わいわいとみんなで更衣室に着替えに入るこの瞬間が、俺はいつも好きだった。なんだか部活動みたいで、この時間が永遠に続くものみたいに思えてしまうのが好きで、そうじゃないと思ったときにとても寂しくなった。
汗とか泥とかのついたユニフォームを、マネージャーに申し訳ないなとか思いながら籠へ放り込んでいると、目の前に見慣れた背中がないことに気が付いた。
「なあ、鬼道」
「どうした、綱海?」
「立向居知らねえ?」
そう、豪炎寺と話をしていたところに割り込んでたずねると、鬼道と、その周りもこぞって首を傾げた。
「あ、立向居なら特訓するとか言ってたから、まだグラウンドなんじゃねえ?」
鬼道の後ろから染岡が顔をのぞかせて言った。
「特訓?円堂とか?」
「俺がどうかしたのか?」
口にした途端、ドアが開いて当の円堂が入ってきたので思わず硬直した。立向居の特訓といえば円堂、という方程式が、なぜか俺の中にあったので。
最近、立向居は皆より遅れて更衣室に現れることが多くなっていた。
「円堂、立向居を見かけたか?」
硬直した俺を見兼ねて鬼道が円堂に尋ねた。円堂はチラリと俺を横目で見た。
「ああ・・・立向居なら、少し走ってからくるって言ってたぞ」
歯切れの悪い円堂の言葉が少し気になった。





一人きりで開ける更衣室のドアはひどく重たい。
最近は特に、ため息と共に開けることが多いから、尚更だ。
夕日はとっくに海の向こうで、夕ご飯の時間まであと少し。砂浜の走り込みで砂だらけのユニフォームをさっさと籠へ放り込む。一人きりの更衣室はとても静かで、なんだか少し空気が冷たい気がした。ユニフォームを脱ぐと、汗でベタついた体に湿った空気が張り付いた。
「ひっ」
突然、背骨を指でなぞられて思い切り肩が跳ねた。勢いよく振り向く。
「つ、綱海さん・・・!?」
「よお」
綱海さんがしたり顔でこちらを見ていた。
「なんですかもう・・・!」
そのまま静かに後ずさって、俺の後ろにしゃがみこんでいた綱海さんからわずかに距離をとった。
「やー最近この背中見てねえなーって思って」
だから、つい。
にかっと笑いながら人差し指をくるくる回すしぐさに、なんだか脱力してしまう。
「ついじゃな・・・」
そこで俺は息を呑んだ。
綱海さんは急に立ち上がって、一気に俺に詰め寄った。至極真面目な顔が俺をすぐ近くから見下ろしている。
さっきまでとは、まるで違う人みたいに。
「立向居」
低い声で名前を呼ばれて、俺は体がこわばるのを感じた。ゆっくりと追い詰められて、背中にロッカーの冷たい感触がした。耳のすぐ横に、綱海さんの腕が見えた。
俺は細かく息を吐く。
逃げられない、と思った。




「最近避けてねえ?」
ため息と共に口から出たのはそんな言葉だった。
壁際に追い詰めて、その上から覆いかぶさった状態で、本当なら腕の中に閉じ込められたこの可哀相な後輩に、キスしちゃおうかなとさえ思っていた。
怒るつもりはなかったし、むしろ頭の中はひどく冷静だった。いや、別の意味では興奮状態だったのかもしれない。だからだろうか、思ったより声は低く響き、怯えた目が腕の中からこちらを見ていた。
ああ、そんな顔させたくないのに。
だから俺は、己のふがいなさに心の底からため息をつき、立向居がこうして怯える理由を尋ねたのだった。
すると立向居はそろりと顔を上げ瞬きを何度かして、展開についていけない、というように俺を見た。
「最近よく一人で特訓してるけど・・・なんかサッカーの時以外に大勢でいるの、避けてねえ?特に、俺といるのとか・・・特訓にも誘ってくんないし」
ちょっと前までは、俺と立向居はセットでよく特訓をしていた。特訓以外でも、二人でいることがこのほか多かったように思う。
でも最近は、少しの時間を一緒にいることも少ない。
俺たちが、いわゆる恋人同士になってから。
立向居は目を泳がせながら、必死に何かを考えているようだった。そんな様子に、俺の心の中に冷たい何かが駆け抜けた気がした。
「本当は、嫌だったんだよな。俺とこうゆうカンケイになんの。でも」
言葉を続けようとして、立向居が急に抱きついてきたので遮られた。
「違うんです・・・!」
ずっと空気に晒されていた立向居の体は、つめたく冷えていた。




