3:side→k





色々なことが重なって、半ば自棄になっていたのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。
小さくなっていく背中を見送りながら、こっそり首を捻ってみた。
俺は今、年下の男の子と付き合っている。



俺には一年間付き合っていた人がいた。ひかえめで、いつも困ったように目じりを下げて笑う人だった。同じプロジェクトの同僚として、俺を影から支えてくれていた彼女は、その企画が終了段階を迎えた折に、俺をずっとみていた、と告げた。それから一年、俺たちは付き合っていたと思っていた。けど、ちょうど一年を句切ろうとしていたとき、彼女は思いを告げたときと同じ声色で、俺は仕事しか見ていない、と言った。
その日、俺は毎日のように顔を出していた喫茶店を、はじめて素通りした。

その喫茶店は、大通りから少しだけ外れたところに小さく肩をすぼめて建っていた。初めてそこを知ったのは、まだ入社したばかりの頃だった。当時一人暮らしをはじめたばかりだったので、新しい環境に中々なじめないでいたところに、隠れ家を見つけたような気分になった。俺はすぐに常連になって、ほぼ毎日のように通うようになった。すこし無愛想な店長の女性と、気さくな従業員ともすぐに仲良くなった。

彼女と別れた翌日、俺はまたその喫茶店へ立ち寄った。いつの間にか指定席になってしまったカウンター前の椅子に腰掛けると、連日の疲れが押し寄せてくるようだった。店長、瞳子さんが無言でブレンドコーヒーを差し出してくれたのがありがたかった。小さく笑ってお礼を言うと、彼女は無表情のままいいえ、とだけ返した。

「久しぶりですね」

後ろから声のしたほうへ振り返ると、アルバイトの少年、リュウジくんが心配そうに覗き込んでいた。彼は、ここの従業員の中でも一番の古株で、俺が最初にここへ来たときにこのテーブルへブレンドコーヒーを運んできたのも、彼だった。

「仕事が立て込んでたからね」
「それは、お疲れ様です」

そこで、会話は終わるはずだった。

「・・・実は、失恋しちゃったんだ」

言ってみて、自分でも少しだけ驚いた。仕事を理由にしてしまえば、ここのところ顔を出さなかった言い訳になったのに。思った以上に疲れているのかもしれない。リュウジくんも驚いたように瞬きをしていた。なんて声をかけようか迷っているのか、一瞬逡巡したように息を呑んだのがわかった。しかし、意を決したように俺へ向き直って一言、

「俺、基山さんとなら付き合えると思います!」

なんて言った。

たぶん、俺は色々なことが重なりすぎていて、物事への思考力とか、判断力とか、一切合財を忘れてしまったのかもしれない。あるいは、好奇心や疲れがいい具合に折り合いをつけてしまったのかもしれないが――それもありか、なんて思ってしまったのだ。
一応考えるポーズをとってみたものの、イエスと答えてみようと、思っていた。事実、俺はリュウジくんに対して悪い印象を持っていないし、彼もきっと冗談のつもりで言ったに違いない、という確信もあった。なら、付き合ってみてもいいか。という結論に至ったのだ。俺は、なんだか百面相をしているリュウジくんの手をとり、大きく頷いた。

「俺も、リュウジくんなら大丈夫な気がする」

俺は、大真面目に自棄になっていたのだ。
しかし、リュウジくんも言ってしまった手前後に引けなくなったのか、狼狽しながらも頷いてみせた。初心だな、なんて感心しながら、よろしく、と笑うと、一瞬だけ瞳子さんのほうを見た後、ちいさくよろしくお願いします、なんて早口に言った。
こうして俺たちはめでたく付き合うことになったのだ。新しい扉を叩いてしまったのかもしれないけど、全く実感はなかった。せいぜい、客と従業員だった二人の距離が少し近くなっただけ。その程度に思っていた。






その日は、特に忙しくて、その上体調も優れない最悪な日だった。なんとか終電に間に合い、ふらふらな体を引きずるようにして帰路に着く途中で、耐え切れなくなって垣根に腰を降ろした。眩暈と吐き気が酷くて、自分が立っているのか座っているのか、ここが地上なのかもわからない。無性に不安になって、誰かに会いたくなった。誰か、誰か――
気付けば俺は、携帯電話のダイヤルを押していた。

「基山さん!」

どのくらいたったろう、しばらくして誰かが俺の背中をさする感覚がして、俺は目を開けた。リュウジくんだった。

「・・・ごめんね呼び出しちゃって・・・」
「いえ、・・・大丈夫ですか?」
「うん、楽になった」

リュウジくんが心配そうに覗き込んでくる。息が切れている。きっと走ってきてくれたに違いない。俺は何故だか、胸が締め付けられるような気分になった。
実際、眩暈も吐き気も、だいぶ引いて楽になっていたので、俺は彼に会うためだけにここに腰掛けていたようなものだったのだけど。それを言うのはなんだか変な気がして、俺は少しだけつらそうに息を吐いてみせた。

「・・・何かあったんですか?」
「・・・仕事がね」
「嘘だ、それだけじゃないでしょ、絶対」

俺は瞬きをした。純粋に驚いたのだ。
彼が、わりと立派に俺との距離を詰めていたことに。

「・・・実は、彼女にね、会ったんだ」

背中をさする手が一瞬止まった。
本当は、仕事だけを理由にしてしまえばすべてが終わったかもしれなかったのに、また、俺の口は身勝手に動く。でもそれを暴いたのは彼だ。
俺は時々、彼がわからなくなる。俺とどれほどの距離をとりたいと思って、彼はここにいるのだろう。

「ヨリを戻さないかって言われたんだ」
「そう・・・ですか」
「今更、って思ったのに、なかなか帰してくれなくて・・・すごく、なんていうか、疲れたよ。酷い話だよね」
「それは・・・」

リュウジくんは視線を下げて、俺から視線をはずした。ションボリと耳を下げた犬みたいに、小さくなって俺の隣に腰掛ける。えっと、なんて視線を泳がしながら、必死になんて言葉をかけたものか、悩んでいるようだった。俺はそれを見て、思わず小さく笑ってしまった。

「あ〜・・・なんか、年下の女の子をたぶらかしてる気分」
「えっ」

リュウジくんは立ち上がって俺を見る。ころころ感情が変わるのは見ていてとても楽しい。俺は手の中の携帯をそっと握った。いつの間にか、メールの受送信も、着信履歴も一番上になっている彼の名前を思い浮かべた。
俺はリュウジくんの手を取って、笑ってみせる。


「リュウジくん、これからウチに来ない?」


これから俺は、彼を試す。







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