お前の計らいで生き返る夢を見る | ナノ
※捏造過多











真っ暗い異空間を小さな子供が嬉しそうな顔をしながら走っている。うさぎみたいな赤い目玉のその子供はただ暗闇がべたりとどこまでも広がる中なのに、まるで何かに引き寄せられでもしてるかのように一点を見つめ真っ直ぐに走っていた。その様子をどこかぼんやり傍観している。子供に見覚えがあった。俺はこいつを良く知っているような気がする。不思議な光景だ。何故迷いもなくこうも真っ直ぐ走れるんだろう。何故こんなにもこいつは嬉しそうなんだろう。ここは深い深い闇の中なのに。走って行く子供を追うようなカメラワーク。だから俺はこいつを見失わずにいられている。いったい此処は何なんだろう。俺の知っている世界では無いのに、似ても似つかないのに、子供の細く小さな足が前へ前へ進んで行く度に泣きたくなるぐらい懐かしい気分になるのは、どうしてなんだろう。そして同時に心臓が誰かに握りしめられているみたいに苦しい、辛い。それはどんどん強く思うようになった。そっちに行ってはいけない。きっと良くない。確かに幸せかもしれないが、それ以上に辛くて辛くて仕方無くなるぞ。お前のそんな小さな体でそれを受け止めるのは無茶だ。きっと耐えられない。だから走るのをやめて、止まれ。そしてこっちに来い。やめろ、やめておけ、なぁ、なぁ。
声を張り上げているつもりだが、果たして本当に声になっているのか。恐らくなっていないのだろう。子供は一向に立ち止まらない、振り返らない。
やがて真っ暗闇の向こうに淡い光が姿を現した。子供はより一層嬉しそうに笑顔を浮かべ、瞳を輝かせ、駆けるスピードを上げた。いよいよ穏やかじゃいられない。汗がどっと吹き出した。傍観してる場合じゃない、と、どこからか俺の脳に語りかける声がする。同感だ、傍観してる場合じゃない。その光に近づいちゃ駄目だ、駄目だ、駄目だ。捕まえなくてはとこちらも負けじと追いかける。そこで初めて自分の体を確認出来た。てっきり意識しか此処には無いものだと、漠然と思っていたから少し意外で驚く。まぁでも、無いよりはあった方がいいに決まっている訳だからこの際深く疑問に思わぬようにしよう。今はそれよりも早く子供を捕まえることに専念しなくては。足の長さから言って、こちらに分があるのは目に見えている。現に少し本腰を入れて駆け出しただけでたやすく追い付くことが出来た。すぐそこにある細い腕を自分の掌を出来る限り開いてがっしりと捕らえると、腕の主はゆっくりと顔を上げてその赤い瞳を揺らした。首を傾げてきょとんと呆けている。わさわさ生え伸びる銀色の髪の毛は自分のそれとあまりに酷似していて、俺はまたしても不思議な感覚に飲み込まれた。生唾を飲み込み、喉を少々鳴らせて声帯を刺激してみる。先程声が声にならなかったのが無意識の内に堪えていたらしい。しかし今なら、こうして腕を掴んでいられるのであれば、僅かに望みはある。体を確認出来たのだって突然だったんだ、その理屈からすると今声を出すことに成功するんじゃないだろうか。相変わらず漠然と思った。

「おいボウズ、ンな真っ暗ン中どこ行く気だ」

良かった、思った通りだ。ちゃんと出るのか出ないのか自信がもてなくて上擦った変な声になってしまったが、今はそんなことよりも子供だ。当の本人はいまだ呆けた面をして俺を見上げていて、中々返事を返さない。ふと、先程子供が目指していたらしき光が気になり、この妙に張り詰めた空気を緩和させる意を込めてそちらを見遣った。ぼやけた淡い光は随分近くまで来ている。目を凝らすとその輪郭はなんとなく人の形をしているような。そしてどこか見覚えがあるような‥。また胸がぎゅっと潰される。この得体の知れない光は果たして。

「あそこに先生がいるよ」

唐突に、子供の口が開いた。その言葉に強い反応を示した俺の脳よりももっと早く首が子供の方へ再び回帰していた。

「な、んだって‥?」
「ずっと会いたかったんでしょ?」

子供はもう一度首を傾げながら、俺の心を読み取ったかのような口ぶりで視線をぶつけてきた。今の自分は明らかに動揺している。嫌な予感とは、これのことだったのか。体中を悪寒が包む。心にメキメキとヒビが入って行く。あれ、俺は今、何をしているんだっけ。そっちに行くのは危険だからとこの子供に伝える為じゃなかったか。きっとお前じゃ耐えられないと、教えてやるつもりでいたのに。なのにどうして俺が、俺の方がこんなに壊れそうになっているんだ。
ハッ、と我に返った時には既に遅くて、子供が「先生」と呼んだ光はすぐ真後ろまで迫って来ていた。怯えが混じる心境をどうにも出来ないまま反射的に振り返ってしまった。体と脳は裏腹で、頭の中じゃ危険信号が忙しく点滅しているというのに。

