「前髪のびたなあ」


流しの前、ふと鏡に映った自分を見て呟いた。前髪が瞼を覆って、瞬きする度目にはいってしまいそう。俺は前髪をつまんで持ち上げた。円堂さんみたいにヘアバンド…はどうだろう、と思ったけど、たぶん似合わないに決まってる。俺は小さくため息をついた。

「切らないとかなこれは…」
「なにしてんだ?ため息ついてよ」

鏡の中に急に綱海さんの顔が並んで、思わず振り返ると横顔が隣にあった。綱海さんはいつも突然だ。びっくりして口を開けたり閉じたりしている俺をよそに、綱海さんはまじまじと鏡を見つめている。見ているのは鏡なのに、なぜだか視線が刺さる気がして落ち着かない。

「立向居おまえ、前髪のびたなア」
「はい。だから切ろうかなって…視界が悪くなるとシュートもよく見えないし」
「ヘアバンド…は、似合わなそうだもんな」

しみじみ言われて、自分でも分かっていたことだったけどなんだかムッとしてしまう。綱海さんはそんな俺を見て苦笑して、頭をわしわし撫でた。

「よっし、んじゃ俺が切ってやるよ!」
「何をですか…?」
「前髪。」
「えっ…前髪って…」

何か恐ろしいセリフが聞こえて、俺が思わず聞き返した時には、綱海さんは既にマネージャーにハサミを借りに行ってしまっていた。

「よォ〜し、いいかね立向居くん」

ハサミとクシを無事に借りることができた綱海さんは、楽しそうに俺を部屋に引っ張り、食堂から椅子を借りてきた。俺はパイプ椅子に座り、ゴミ袋を被って縮こまる。
どうしよう、すごく不安だ。
俺は前に一度、大海原で綱海さんが野菜を切っていた姿を見たことがある。ちゃんと見ていたわけじゃないけど、だいぶ荒々しい包丁さばきだった気がする。

「綱海さん、誰かの髪の毛切ったこととかあるんですか?」
「イヤ、ない。」
「えっ」
「なァ〜に心配すんな!俺、工作だけは得意だったし」

そういう問題じゃない、と言う前に顎をつかまれて、俺は目を強くつぶった。軽い音と共に、鼻先に髪がパラパラとかかる。もうここまできたら諦めるしかない、そう思って、俺は大人しく椅子に座ることを決意した。
そっと薄目を開けてみると、すぐそこに綱海さんの顔があった。真剣な眼差しでこちらを見ている。薄目だからばれていないはずなのに、目が合った気がして心臓が跳びはねた。前髪に伸ばされた指が軽く髪に触れる。その手つきがイヤに繊細で優しい。これ以上はまずい、なんだかそう思って再び目をぎゅうっとつぶる。

「………」
「………」

沈黙が続いて、俺の心臓は限界を超えてしまいそう。実は音が外にまで聞こえてるんじゃないかとすら思った。早く終わってほしいのに、一向に髪が切られる気配がせず、なんだかじれったい。
けど、目を開けることは出来なかった。
だってあんな真剣な目を直に見てしまったら、それこそ心臓が破裂しそうで、だから俺はじっと耐えているしかなかった。膝の上で握ったてのひらにじんわりと汗をかいているのが分かる。
すると前髪をいじっていた手が離れ、唇に何か温かい感触がした。
俺は目を開ける。
さっきより更に近いところで、綱海さんと目が合った。ぺろ、と唇が舐めとられて、顔が離れていく。

キスされていたとわかるまで、少し時間がかかった。


「……!なにするんですか!」
「…っとお、悪ィ、ついな」
「し、信じられません…」
「だって毛がついてたから」


俺は火がついたみたいに顔を真っ赤に火照らせて綱海さんを睨んだ。綱海さんはというと、へらへらと笑っている。思わず身を乗り出して文句を言おうとしたけど、

「ホラ、まだ終わってねえんだからじっとしてろって」

そう肩を押されて、もう一度キスをされた。これはオマケな、なんて言いながら。
俺は離れていく綱海さんを目で追いながら、恥ずかしさと悔しさとなんか色々な感情に襲われてしまう。俺はいつだってキスのひとつでいっぱいいっぱいなのに、この余裕!
綱海さんがハサミを握りなおしたのに気付かず、近付いてくる綱海さんから逃げようと、俺は思いっきり頭を振った。

