今日はいい」
「珍しいじゃない。普段あれだけ食い意地張ってるのに」
「今日はもう、食った」


有無を言わせない、これ以上の言葉は無い、必要が無い、とでも?
下から面白がるようにエースを試す。わざとに。言葉は無くて、ただ黙りながら。するとエースはもっともっと愉快そうに私の頭を撫で付けてくる。そうそう、知っているわよ。それでこそ、あんたよ。


「眠ったの?」
「ああ、良く寝てるさ」


主語は要らなかった。わざわざ口にしなくても、エースの部屋ですやすや眠る可憐な少女のことだってくらいわかっている。
エースが私の身体を滑るようになぞっていく。私は今にも発光しそうだ。唇に、肌に、視線に、熱が宿っていく。火拳とは良く言ったものだ。


「ヤな男」
「ははは、まぁ、そういうことでも仕様がないよな」
「何を喜んでるんだかね」
「まさか。傷ついてる」


それから、キスのシャワー。
言葉で遊ぶのが好き。この男と、延々馬鹿馬鹿しく下品に優雅に言葉を操るのが大好きだ。だけどこの男とのセックスは。


「ああもう、いっそあの娘と部屋が隣同士だったらいいのに」


もっと好き。



あの娘と隣同士がいい。それなら、あの娘がどんな風にあんたを癒すのかを聞き耳立てて知れるのに。私のようなやり方ではなくて、どうやってエースを繋ぎ止めているのだろう。私にはそれが出来ないのか。


「ヤーな女だなぁ」


そうでしょ。だからきっと無理よね。わかってる。わかってはいるのだけど。悔しくて悔しくて、心臓は毎日毎晩千切れそうよ。


「そんなことをあんたが言うなんて、ズルいわ」


でも、そんなエースを私はすっごく愛している。
愛してる、愛してる、愛してる!!
だから私の負け。けど、あんたの可愛い彼女よりはずっと勝ってる。そう思わせなさいよ、でないと私、もうそろそろ聞き分けのイイをんなを続けられそうにないんだから。困るでしょ。困るわよね。


「お前といると飽きねぇなぁ」


あったりまえよ、小さく声を出すもくぐもって、それはエースが私の身体中を這うようにして舐めたから。多分、こんなにやらしく舐められたことなんかあの娘は無い。下らない優越感とは知っていながら酔いしれた。甘い甘いワインの味がした。間もなく、白の海に私は溺れ、息継ぎの仕方を忘れるのだろう。それでいい。そんな夜が続け、どうか。ズルい夜よ永久に。永久に、なんて。言いすぎか。そうね、あの娘のときめきよりほんの少しでも長けりゃ、とりあえずそれで。うん、とりあえず、それで。







20100810 お題/彼女の為に泣いた