愛と恋の狭間

 繁華街でウロウロしていたら変な二人組に目を付けられた。別にナンパひとつ上手く交わせないほど馬鹿では無いとは思っている。こういうのは返事をせず目も合わせないに限る。いつもならそれで十分撒けるのだ。
 だが、今日に限って私が居るのは見ず知らずの土地で、連中の一人に腕を捕まれ、ライブキャスターの充電は切れている。
 とにかく腕を振り払い、全力で闇雲に走ってしまったのが良くなかった。気付いたら街の何処にいるのかもどこから来たのかも分からなくなっていた。
 あの時私が向かった先がポケモンセンターだったなら、もう少し結果は違っただろうに。そう酷く後悔したのはもう手遅れになった後だった。
 どうしたものかと独りベンチに腰掛けるも、こんな薄暗いところに長居はしたくない。トウヤがいつ帰ってくるかも分からないし会える気もしなかった。
 かなり走って来てしまったし少し休んだら明るい方に戻ってみよう。それから、ポケモンセンターの場所を聞いて、もうずっとそこに居ればいい。
 そうすればきっとトウヤは見付けてくれるだろう。多少は怒られるかもしれないが、これが今私に出来る最善案な気がしていた。

「お姉さん足めっちゃ早いね〜」
「びっくりしたよ俺たち」
「……はぁ、まだ居たんだ」

 シンオウの男は執拗い性質なのか。聞き覚えたくもないその声にげんなりして顔を上げると、先程撒いたと思っていた二人組にベンチの前を塞がれていた。

「邪魔!人待ってるの、どっかいって」

 流石の私も、こんな状況でガン無視できるほどのスルースキルはなく、とりあえず離れろと声を張り上げる。
 あんまり良くない状況かもしれない。こんな薄暗い場所、誰も通らないだろうし……。どうすればこの場から逃げられるだろうか。
 いよいよ手詰まりになったところで、彼らに追い回された時の事をふと思い返す。私を追いかけている時のあの嫌な笑顔。トバリの街はそれなりの数の道が交差しているのに、なんでこんな薄暗い街の外れまで来てしまったのか。
 無茶苦茶に走ってきたようで、実はコイツらに誘い込まれていたら?私の見るからに観光客の格好は、彼らに土地勘なんて無いことを教えていたのろう。街の隅に、薄暗いこの場所に誘導されていたとしたら合点がいく。

「っあんた達、ここに来るって全部分かってたんだ?」
「いいじゃん、ツレ来ないんでしょ?」
「飯食いながら待ってようぜ」
「あのねぇ……」

 二人組が笑う。ザラザラとした目で、あの嫌な笑顔を浮かべている。
 食事の出来るような店なんてどこにも無い所まで誘導しておいてよく言うわ。
 ついさっきまでは冷静にこの場から逃げる算段を付けていたのに、そんな男達を見たらもう全てどうでも良くなってしまった。
 頭に血が上るのが分かる。会話すら返さなかったのに、そんな相手にここまで執拗に追い回すなんて。本当にどうかしていると思う。しつこい男は、というよりそういう悪意に満ちた人間は大嫌いだった。
 こういう時、人は火事場の馬鹿力を発揮する事を私はよく知っている。ずっと昔に似たような事があったのだ。スラスラと煽り文句が口をついて出る。
 その勢いのままに私が不満をぶちまけていると、目の前の男達が言葉を失っていた。そんなものはお構い無しに、黙ってないでなんとか言えと畳み掛けるように捲し立てた。

「だいたいもっとマシな誘い方ないわけ?!私そんなぬっるい誘い文句で簡単に着いていく馬鹿じゃないから!」
「んだテメェ!ブスが調子乗ってんじゃ、」

 こいつ今ブスって言った?!さっきまで散々追い回して食事に誘っていた相手にブスだなんてなんて奴なの。
 売り言葉に買い言葉で続きを口にしようとすると同時に、目の前の男が腕を振り上げた。
 流石にこれはまずいかもしれない。というか絶対やばい。口喧嘩では負ける気がしなかったが、体力勝負になると話は別だ。人数不利以前に、私に殴り合いの喧嘩の経験や護身術の心得なんてものがあるはず無かった。
 そこでようやく自分の選択が誤っていた事に気付くが、もう既に目の前まで迫って来ていた所だった。
 
