企画提出文
10年後捏造設定です







「10年後、必ず会いに行くから」





荷造りはもう済んだの、そう問いかける声に返事をして、俺はスーツケースの蓋を閉める。ポケットに切符と携帯電話を突っ込んで、空っぽになった部屋をなんとなく眺めた。もともとあんまり過ごすことのなかった部屋には、ベッドと大きめの本棚があるくらいで、荷物をまとめた、といってもあまり変わらない。毎週欠かさず買っていたサッカー雑誌、小さな盾、ボロボロのグローブ。本棚に飾られているのは、何度も俺を助けてくれた、大切な思い出。それらすべてを置いて、俺はこの部屋を出て行く。

「何も、こんな時期じゃなくてもよかったんじゃない」

見送りにきてくれた家族が困ったように眉を寄せるけど、俺は笑顔で首を横に振った。
年の変わり目の空港は人で賑わって、浮かれた空気が、しんみりとした俺たちにはどこか場違いに感じたけど、何も言わずに並んで歩いた。アナウンスの声が響き、滑走路に飛行機が降り立つのが大きな窓から見えた。早朝の、まだ薄暗い空から、いくつものランプを照らしながらやってくる。俺はあの飛行機に乗って、ここに全てを置いていく。

「今年も来ていたよ」

母さんから受け取ったものを、俺は黙ってコートに仕舞い、切符と一緒に握り締める。
ただひとつだけ、切符と一緒にポケットに忍ばしたものだけが、どうしても部屋に仕舞っておけない自分が情けなかった。





久しぶりに見た東京の空は、あの日と同じようにどんよりと重く湿っていた。冷たいビル風に肩をすくめる。大きな駅を降りてすぐの交差点は人で溢れて右も左もわからない。背の高いビルが押し寄せて、上からも、下からも、酷い圧迫感に息が詰まった。記憶の中のこの場所は、もっと広くて大きくて華やかだったのに。それとも、ここが都心だからなんだろうか。点滅する信号に急ぎ足で道路を渡って、淡い期待と共にバスに乗り込んだ。行き先は、かつて、たくさんの特別な仲間と過ごした場所。都心から離れていくバスは人も少なく、一番後ろの座席に座って頬杖をつく。窓の外には、なんとなく、懐かしい景色が流れ始めて俺は目を細める。少し霞んだ視界の中、記憶と混ざり合う景色が流れていく。目的地についた頃には、バスには自分しかいなかった。ステップを降りて、そのまま進むと、グラウンドが見えた。宙に舞う砂埃が懐かしくて、大きく息を吐いた。稲妻を象ったシンボルマークの大きな校舎が、今も変わらないで堂々とそこに建っている。十年前のまま。
ただひとつ、変わったのは俺が見上げる首の位置だけだ。
このグラウンドでボールを蹴っていた頃から、十年になる。

「立向居?」

不意に声が聞こえて、俺は声のするほうへ振り返る。
「風丸さん!」
「やっぱり!立向居だ」
嬉しそうに声を上げながら、風丸さんが駆け寄ってきた。白い息が棚引いて、彼の影の上に流れていく。
「懐かしいなあ、久しぶり」
「お久しぶりです」
「急に東京にくるなんて。びっくりだよ」
「向こうでやっていた研究が、東京じゃないと追いつかなくなったんです」
俺は現在、大学を卒業し、院へ進学して、博士号を取るための勉強をしている。助手として研究のためにあちこちへ飛び回ることも少なくはなくて、今回もその関係で東京へとやってきたのだ。半ば、教授に無理を言って、連れてきてもらったといったほうが正しいのかもしれないが。
「研究、ねえ・・・」
風丸さんは俺をまじまじと見詰めた。俺は思わず苦笑する。
「風丸さんは・・・」
風丸さんは、白に紺色のラインのジャージを着て、まさに運動をしていた、という格好だった。髪の毛は低い位置で縛ってある。彼は俺の視線に気付き、ああ、と小さく頷いた。
「今、雷門でコーチをやってるんだ」
「すごいですね!じゃあ今も教えてたんですか」
言うと、少しだけ困ったような顔をした。
「まあな。でも俺が教えてるのはサッカーじゃなくて陸上なんだ。宮坂に頼まれてね」
彼は軽く笑い、目を伏せて、元々教えるつもりはなかったんだけど、と小さく呟くように言った。俺は何も言えずに、曖昧に笑うしかなかった。
「立向居は、これから何か予定でもあるのか」
「いえ、特には」
そう答えた後、俺は自分がこうして雷門へ出向いたことに何の目的もなかったことに気付いた。きっと風丸さんには変に思われたかもしれない、と心の中で僅かに狼狽したが、風丸さんはそっか、と答えただけだった。
「じゃあ、どこか寄ってかないか?」
「でも・・・練習は」
「大丈夫大丈夫、あとは宮坂が適当にやってくれるよ」
せっかくの年の瀬に、子供の相手ばかりもしていられないよ、と風丸さんはおどけたように言ってみせるので、俺は思わず大きく頷いてしまった。月日も年も関係なく、こうして話ができていることが、とても不思議だと感じながら。



