小説 | ナノ


(白滝‥大根‥揚ボール‥あとは‥なんだっけ‥竹輪も白滝もあるし‥うーん‥)


「蒟蒻、はんぺん、がんも、それとあと蕗。でしょ?」

「‥‥‥‥‥‥‥あ」


目の前にドアップの蕗の水煮。とそれを持つ坂田さん。そしてここは近所のスーパーなんだけど。


「坂田さん、なんでこんなとこに」
「今日はちょっと早く帰ってこれたもんだから。呼び鈴押しても応答無かったし買い出しかなぁと思って来たら頭に団子乗っけた可愛い子ちゃんがいるじゃねーのと近付くとなんとそれはアツコちゃんでしたー。という訳でこの蕗カゴん中入れときなさーい」
「蕗、蕗かぁ。そうだ忘れてた蕗だった。ありがとうございます」
「いいえー」


今年最後の鍋はおでんにしようと決めて買い出しに来たら坂田さんに遭遇できた。どのみちあとで一緒に食べるから結局会えたんだけどちょっと得をした気分だ。着替えたのか普段着なのが少し惜しいけど。しっかり渡された蕗をカゴに入れてゆっくりカートを押しながら、横にいる坂田さんの熱に浸りながら店内を歩く。


「今日はおでんかー」
「おでんです」
「前も思ったんだけどアツコちゃんの料理季節感無いよね」
「‥‥ですよね。別のにした方がいいです?」
「いんや〜いいよ。おでんいいじゃん。玉子沢山入れてね」
「了解です。良かった」


いつも来るスーパーなのになんか今日は新鮮。つーかこの人玉子好きなんだなー意外にお子ちゃまだ。くそ、カワイイいぞ‥カワイイぞおっさんの癖に。駄目だ、この人といるとどうしても口元が緩む。


「腹減った。さっさと買い物して早く帰ろ」
「あと飲み物買うだけですから」
「おお、コーラにガンダム磁石ついてる。これにしよ。アツコちゃん百式ね」
「‥‥‥‥」


いきなり瞳が輝き出した坂田さんに渡されたのはピッカピカの悪趣味なモビルスーツだった。ガンダム知らないわけじゃないけどなんで私が百式なんだろう。そんな坂田さんはマークツーを手に取り大ハシャギだ。コアすぎないか。


「なんで私‥百式‥?」
「女の子って光モン好きでしょ」


好きだけどね。好きだけどそういうことじゃないと思うけど。ああもうこの人ったらどうしてこう‥あああ!たまらん!なんだっていちいち擽ってくるんだろう。私の脳も心も細胞も、きっと初めからこの人の為に震えていたのだ。


「おでん楽しみだなー」
「それは何よりで」


ほら。また震えた。笑顔が私を天国まで引き上げる。それはそれは強い力で。











「あっち」
「大根はもう少し冷ました方がいいですよ」
「舌がヒリヒリする」
「はいお水」
「どうも」

ゆらゆら湯気が私達を取り巻いた。煮えたぎったおでんのダシがマグマみたいに気泡を弾かせる。部屋はサウナみたいに暑かった。坂田さんのこめかみを伝う汗が、この季節外れにも程がある状況を何よりわかりやすく伝えている。

「うまい」
「おいしいですね」
「アツコちゃんやるじゃないの」
「それほどでも」
「なんたってダシがいいよね。料理上手じゃん。初めてアツコちゃんの手料理食った時は何だコレって思ったけどぉー」
「もしや肉じゃがのこと言ってます?」
「そうそう。今だから言えっけど。あの見た目はグロテスク以外の何でも無かった」
「酷っ!グロテスクって、いや、もう少し他に言い方…」
「しかしマジで上達したなー」

坂田さんはようやく冷めた大根を頬張って、緩みきった顔でかみ砕いた。良かったね大根よ。こんな素敵な人に食べて貰えて。私も是非食べられたいよ。最近の私はつくづく頭が茹で上がっている。このまままるごと坂田さんに茹で上げられてしまいたい。口が裂けても言えやしない。そんな様子のおかしいこと。


