俺たちは走った。朝一番の、まだ太陽に照らされていない空気が束になって耳の脇を通り抜けていく。吸い込むと肺の中まで冷え込むようだ。そして、体中を駆け巡って白い息になって俺たちに置いて行かれる。
光がなくても、薄く影がコンクリートの上を動いていく。二つ重なって、でこぼこに跳ねる影が濃くならないうちに、もっと走らなければならない。
俺たちは多分、逃げたかった。受験からかもしれないし、勉強からかもしれないし、あるいはもっと大きな、何かわからないものから、逃げたかった。中途半端に羽織ったコートが揺れて、まるで後ろを誰かに捕まえられているみたいだ。
あてはなかった。ただ、走っていけばいずれ何かがあると信じていた。冬の空は高いから、朝が来るのが遅いのか、まだ星が追いかけてきている。月は出ていなかった。今日が新月の日の朝でよかった。月が残っていると、振り返ってしまいそうだったから。


「どこまで行きたい?」


綱海さんが透き通るような声で言った。白い息と一緒に俺の耳に入って、俺は耳の奥がキンと張り詰めるのを感じる。


「俺はさ、どこにも行きたくないんだ」


コンクリートを踏みしめる。冷えたつま先が痛みを訴える。


「どこにも着かなければいいのに、って思ってるんだ」


俺は返事を返さずに、綱海さんの背中ばかり見ていた。綱海さんの背中ごしに、星が僅かに光っている。それも一緒に見ていた。綱海さんは振り返らない。
ずいぶん長いこと、俺はこの背中を見ていた。俺はいつでも綱海さんの後ろばかりを追っていて、それが嬉しかった。背番号が変わっても、季節が変わっても。夏が来て、秋が来て、いつしか冬になった。それでも何も、変わっていないじゃないか、と俺は心の中で呟く。(まるで確かめているみたいに。)
今は、こうしてコートで着膨れている綱海さんの背中を見ている。


「おれは、」


口を開くと、冷たい空気が喉の奥に触れた。


「どこまででも行きたいです」


じんわりと白み始める空に向かってそう言った。あいかわらず足はコンクリートの上を駆けていて、もう、一体いくら電柱を追い越しただろう。数えてしまうと悲しくなるから、それはしなかった。道を決めると寂しくなるから、ただただ走っている。サッカーをしていてよかった。まだいくらでも走れるから。
息が弾むのが、不快ではないから。


「そうかア」


と、綱海さんは言ったきり、ただ白い息だけを吐いた。冷たい空気を吸い込むと、鼻の奥がつんとなる。肺に届くまでには、熱い塊になっている。吐き出せば白い息になって出て行くはずなのに、胸につかえて苦しかった。
俺は泣きそうになっていたのだ。
ずっと、この背中だけを見ていたかったのに、今はもう。
後ろ手で、綱海さんは俺の手を引く。指と指を引っ掛けて重ねただけの、電車の連結部分みたいな頼りなさで、俺たちは繋がっている。お互いの指先は冷え切っていて、体温はとうにどこかへ流れてしまった。もう、繋いでいるという感覚もほとんど残っていない。ちょっとでも俺が走るのをやめたら、きっと簡単にほどけてしまうんだろう。
綱海さんのマフラーから、頭の横から、光がじんわりと漏れ出していた。朝日が昇り始めたのかもしれない。俺は半ばあきらめに近い気持ちで、それでも地面を蹴った。泣きそうだ。とうとう、朝になってしまう。明日がやってくる。いつかはたどり着く、明日がやってくる。


「……寒ィなあ、」


そうしたらもう、こうして手を繋ぐ必要もないんだろう。俺は耳の横に流れる息に気づかないふりをして、笑って背中に声をかける。その声も、意味がなくなってしまうんだろう。そうしたらきっと、俺たちは立ち止まってしまうんだろう。
(どこにもたどり着かないなんて、ないんだ)
全部夢ならよかったのに、とこっそり呟くと、指先からわずかに体温が伝わってきて、俺はとうとう泣いてしまった。それでも静かに、しずかに泣いた。綱海さんは振り返らない。それでよかった。前だけ見ていてほしかったから、その先に何かがあると、信じていたかったから。

今日は二月の最後の日。明日にはきっと、桜が咲き始める。








「さむいね」も、もうおしまい。
















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