言ってしまった、と思った。
綱海さんと俺はいわゆるコイビト同士ってやつで、友達でも家族でも親戚ですらない初めての関係性に俺はひどく戸惑った。なのに、綱海さんはいつもと変わらないで接してくれた。俺はますますわからなくなって、知識を寄せ集めた。
すると、とても恥ずかしくなった。
たとえば、綱海さんと話している内容全部が、話しているという行為を誰かに見られているということが、話すというその行為自体が。
そして、ふとしたときに綱海さんをかっこいい、と思ってしまうことが。
今だって、こんなに追い詰められて、怖くて仕方ないはずなのに、近くに見える真面目な綱海さんの表情に、ドキドキしている自分が嫌だった。
だから、逃げていた。
俺は顔を上げて、ゆっくりと瞬きをした。
「違う、けど、逃げていました」
なんていったらいい、何を言っても言い訳にしかならない。
追い詰められたとき、ひそかに何かを期待している自分がいた。なのに綱海さんはどこまでも優しかった。まだなにも始まっていないのに、俺のせいで綱海さんは終わらせようとしてくれている。
でもそれじゃだめなんだってことぐらいは知ってる。
「俺は、綱海さんと一緒に特訓とか・・・過ごす時間が好きです。でもそれは・・・関係が変わったら違ってしまうものなのかもしれないと思った。どういう風になるのか想像ができなくて・・・だから逃げていました」
「どう変わるのか、怖かった?」
「それもあるかもしれません。でも・・・たぶん・・・恥ずかしかったんです」
俺は綱海さんの服のすそを握り、言ってしまった、と再度思った。





そして俺はとうとう立向居を抱きしめてしまった。冷たい背中をさすると鳥肌が立った。でも、鼓動がどくどくと伝わってくる。
関係によって変わるものが恐ろしいと立向居は言った。そしてそれは彼にとってとても羞恥に感じることだとも言った。
でもこうして抱きしめあってることも立派な変化だとは思わないか。
愛しさが募って、お互いに早鐘のような鼓動で、これが試合のハグだなんて到底言わせない。
俺は大きく息を吐いた。
「ごめんな」
「・・・やっぱり、もう、お別れですか」
ぎゅうと立向居の腕の力が強くなる。言葉はとても聞き分けがいいのに、まったく意地っ張りで素直じゃない。俺は立向居の腕を取って拘束を解き、ジャージを羽織らせた。切なげな眉と、すがるような目が俺を見上げる。
俺は笑って、立向居をもう一度、壁際に追い詰めた。
「違うぜ」





ジャージの暖かさに身震いをすると、肩を押されて気が付けば俺はロッカーにもたれかかっていた。今度は、冷たくはなかったけど。
綱海さんで覆われた視界が突然広がって、さよならだとばかり思っていた俺はただ黙っているしかなかった。
「違うぜ」
綱海さんは不敵に笑って、俺に近づいた。どんどん、ちかくなる。
「俺はお前を手放せそうにないってゆう、ごめん、だ」
そして額が合わさった。
合わさった部分から、じゅう、と音がした気がした。









これが早く唇になればいいんだけど、と綱海は思った。

これが唇だったら自分は死んでいた、と立向居は思った。







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