「お、玉子もうまい」


それにこのささやかな幸せを少しでも長く味わっていたい。さっさと食べ終わってしまったら、その先には何も残らないから。幸せは幸せなんだよね。ただ、肌で感じる。


(この幸せに保障なんか無いもの)


「沢山食べて下さいね」


私はほんの少しでいいのです。その玉子をひとつ貰えれば、時間をかけて少しづつ口に運びますので


夕刻の、朱い光は星の海に墜落した。あっという間に食事が終わって今日も坂田さんはソファに寝転ぶ。もうすっかりそこがこの人の定位置になっている。週に何度か、ほんの何時間。この人で私の世界は回っていく。坂田さんと居るだけで世界は私に優しくしてくれている。もうすっかりあなたが私の中に居座り過ぎているんですが。いつだって頬は熱を持ちたがる。楽しいです。楽しいんです、このひと時が。


「あ」
「どうかしました?」
「部屋に携帯忘れた」
「隣?」
「隣。ちょっくら取りに行ってくっかなぁ」
「どうぞどうぞ」
「淋しい〜?」
「‥‥。なんですかその楽しそうな顔」
「べつに〜。それとも一緒にくっついてくる?」


(だから何だよその顔は!人間歳くうとこれだから嫌だよ!)


本当は嫌な訳はない。淋しい、とかそんなんじゃないけど、くっていてってやりたい気持ちはそりゃもちろんあるよくっそう。

だってあの女の部屋にまた足を踏み入れようとするなんて

今のは私の中に巣くう悪魔か何かが囁く声だ。なんてことだ、自分でも知らないうちに随分欲深くなっている。どろどろしていて気持ち悪い。


「いきませんー。テレビでも見ながら待ってますー」
「あらそ。んじゃあ行って来るわ〜、すぐ戻ってくっから。さっき買ったコーラ飲みながらテレビ見ような」
「はーい」
「おー良い返事」


ひとつ伸びをして、坂田さんの背中はドアの向こうに消えて行った。床にごろんと横になる。テレビから、最近売れ始めたらしい若手芸人のオーバーなギャグが耳に入りこんで来た。こいつらしょちゅう見るなー。そういえばパートのおばちゃんも好きって言ってた。私には良さがイマイチわからん。なんだなんだー、最近はこんな感じでコンビで派手なスーツ着てれば誰でも売れんのかしら。あら?でも、坂田さんてこいつら見て良く笑ってたような。なら私も‥。流されてんなー流されてますよー‥。

それにしても、遅い。テレビを消音にしてみる。隣からガサガサ物音が聞こえて笑みが漏れた。どうしたんだろ、中々見つかんないのかなぁー。物音といやぁ昨日もおとついもあの女、大層な大声で例の彼氏と言い合っていた。前と違ってそんなに耳はもうそばだててる訳じゃないけど音が大き過ぎて嫌でも聴いてしまっていた。あんなに気になりまくっていたお隣りさん事情なのにすっかりどうでも良い。というか、あれを聴く度に安心していたりもする。


あんたらがそうやって喧嘩してでも関係が続いてるならその間坂田さんは私のもとへやって来る
だからまだ付き合っていて
坂田さんを放置していて
決定打なんて彼にまだ与えなくていい


「‥‥‥‥‥うわぁ、私ったら嫌な女‥。まずいな、これはちょっとよろしくない傾向だ‥」


多分だけど。あの女は今の男と終わってしまったら、坂田さんの所に来ようとするんじゃないか。
それまで坂田さんを頑丈に縛りつけておくつもりだ、恐らく。
相変わらずその辺りはミステリアス。二人の過去って、どんなだったんだ。結局のところ、どんないきさつで坂田さんを隣に住まわせているんだ。そのせいで無駄な二重生活を強いられている坂田さんが不敏でならない。‥‥でも本人はそれでも良くてこんな面倒な日常を送ってるんだろうけど。


(それが一番の問題点)


やはり私のちんけな幸せは長く続かないのだろうか。
それよりも私こそいったい坂田さんの何なんだっていう話なんだけど。あの女の代わりに不特定多数とイチャコラしていたみたいだけど、最近はそんなそぶりないしね。だからって私とはご飯一緒に食べたりテレビ一緒に見たりたまに風呂を貸してやるぐらいで、イチャコラなんかとんでもない。あの夜抱かれて下さいなんて言われたのがまるで夢のようだよ。


