愛と恋の狭間

 フトマキという博士がリッシ湖のほとりの沿岸沿いに住んでいる。
 ポケモンの足跡を研究している人で、連れ歩いているポケモンの気持ちが足跡を見ただけで分かるという。以前シンオウへ来た時に少しだけ立ち寄ったことを思い出した。
 そんなフトマキさんの話をどこで聞きつけたのか、面白そうだからナギサへ行く前に寄ってみようと言い出したのはナマエだ。

「それで……、本当に足跡から分かるんですか?」
「信じられない、って顔ですね。いいでしょう!ここへジャローダを歩かせてご覧なさい」

 さあ早く!とフトマキさんが室内に敷かれた砂の上へとジャローダを誘導する。付き合いの古い一番の古株だ。俺とジャローダの関係が数年でそう易々と変わるとは思えなかったが、隣のナマエが食い気味に身を乗り出しているものだから、そんなことはまあ別にいいかと思ってしまう。

「ええと?『トウヤはとっても凄いのよ!わたしが最高の力をだせるのも彼のおかげ。人間にしておくなんて勿体無いと思うの!』――と、ジャローダは思っているようだね」
「ふふっ……、人間やめない?って言われてるんだ?」
「随分前に断ったけどな」

 面白いねなんて肩を揺らしてナマエが笑う。
 同じ事を以前も言われたなあと懐かしく思っていると、まだ言いたいことがあると言いたげにジャローダがひと鳴きし、砂浜の上をするすると這っていた。その様子を見たフトマキさんはどれどれと足跡を覗き込む。

「驚いた……!こんなの初めてだ」
「ジャローダ、なんて言ってるんですか?」

 すごいですよ?と前置きし、彼は続ける。

「あのですね、……『だけど、トウヤが人間じゃなくなったらナマエが悲しむから諦めてあげたの。ナマエはトウヤの事大好きだもの、そんな可哀想なことできないわ』」
「おぉ、」
「えっ?ちょ……!待って、ジャローダ何言ってるの!」
「『私、トウヤが一番大好きなのには変わりないけど、同じくらいナマエも好きなの。大好きな人が悲しむことはしないわ!ずっと一緒にいたいくらい!他のみんなも同じ気持ち、勿論トウヤもね。ナマエ大好きよ、これからもよろしくね』――、だそうです。自分のトレーナーじゃない人への気持ちまで読ませてくれた子は、彼女が初めてですよ」
 
 あなたは相当好かれているんだねえ、なんて言ってフトマキさんが微笑んでいる。本人はジャローダからの熱烈なラブレターに、すっかり静かになってしまっていた。言葉にならないというように口をパクパクさせている姿はまるでコイキングだ。
 足元へ巻き付いてきたジャローダが、いい仕事をしただろうと言わんばかりの表情で撫でろと頭を差し出してきた。こちらにも何発か流れ弾が飛んできたようにも思うが……、今回は目を瞑ることにする。

「ナマエのおかげで俺はまだ人間でいれるみたいだな」
「もう!トウヤまでからかわないでよ!」
 
 耳の端までオクタンみたいに真っ赤にした顔がだんだん眉間へシワを作り出したので、これ以上は辞めておこうと大人しく口を閉じた。
 けれどまあ、来てみて良かったかもしれない。ジャローダを撫でながらそんな事を考えた。
 俺の手持ち達はみんなナマエにすっかり懐いてしまっているが、当の本人はあんまりその自覚が無いらしいから。だから今回のジャローダの告白、もとい暴露大会はいいきっかけだと思う。流石にこれだけ言われておいて好かれてないとは言わせない。
 ジャローダもみんなも、同じ気持ちか。独り言のように呟いたが隣のジャローダにはしっかり聞こえていたらしい。まさかここにきて相棒からのアシストが入るとは、全くの想定外だった。
 じっと見つめてくるルビーみたいな綺麗な瞳に小さく笑い、もう一度首元に手を伸ばした。
 