「先‥‥生‥‥‥?」

脂汗が額を湿らせるのをやめてくれない。至近距離で拝む光のシルエットは正しく「先生」そのものなのに、問い掛けに返答は無い。そればかりか「先生」の形をしているのに表情や佇まいはやはりぼんやりとぼやけているのだ。口許だけがやんわりと柔和に微笑んでいる。大切な記憶そのままに。
少なからず幸せを感じる。けれど酷く恐ろしいとも思っている。もう二度と会えないと思っていたのに、二度とこの柔らかさに触れることが出来ないと思っていたのに。まさかこんな形で。へたりと情けなくその場に腰を抜かした。隣には子供が変わらずに突っ立っている。表情はついさっきまでとは打って代わり、今度は静かに涙を流して突っ立っていた。「先生」は何も言わず、何もせず、ただそこに在る。まるで昔と同じだ。大好きだった「先生」の笑顔。なのに何故こんなにも辛い。会いたいと、確かに思っていたはずなのに、いざ会ってみたら懐かしさや自分への憤りや不甲斐なさや、他にもありとあらゆる感情が込み上げて捻くれ合って爆ぜてしまいそうな程胸の奥が痛い。カチャカチャ金属が擦れ合う音が聞こえる。すぐに自分が身につけている甲冑の音だと気がついた。体が、震えている。先生、先生、俺は、俺は、先生に会いたかったはずなんだ、もう一度、会えるものなら一目だけでも、それなのに、何故、何故。

「せ‥‥‥!」

容赦なく重たくのしかかる入り混じった感情がついに爆ぜて叫び声を上げようとしたら、どこからともなくにゅっと伸びてきた手で口を塞がれた。それは「先生」のものでも、隣に突っ立っている子供のものでも、ましてや自分のものでも無い。だとしたら誰が。切羽詰まり過ぎていて頭が回らない。目線だけでどうにかその手の持ち主を探そうと泳がせると、口を塞いでいる手と同様に、子供と俺の隙間から首が姿を現した。

「大丈夫だ」

低い、落ち着いた、声だった。厳しく、でも優しさを孕んだ声が耳の鼓膜を揺さぶる。良く見ると、片方の手は子供の半身を固く抱き留めているのがわかった。前髪がかかっていて顔が良くわからない。だけどこの男の手の平もまた、俺は知っているような気がした。

「大丈夫だ、いいか、よく聞けよお前ら」

ゆったり諭すように。少しづつだが高ぶった感情の暴走が沈静の色を見せ始める。

「もう先生はいない。しっかり頭ン中に刻み込め。思い出だとか、記憶なんかはきちんと胸にしまっとけ。そして正しく理解して、受け入れろ。こんな風に暴走しねぇように。じゃねーと高杉みてぇになっちまうから。俺と同じであのバカみたいにゃあなりたくねーだろ?大丈夫だ、おめーらならできっから。おめーらは何にも悪くねぇから。な。だから、もうこのぐらいにして目ェ醒ましとけ」

空気中に溶け出すように光が消えて無くなって行く。そしてやがて跡形もなく消え去った。残ったのは辺りを包む暗闇と、子供と俺を抱き寄せる知らない誰か。表情を覆い隠していた髪が鈍い銀色に輝いた。どこからも光は差し込んでいないはずなのに。
寂しいと、心が泣く。失いたくなかったと本当は悔やんでいる。それを隠そうとただ闇雲に刀を振って生きることにした。あの日何も出来やしなかった俺自身をとても憎んでいる。ずっと許して欲しかった。「先生」、貴方に。俺はこれで良かったんですか。本当は疑問に思ってました。怒りばかりで刀を振るっても「先生」は許してくれない。だから会うのが怖かった。俺はもうこれ以上何かを失いたくはない。

「何も失ってなんかねぇさ、そのうちちゃーんと笑えるようになっから、だからそれでいいじゃねぇか」

ようやく隠れていた顔を見ることが出来た。思った通り、赤い目をしている。揃いも揃ってみんな銀髪に赤い目だなんて不気味だ。でも、悪かない。…悪かねーなぁ。すっかり落ち着きを取り戻した俺が苦笑しながら瞬きをすると、男はいなくなっていた。恐らく自分もじきにこの暗闇からおさらば出来ることだろう。じわりじわりと染みていく言葉を有り難く咀嚼しながら差していた刀を鞘ごと抜いてその場に置くと、その様子を子供が俺の羽織りの裾を摘みながら不思議そうに見ていた。

「じきにわかるさ」

子供は何も言わなかった。そっと手を離して、俯いた。

「俺もお前も、阿呆ながらに良くやったんだ。もう、いいよな」

さ、少しづつでいい。目を醒まそう。



























温い手が重なりあってそうして握られるのを感じる。闇を切り裂くように瞼の隙間から馴染んだ笑顔が視界に映った。

「銀ちゃん」

幸福な目覚めだった。とても贅沢な気分だ。当たり前のようにそこにいて、全部包んでくれている。

「随分寝てたね、銀ちゃん。夢でも見ていた?」

見ていたよ。馬鹿げた昔の俺が揃いも揃ってビー垂れて、格好悪ィのなんのって。だから活を入れてやったんだ。

「……阿呆みてぇな夢を見てたよ」

起きぬけの、曖昧な感覚の中でどうにか笑ってそう言うと、その笑顔は更に柔らかく俺を見下ろしもっと固く手を握った。

「神楽ちゃんも新八君も銀ちゃんが起きて来るの待ってるよ。みんなで朝ご飯にしよう」

ほら、未来はまやかしの光なんか差し込む隙間など無いぐらいに明るい。暗闇はもう誰にも追って来ない。
俺は今、また大切なもんをいくつもいくつもしょい込めている。


「おう、今行く」


だからもう大丈夫。
なぁ、俺。
















お題/大佐
20100420