(パンツもブラジャーも常に戦闘体制に入ってんだけどなー)


私って本当に何かの代わりになれているの?わからない。わからない。あの人本当に何考えながら生きてるんだろう。そこに深く入っていけたならいいのに。



その時、どこかで何かが振動する音が部屋を賑わせた。ハッとして起き上がる。自分の携帯は手元にあるから、恐らく鳴っているのは坂田さんのものだ。探るように辺りを見回すと、ソファの下で何かが光りながら蠢いているのを発見した。そっと手を突っ込み引き寄せると、見慣れたシルバーの携帯が姿を現した。


「なんだ、こっちにあるじゃん」


隣で必死になってこれを捜している坂田さんに事実を知らせようと、薄い壁を叩こうとした瞬間、良からぬことを思いついてしまった。切れることなく震え続けている原因は、何だろう。メールじゃないはずだ。随分長いこと鳴っている。じゃあ、電話だ。いったい誰から。


(‥‥‥‥‥)


ごくり。唾液が大量に胃に落ちていく。妙に胸が騒いだ。これが俗に言う、女のカンってやつだろうか?これ、もしかして、あの女じゃないの?心臓が唐突に早鐘をうち、私を揺らした。ディスプレイを見れば、名前が出ているはず。通話ボタンを押せば、ちゃんと声も聞けるはず。坂田さんにはどんな声で話かけるの。どんな接し方を?知りたい、でも、それをしたら今よりもっと痛い人間になるのは間違いない。それに万が一バレでもしたら。どうしよう、教えようか、それとも見ようか、どうしよう、どうしよう。

壁に伸ばしかけた腕を、私はスッと降ろしてしまった。








どんどん醜くなっていく
自分が自分じゃなくなっていく
幸せを噛み締めればそれで良かったんじゃなかったか
いきなり自分に嘘をつくのか
なんだそれ、なんだそれ、なんだそれ









「っかしーなぁ、全然見つかんねー‥て、あら?そこにあんのって俺の携帯?」
「そうですよ。ソファの下に入ってました。坂田さんたら、ちゃんと携帯どうしたのか覚えておかなきゃ」
「うわー俺ダッサ!でも良かったわ、見つかって。鳴ってた?」
「鳴ってました。長いこと鳴ってたから、多分電話だと思いますよ」


テーブルの上に乗る携帯を渡して差し上げた。坂田さんはディスプレイを開いて誰からの電話か確認したあとに、「なんか、友達」と曖昧に笑ってまた玄関の外へ出て行ってしまった。多分かけ直しに行ったんだと思われる。その様子を、私は静かに傍観した。


(もし……あの女からだったなら)

結局坂田さんの携帯を勝手に開く勇気は、私には無かった。だからあの電話が本当の所誰からだったのかなんてわからない。わかるのは坂田さんだけ。


(あの女からだったら、だから何だって言うんだよ、自分。欲深過ぎるぞ、自分)


これは女特有の例のあれなのか。今は胃袋だけで充分なんじゃなかったのか。予想外な足さばきで嫉妬や焦燥感がやって来る。美しくない。こんなの全然美しくない。

「ふ、はは、私ってば何様…」


坂田さん、さっさとこっちに戻っておいで
私ならあなたを満たすことが出来るのです

私なら


ため息をついて、テーブルに突っ伏した。扉の向こうから微かに聞こえる坂田さんの声音は心無しか愛情らしきものが篭っているような気がするが、深読みをしても何の得も無いので耳を塞いで考えないようにした。


こっちの水は甘いぞ


声を大にして言ってやりたいのにそんなことは出来ない。
私はあの人の何でもないから。実際のところは、何の身も詰まっていない。それに対して私の脳はいらんものばっかり詰まっているものだから、重くて重くて敵わない。早く一緒にテレビを見ながらコーラを飲もう。そして下らないことで馬鹿笑いしましょうよ、それが何よりの救いなんです、今の私にとっては。