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「とりあえず、上がって」
促されるまま、俺は小さくおじゃまします、と半ば呟いて中に入った。すぐ横にある大きな姿見に映った自分が、ひどく緊張しているのが見えた。



俺は基山さんに肩を貸しながら、大きなマンションへやってきた――基山さんの自宅へと。
一本道に続く廊下を歩いて、踏み込んだ部屋は広々としていた。基山さんが後ろ手で明かりをつけると、必要最低限のもの以外は何もない質素な部屋であることがわかった。廊下のドアを開けてすぐにカウンターキッチンがあり、おそらくリビング・ダイニングだろう部屋の真ん中に、ガラスの机とソファが並んでいて、対角線上に薄型の大きなテレビがある以外は何もない。その部屋からふすまで区切られた先には寝室があって、大きなベッドが占め、脇に卓上ライトと、お店にもよく持ってくるノートパソコンが置いてあるだけだった。

「基山さん、あんまり家にいないんじゃないですか?」

思わず振り返ってたずねた。
それほどまでに、生活感のない部屋だった。実家で暮らしている俺には想像もできないほどさっぱりとしていて、なんだかさびしい感じがした。

「いわれてみれば、そうかも」

基山さんは軽く笑い、キッチンに立った。なんとなくそれにしたがって俺も基山さんの隣に立つ。
キッチンもやはりこざっぱりとして、性能のよさそうなコンロには油汚れひとつなかった。基山さんは戸棚から小さな鍋を取り出した。ここの家には薬缶もないらしい。なみなみ水が鍋に注がれるのを見て、俺はぎょっとする。

「いいよ、座ってて。いまお茶入れるから」
「大丈夫です。基山さんこそ、病み上がりなんだから座ってください」

言って、俺は強引に基山さんの背中を押す。
本当は、なんだか危なっかしくて見ていられなかっただけなんだけど。

「なんだか、ごめんね。気を遣わせちゃって」
「いえ、おかまいなく」
「・・・じゃあ、悪いんだけど少し横になってもいいかな」

基山さんの言葉に苦笑いをしながら返事をすると、基山さんは申し訳なさそうに眉を下げて、寝室を指差した。

「肩、貸してくれるかな」
「いいですよ」

ありがとう、と基山さんは笑う。つられて俺も少し笑ってしまった。
差ほどでもない距離をゆっくり歩いて寝室へ向かった。中途半端に開いていたふすまを開けるとリビングの明かりが入って、オレンジっぽいルームライトが少しだけ明るくなる。ベッドは近くで見ると余計に大きく感じた。
その時だ。
肩に回った手が俺を強く押さえ込み、そのまま俺はベッドに倒れこんだ。
衝撃こそなかったものの、突然のことに目を回す。何度か瞬きを繰り返す。至近距離に基山さんの顔がある。俺に落ちる影、耳の脇に伸びている腕――そこでやっと、基山さんが俺に覆いかぶさっていることがわかった。
俺は息を呑む。

「・・・無用心だよ」

鼻先が触れるか触れないかの距離で、基山さんは言い放つ。

「俺はね、リュウジくん」

ただ頷く。

「ずっと考えてた。その、・・・きみと、付き合っていくってこと。だから何度かデートにも誘ったし、呼び方も変えてみた。でも・・・結局のところ、友達同士なのと何も違わないんじゃないか、って思ってた」

俺もだ、と心の中で返事をした。俺もだ。
デートでの緊張感は、恋愛のそれではないと思ったし、他愛ない会話も、メールのやりとりも、友達同士のようだった。だから、思った。
所詮こんなものか、と。

「でもね、俺の中で君の存在は大きくなってる・・・何か嬉しいことがあれば君に言いたいし、悲しいことがあれば君に聞いてもらいたい、と、思う。・・・これって、何だろう・・・」

言いながら、基山さんの手が俺のシャツに伸びた。細い指が、ボタンをなぞる。

「う、わっ・・・何、を」

俺は慌てて身をよじる。が、たいした抵抗にならなかった。別に押さえ込まれているわけでもない。むしろ俺は自分の意思で動かないようにも思われた。
俺は愕然とした。
いっそのこと、縛るなり脅すなりしてくれればいいのにとさえ思った。

「今、パソコンの検索履歴みると、たぶんひどいと思うよ。・・・調べたから」

男同士でのやりかた、と基山さんは小さく言った。俺は思わず笑ってしまいそうになった。そんな自分を、信じられない、とどこかで非難しながら。
頭の中は妙に冴え冴えとしていて、この体勢がこのまま続けば、きっとどうなってしまうこともわかっていた。だけど、俺はただ瞬きを繰り返すだけだった。
基山さんの手がゆっくりとシャツのボタンを外していく。今日は珍しくボタンの多い服を着ていたから、焦れたように指が動くのを不思議な気持ちで見ていた。基山さんはスーツのままで、もしかしたら皺になってしまうかもしれない。

「リュウジ・・・」
「・・・・・・はい」

基山さんは小さく俺の名前を呼んだ。俺は半ば諦めに近い気持ちで、ゆっくりと首に手を回す。もうシャツは羽織っているだけの状態だった。基山さんの手が伸びる。

「うっ・・・」


・・・はずだったのだが、基山さんはそのまま口元に手を当ててうずくまってしまった。

「えっ・・・ちょっと、大丈夫ですか」
「・・・悪い」
「えっ?」




「・・・・・・気持ち悪い・・・」


それから、基山さんはトイレに駆け込んで、30分は篭って吐いた。



「ほんとに、ごめん・・・」

戻ってくるなり項垂れながら言った基山さんをみて、俺は思わず噴出してしまう。
噴出すだけにとどまらず、俺は声を出して笑った。
それに少しだけ眉をひそめながら、基山さんは隣に腰掛けた。ベッドがゆるくきしむ。俺はかまわず笑い続ける。

「そんなに、おかしいかな・・・」
「いえ、その・・・すみません、」
「いや、いいんだけど」
「すみません、」

しかし笑いは止まることがなく、しまいには涙まで浮かんでしまった。ぼろぼろと粒になって、頬を伝う。
笑いすぎて呼吸困難になり、嗚咽と大差ないものになってしまっても、俺は涙をぬぐいながら笑っていた。
基山さんはそれをみて軽く息を吐いて、俺の背中をさすった。さっきまでは、俺がしていたことなのに。

「・・・すみません、」

もし、ここにいるのが、瞳子さんだったら。
そうだったら、真っ当なのに。
そうであるはずだったのに、そうでなければ。
なのに俺は、こんなにも惰性に流されて、首に手を回して、こうしてベッドに並んで腰掛けて――なんておかしいんだろう。
――俺がすきなのは一体誰だったんだろう。

「すみません・・・」

ぬぐってもぬぐっても涙は止まらず、胸に痞える熱を吐き出すために嗚咽を繰り返した。

「・・・好きだよ」

ぽつり、と基山さんは言った。


「・・・好きだ」


俺は、是も否もなく泣き続ける。
いままで一度も口に出されなかった言葉は、空気に溶け出すと一瞬だ、と思いながら、涙をぬぐう。こんなに苦しいのに、一瞬で終わってしまうのか、と。
基山さんは少し黙り、それから、俺を見ずに小さく言った。


「・・・案外、言ってしまうと簡単なんだね」






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