 ***


 トウヤが出るというエキシビションも、早いもので明後日へと迫っていた。つまりこの旅行ももうすぐ終わり。四日後にはイッシュに戻ることが決まっている。
 あしあと博士の研究所を出て、私たちが最後の滞在地ナギサシティに到着したのは一時間程前の事だ。やっとホテルに着いたと思いきや、ちょっと買い出しに行くと言い残したトウヤはサザンドラを連れてもう一度ナギサの街に行ってしまった。明後日の準備と、貰い損ねたリボンがどうのこうのと言っていたっけ。ここに居るのはみんなお留守番組だ。
 少しづつ帰り支度を進めながら、旅中の楽しかったあれこれを振り返る。生で見たコンテストはやっぱり迫力がすごくて圧倒されてしまったし、半分も歩いていないとはいえ自分の足で歩いたシンオウ地方の事は一生忘れられない。
 トウヤが普段見ている旅の景色を少しだけ覗き見れたような。そんな旅行だったと思う。
 
「うわぁ!凄い……!」

 部屋のバルコニーへと移動すると、外は丁度夕日が落ちかけていた。水平線と空が混ざっていく景色が視界いっぱいに広がり、とても綺麗な光景に思わず声が出てしまった。
 そんな私の声を聞きつけてか、部屋の奥で遊んでいたはずのエルフーンが足元まで転がってきた。ほら、外すごいよと抱き上げてやり、一緒に海を見る。
 親子のようで兄弟のような、ある時は恋人のような。トウヤたちのそんな不思議な関係が時々羨ましかった。じゃれ合う姿は兄弟そのもので、トウヤに窘められているときの彼らは子供のよう。だけどお互いを見る目はとても温かくて、慈愛に満ちている。
 言葉が通じないのにお互いの事を理解しているし、彼らの会話はまるでテレパシーでやりとりしているのかと思うほどスムーズだ。言葉はいらない、まさにそんな感じ。
 仲がいいなあとはずっと思っていた。だけど、シンオウに来て彼らの様子を間近で見て、それが羨望の気持ちへ変わるのにそんなに時間はかからなかった。あの輪の中に入りたい、そう思う事が増えていた。
 なのに、私はなんにも気付いていなかったらしい。昼間の出来事を思い出す。私の事が大好きで、他のみんなも同じ気持ちだと、そう言ってくれたのはトウヤの一番の相棒だった。

「びっくりしちゃった。あ、嫌われてるとは思ってないよ?でも、あんな風にみんなが思ってくれてたなんて全然気付かなかった」

 エルフーンの綿毛に顔を埋めると、小さな手でぎゅっと腕に抱きついてきた。顔を覗き込めばにこにこと嬉しそうにこちらを見上げていた。お昼のジャローダと同じ顔だ。
 
「お前も相当鈍いよなあ」
「……!帰ってたの?!」
 
 居るはずの無い声に振り向くと、いつの間に帰って来たのかトウヤがバルコニーの入口に立っていた。人の事言えるほどじゃないけどなんて言いながらも怪訝そうな表情で眉を顰めている彼へ、帰ってきたなら声くらいかけてよと文句を飛ばす。

「流石にもう気付いたんじゃない?」
「……あんな熱烈に告白されたら誰だって気付くよ」
「割と前からみんなナマエの事大好きだったのになぁ」

 芝居じみたように部屋の中へとトウヤが声を投げると、それを合図にぞろぞろと他の子達が集まってきてしまった。
 ランクルスが自分もと抱っこをせがみ、ウォーグルが近くの手すりに止まり顔を寄せてくる。ズルズキンには腰の当たりへ抱き着かれ、サザンドラがにこにこ顔で私の頭を甘噛みしている。そんな感じで揉みくちゃになっている私の様子を、トウヤの隣でジャローダが満足そうに眺めていた。

「わ、!待ってみんな!」
「やっと気付いたか、って思ってんだろうな」
「わかった、私が悪かったって……!ちょ……!トウヤ助けて!」
「やだよ」

 しばらくそうしてたら?なんて笑うトウヤ。意地悪く楽しそうに笑っているけど、それ以上に嬉しそうで、凄く柔らかい暖かい笑顔。ポケモンたちを見る時と同じ、慈愛に満ちたあの表情。向けられているのは、――。

「……、あ」
「は?」
「えっ?あっ、なんでもない……!」

 トウヤのあの目が私に向けられて、ジャローダたちにも囲まれて。そこでようやく気付いたのだ。これでは鈍いと言われても仕方がない。
 恋はひとりでも成り立つが愛は相手がいないと成り立たない。いつか言われた言葉を思い出す。
 ――シロナさんの言ってたことって、そういう事だったんだ。
 夕方で良かったな、そう思いながらエルフーンに顔を埋める。自分でも分かるくらい顔が熱い。きっと今の私は首まで真っ赤なんだろう。


恋も募れば愛となる