そして、俺は三杯目のビールを傾けた。
「もう少しゆっくり飲んだ方がいいんじゃないか」
そう俺を気遣う風丸さん自身も、既に一瓶を開けた後だった。昔話や、当時の仲間たちの話をしていると、心地よい酔いが回ってきてついついグラスを空けてしまう。俺は酒に強くないので、成人して堂々とお酒が飲めるようになっても進んで飲むことはしなかった。でも今日はなんだか、酔って、酔って、酔い潰れてしまいたかった。
「立向居は、どうしてこっちに来たんだ」
グラスを置きながら、唐突に風丸さんは尋ねた。俺はフワフワとした気分のまま、ビールに口をつけて飲み干した。
「だから、研究が・・・」
「本当か?」
俺の心臓が跳ねる。風丸さんが目を細めて俺を見た。
「なんにも連絡しないし・・・この時期に急にって非常識すぎる。もし本当なら、少し文句言ったほうがいいぞ」
「そう、ですね・・・」
どくどくと心臓が急に活発に動き始める。アルコールが回り始めた体が火照って、耳元にすぐ、心臓の音が響いた。風丸さんは、相変わらずグラスを傾けながら俺を覗き込んだ。その視線から逃れたくて身をよじると、コートの中の紙切れが足に当たった。


俺が何度捨てようと思っても捨てられなかったもの。
それは、何の変哲もない年賀状だった。
毎年、年の変わる少し前に送られて来る、白紙の年賀状。十年前の約束が、毎年のように送られてきて俺を縛る。
だから捨ててしまいたかったのに。
気付けばそれは、十枚の束になっていた。


「立向居?」
心配そうに風丸さんが肩を叩いたことで、俺は我に返った。瞬きを何度かしていると、彼はほっとしたように息を深く吐き、目を瞑った。
「もう飲まないほうがいい。泊まるところは?」
「・・・駅の近くのビジネスホテルに・・・」
「本当にノープランだな・・・。まあいい、駅前だな」
「すみません・・・」
風丸さんは携帯電話を取り出し、誰かと連絡を取っていた。ぼんやりとした頭ではうまく状況が飲み込めないが、おそらくタクシーを呼んでくれているのだろう。俺は心の中で感謝をしつつ、早く頭を覚ますために水を胃に流し込んだ。
「迎え呼んだから・・・もう外で待ってるはずだ」
「本当にすみません・・・ありがとうございます」
会釈をして、代金を置いて席を立とうとする俺を、風丸さんが引きとめた。俺が出したお金を、無理やりポケットに突っ込まれる。
「今日はおごりでいいよ。あとで払わせるから」
「えっ・・・でも・・・」
「先輩命令だ、ホラ、早く帰れ。がんばれよ」
「は、はい」
言葉の意味もわからず、俺はただ背中を押されるがまま店を出た。まだふらふらと覚束ない足取りのまま、向かいの狭い道路を見ると、シルバーのクラウンが止まっている。
そこからドアを開けて出てきた人物を見て、俺は絶句した。


「十年だ」


黒いスーツをラフに着た、長身の男の人――桜色の髪は相変わらずだ。俺は口をパクパクとさせたまま、急激に酔いが醒めていくのを感じた。
どうして。
その場から動けない俺に、彼はどんどん近づいてくる。暗い空の下に光るネオンがぼやけてただの背景になっていく。それ程、俺の視界を彼が占めているのだとぼんやり思い、俺は目を見開いて現実を眺めた。
十年越しに見た彼――綱海さんは、十年前と変わらない顔で俺に笑いかけたのだ。


