※数年後?





「ヒロトは、ずるいね」


俺は思わず顔を上げる。そこには緑川の寝そべったままの背中が見えた。こちらを向きもしないで、よくまあそんな何の突拍子もないことを。俺はそうかな、とだけ返して、視線をフライパンへ戻した。オリーブオイルで艶やかに光る白身魚に箸を入れ、ひっくり返して蓋をした。わずかに残った煙のために、換気扇を強にして、外へ逃がしてやる。せっかくのいい香りが逃げてしまうのは少しもったいないな、と思いながら。


「やっぱり魚なの?」
「文句言わない。だったら緑川が作れば」
「やだよ、今日俺は洗濯係だもん」
「だって安かったんだよ。さかな」
「何の魚かもよくわかんないくせに…」


緑川はコントローラーを握ったまま、首だけこちらへ振り返った。魚があまり好きではない彼は、最後まで今日の食卓に魚料理が並ぶことに反対していた。よく食べるが、同時に好き嫌いも多い彼は、買い物に率先して付き合っては色々と注文をしてくるので、最近ではこっそり買い物に行っている。その度に彼は冷蔵庫の中を見て文句をつけてくるのだが、代わりに彼の好物を一品つけてあげるから、というとそれが効果覿面だった。
俺は付け合せのジャガイモを蒸かしている鍋を覗き込みながら、少しだけ笑ってしまった。これは彼の好物のひとつなのだ。


「なぁにニヤニヤしてんだよっ」


ごろりとジャガイモを転がすと、緑川もクッションを抱えたまま転がってきた。俺はまた、そうかな、とだけ返してフライパンに視線を戻す。そろそろいい頃合だろう、蓋を開けると香ばしい香りが立ち込める。ソースは別に作っておいたから、後は盛り付けるだけだ。茹で野菜とジャガイモ、それからトマト。食卓に必ず緑を添えるのは、緑川が食事当番の日でも変わらない。それが俺たちのオーソドックスだった。
生活というのは、リズムでできていると思う。拍子と小節の繰り返し、時々休符、転調。俺は緑川に向かって、そろそろできるよ、と声をかけた。彼のほうを見ると、ゲームに四苦八苦している後姿が見えた。すぐに、ゲームオーバーの文字が現れる。


「あー!もう!あと少しだったのに」
「丁度よかったじゃないか。どうせ匂いで大体ご飯のタイミングはわかってたんでしょ」
「だから、焦っちゃったの!」
「ほんとにー?」
「ほんとに!」
「じゃあそんな食いしん坊な緑川くんは、早く食事の準備を手伝ってください」


うるさいな!と言いながらも、緑川はカウンターキッチンに隣接しているテーブルまで小走りにやってきた。今日は帰るのが遅くなったから、珍しく一品のみで、スープはなし。並べるのもすんなり終わった。片付けも早く済みそうだな、なんて思いながら魚にソースをぐるりとかけた。ジェノベーゼの緑色が、白身魚に鮮やかに浮かぶ。そのまま緑川がそれを受け取って、テーブルに並べた。ご飯も既によそってあって、あとは席について手を合わせるだけ。全く、好きなことに関してはとことん行動が早い。俺は少しだけ苦笑しながら、緑川が待つ食卓へ急ぐ。
向かい合って座って、口をそろえていただきます、と必ず言ってから食事をするのが俺たちにとってのマナーだったりする。


「さすがヒロトの料理はアレだな、なんてゆーか、オシャレ?」
「ありがとう?」
「お上品。気取ってる。食べるんなら食べれば?ってカンジ」
「なにそれ、ちょっと傷つく」
「ふふ、嘘だよ」


緑川が最初の一口を食べるときは、決まって緊張する。交代制で食事を作るようになってから結構経つけど、未だにこればっかりは慣れなかった。このあとの彼の機嫌が、この一口で左右されてしまうのだ。特に今日は彼の好物ではないから、尚更。


「おいしい」
「ほんと?」
「ほんと。ソースが特にいいね」
「よかった」


今日はどうやらうまく行ったようだ。にこにこと笑いながら、彼の頬が膨れていくのを眺めた。ソースは結構難しかったけど、作っておいてよかった。冷凍してとっておくこともできるみたいだから、しばらく重宝させてもらおう。一口目がうまくいくと、彼はすごく幸せそうに食事をするので、俺もとても嬉しい。自分が食べるのを忘れてしまうほど、俺はそんな緑川を眺めているのが好きだった。だから料理の腕も格段に上がったと思う。本当は毎日料理を作ってもいいくらいに思っているけど、緑川の作る料理を食べられるというのもそれはそれで幸せなことなので、こうして交代制をとっている。彼の作る料理は、本人曰く「超適当な平凡な家庭料理の一部」らしいけど、それもひっくるめて緑川らしくて好きだ、と本人に言ったら大顰蹙を買ってしまった。それ以来、彼は俺の料理に対して少し厳しくなった気もする。


「ヒロト、料理うまくなったよな」
「そうかな」
「うん。明日は俺の番だろ?夕飯は要るのか?」
「……絶対帰ってくる」
「無理しないでいいよ。俺は俺でテキトーにやるからさ」
「嫌だ。絶対食べる。…終電に間に合えばギリギリ帰ってこれる」
「それ既にギリギリのラインだろ。しょうがないな、じゃあチンするだけにしとくから。あっためんのは自分でできるな?」
「できない、って言ったらやってくれるのかい」
「やーだ。眠いもん」
「ね、お願い」


手を合わせて伺うと、どうしようかな、とまんざらでもないような顔で緑川はいたずらっぽく笑い、魚の最後の一欠けらを口に入れた。口元がリズムよく動く。俺は黙ってそれを見ている。テンポのよい会話の応酬。次のスケールが頭の中で予想される、そんな流れで、彼は口を開く。


「今日の魚がおいしかったから、考えておいてあげる」


どうやら今日の魚は合格だったようだ。俺は名前も知らない魚に感謝する。きっと彼は明日の晩もこうして向かいに座って手を合わせてくれるだろう。そしてセオリーを大事にする。俺はそんな予想に愛しさで胸をいっぱいにしながら、堪えきれず身を乗り出して彼にキスを贈った。絡めた舌の先にオリーブオイルとジェノベーゼの香りが広がる。彼は不意打ちに目を丸くして、やがて笑いながらキスに応える。ご飯中に行儀が悪いな、なんて言いながら食卓を囲むテーブルの中心で、何度も何度もテンポを変えて。休符、転調。合間合間の笑い声。


「ヒロトはやっぱり、ずるいね」


緑川の呟きに、俺は笑って、額に口付ける。彼もまた笑って、指を絡めた。
生活はリズムで出来ている。今日はたぶん、アンダンテとモデラートの間で、俺たちは進んでいる。


























ただ食ってるだけっていう文




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