「わっバカ!」

シャキン、小気味のいい音が響いて俺は頭を上げる。ハラハラと髪の毛が落ちていくのが見えた。かなりの量だ、これはまさか。

「あ〜あ…急に動くなよ…」
「け、怪我とか大丈夫ですか?!」
「んお?毛が?毛は一大事だぜ」

ほら、と綱海さんがくれた鏡を覗きこむ。まさか、と思ったけど綱海さんに怪我はないようだった。ひとまずほっとする。しかしそれも束の間、鏡に映った自分をみて、俺は一気に青くなった。
前髪が、ほとんどなくなっている。

「ない……!」

綱海さんは頬を掻きながら、少し困った顔をしていた。

「まあ…ドンマイとしかいいようがねェな…大丈夫か…って言うのもヘンだけどな」
「いえ、大丈夫です、けど…」
「ほら…なんだ、視界が広くなって見やすいだろ、だぶん…」
「そうですよね…うん、そうですね」
「急に動くなよな…刃物持ってたし危なかったぜ。むしろあれだ、前髪だけで済んでよかった」
「はい、…すみません」
「ていうかそこまでして逃げたかったのか…?俺、ちょっとショックなんだけど…」
「それは…、」

前髪は四センチ程までになってしまって、眉毛とおでこが丸出しの顔が鏡の中からこちらを見ていた。その後ろから綱海さんが覗き込んでいる。鏡の中で目が合って、俺はなんだか焦ってしまう。だって言えるわけがない。
しかし言いよどんだ俺に構わず、綱海さんは真っ直ぐに俺を見ていた。ショックだった、という言葉は、結構本気だったみたいだ。俺は口をパクパクさせて、必死に言葉を探した。

「…悔しくて」

でも結局見つからず、本当のことを言うしかなかった。鏡から目線を外して、俯いたまま小さく言った。

「綱海さんはいつも余裕があって、やっぱり年上なんだなあって思って。だから、その、…悔しくて、」

言い終わるか終わらないかのうちに、首元を引き寄せられて、息が詰まった。そのまま、呼吸が塞がれる。酸素が足りない頭が思考を奪っていくのが分かった。触れるだけのキスしか俺達はしたことがなかったけど、もしこれ以上があるなら、きっと何も分からなくなってしまうんだろう。そんな気がした。
最後にリップ音を響かせて、名残惜しそうにゆっくりと唇が離れる。

「おまえさ、」
「はい」
「もう前髪伸ばすなよ」
「無理ですよそんなの、」
「それで俺を見てろよ」
「つなみさん、」
「俺だけみてろよ」

ぎゅうと腕の中に押し込められて、ゴミ袋が音を立てた。そういえば俺は美容院スタイルのままだったことに今更気がつく。
前髪を切って、今までより開けた視界で、自分だけを映せと綱海さんは言う。なんて恥ずかしい台詞だと思ったけど、なんだかサマになるのがまた、悔しい。
ぎゅうぎゅう抱きしめられた胸の中、綱海さんの心臓の音を聴いて、俺はほっとする。
なんだ、俺と一緒じゃないか、って。

「俺、今のお前の前髪、好きだぜ」

それから、今日で何度目かのキス。
おでこから降り始めて、唇へ降りてきたとき俺はちょっとまったのストップをかけた。

「まだ髪の毛、ついてますか?」

綱海さんは首を振った。

「これはホントのキス!」




























なんか見誤りました。甘ェ…すべては89話のせい。
ネタかぶりがとても恐ろしいです。




おまけ





秋「あれ、立向居君、今日なんかちがうね」

立「前髪のことですか?」

秋「あ、前髪ね。ううん、それもあるけど」

立「?」

秋「なんかキラキラしてるよ、いいことあった?」

立「!」

秋「前髪も、自分で切ったの?」

立「な、なにもないですよ!失礼します!」

秋「?」




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