「どうして」
「約束だったろ、十年後、会いに行くって」
「うそだ」


俺は瞬きも出来ずに、ただ綱海さんを見つめた。綱海さんは少しだけ目を伏せて、ガードレールに腰を下ろした。足を組んで、小さく白い息を漏らす。

「・・・嘘かもな。だって、ドアを開けても立向居はいなかったから」
「・・・・・・」
そこでやっと、俺は目を閉じた。


十年前のあの日、俺と綱海さんは長い先の、未来に約束をしたのだ。受話器の向こう、お互いにお互いが恋しくて仕方がなかった俺たちは、毎日のように連絡を取り合った。はじめは、それだけでよかった。しかしそれから、恋しさが愛しさに変わったとき、俺は気付いてしまった。俺たちにはそれぞれの生活があって、未来があって、進むべき道も、あったのかもしれない。そう、気付いてしまったのだ。
これは、これ以上進んではいけない道なのかもしれないと。
「綱海さん、もう限界なのかもしれません」
初めに言ったのは俺だった。震える声を必死に隠して、ズボンを皺だらけにしながら、何とか言った言葉に、どんなにか愕然としただろう。綱海さんが一瞬息を呑んだのがわかった時の、あのなんともいえない悲しみを思い出すだけで胸が痛むほどだった。これで終わりにしようと思った。それでも決定的な言葉を口に出せなかった俺に、綱海さんは言ったのだ。
「十年待って欲しい。そうしたら、必ず会いに行くから」
好きも愛してるも言ったことがなかった俺たちの、十年の執行猶予。それでも、電話越しの口約束にずぎなかった。

だから、俺は逃げたのだ。
彼の優しさに甘えてしまわないように。



視界が滲み、俺は慌てて下を向いた。鼻の奥がつんとして、嗚咽を抑えたために、肋骨がきしんだ。自分の情けなさに腹がたつ。でも、どうしようもなかった。
「全部終わりにしよう、なかったことにしよう・・・って思ったんです。だから全部おいてきた。・・・あの部屋は、俺の全部です」
「・・・・・・」
「今、俺は何もない・・・十年、経っちゃったんですよ」
綱海さんの視線が刺さるのがわかった。俺はなんとか息を飲み込んで、力なく笑う。すべてが諦められる気がした。
「でも、俺はそう思ってない」
強く、しかしゆっくりとした声で綱海さんは言い、俺の腕をつかんだ。心臓が大きく脈打つ。でもそれは、昔に感じたものではなく、強く押しつぶされるような痛みを伴って、ただただ、しぼむ。つかまれた腕がじんわりと痛んで、熱を孕む。
「・・・毎年、年賀状が届くんです。毎年、捨てようと思った・・・!」
俺はコートのポケットに手を入れる。すると紙の束に手が届く。握り締めようとしたけど、自分でも驚くほど、力が入らなかった。
「でも、だめでした」
俺は今、きっと酷い顔をしているんだろう。でも、だめだった。
「だめだったんです・・・!」
ぼろぼろ、涙が零れ始めて、とめられないんだ。
「・・・ごめんな」
綱海さんは、大きな手のひらで頬をぬぐった。綱海さんの手は熱くて、とても優しくて、俺はされるがままになった。涙の粒だけが彼の手を濡らしていくのがわかった。
「十年も待たせちまったな。俺自身も、すっげー賭けだった・・・。でも、ずっとこうしたいと思っていられた」
綱海さんの手が離れていき、頬に冷たい空気が触れた。それを慰めるように、生温い水が伝って流れていく。
「受け取ってほしいんだ、これでお前が完成だって言うなら」
そういって、ポケットに大きな手が滑り込む。先ほどのお金と切符が音を立てる。風丸さんの、がんばれよ、が聞こえてくるようで、俺はこぶしを握った。コートのポケットに大きなふくらみが残されて、俺は目を見張る。
こぶしに触れたのは、あの部屋に置いてきた、ボロボロのグローブだった。
「・・・これ」
俺は顔を上げる。もうなにもかもがぐしゃぐしゃだ。顔も、ポケットの中も、俺の逃げ出した理由も。

「これで、完成」

綱海さんは俺と同じように、くしゃくしゃの顔をして、笑った。


十年の歳月は、子供だった俺たちには気の遠くなるような月日だった。十年たって大人になった俺たちは、再会した時どうなっているのだろう?お互いのことを忘れて、まっとうな人生を歩んでいるんだろうか?そうであってほしいと本当に思っているのだろうか?
でも、イフはイフのままだった。今、俺も彼も、きっとそう思っているに違いないのだ。

「会いたかった、立向居勇気」

そして俺たちは、十年越しに、お互いの温度を感じたのだ。











本当は痛いくらいに、わかってた










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