「俺がツレだけど、なんか用?」

 来るであろう衝撃に目を瞑るが、一向に振り下ろされる気配はない。その変わりに新しい声が割って入ってきて、自分が私のツレだと言っている。
 お前も誰なんだと顔をあげる。そこには見知った顔が、だけど見た事もない怖い目をして私と彼ら間に立っていた。

「……えっうそ、トウヤ?!」

 多分連絡が付かない私を探しに来たんだろう。けれどこんな人気の少ないところでまさか会えるとは思っておらず、思わず声が裏返る。
 私を背中に隠すようにして庇い、男の手首を思い切り捻るトウヤ。相当力を込められたらしく、男が振りほどいた腕には痛そうな跡が残っていた。それには私も思わず顔をしかめてしまう。
 そこからの事はあまり覚えていない。
 トウヤがボールに手をかけてから、空気が一瞬で凍りつく。いつの間にかゼクロムも出てきていて、その場の主導権は完全にトウヤにある事が伺えた。
 後ろから覗き見た彼の茶色い瞳は、これ以上ない程に鋭く光っていて、私は上手く息が出来なかった。
 彼らが何か話しているが全く耳に入ってこない。けれど二人組が血相を変えて去っていったのが見えた。トウヤの顔もいつもの表情に戻っている。だから、きっとこれで終わり。

「大丈夫だから」

 ひとつ息を吐きトウヤが振り向いた。
 もう帰ろうと差し出された手を、無言で掴み返す。私の手が冷たいのか、トウヤの手が暖かいのか。分からないけれど、その温度差がとても心地良くやっと私も息が吐き出せた。
 
 どれだけ歩いただろう。引かれるままに着いていき、気付いたらホテルの部屋の目の前だった。
部屋の扉を見て、長い一日がようやく終わったように思う。
 
「良かった……本当に」
 
 私を先に部屋に押し込み後ろ手で戸を閉めたところで、ようやくトウヤが口を開く。さっきまでの威勢はどこにもなく、聞こえないほどの小さな声。

「ごめん、なさい……」
「俺もごめん。充電器無かったよな」
「ううん。トウヤのせいじゃないよ」

 肩口に頭を押し付けるようにして、ほんの少し体重を預けてくる。それを支えるようにして私も壁によりかかった。
 相当心配をかけてしまったようだ。色々仕方がなかったとはいえ今回ばかりは言い訳のしようもない。
 
「……ナマエが」
「うん」
「いきなり啖呵切り出した時は流石に肝が冷えた」
「う……、」

 責めるような口調でそう続けるトウヤ。
 いつから見ていたのだろう。あの時は、私周りなんて何にも見えていなかったから。彼の顔を目の前で見るまで気付かないくらいには、頭に血が上っていたように思う。
 あの時トウヤがたまたま近くに居たから、今日私は無事に帰ってこれたのだ。

「助けにきてくれてありがとう」
「ん」

 それから心配かけてごめん。そんな気持ちで抱きしめ返すと、今度は頭から抱き込まれてしまった。
 丁度トウヤの胸のあたりに顔を埋める。目を閉じれば心音が規則正しく脈打っているのが聞こえ、私のそれも段々とつられていくような感覚になる。
 なんだかんだでここが一番安心する。

「ナマエ、顔見せて」

 言われたままに顔を上げれば、すぐにトウヤの顔が落ちてくる。
 顔見が見たいなんてただの建前。いつもなんだかんだ理由を付けてそう仕向けるのがトウヤは上手い。
 現に今だって、顔なんて絶対に見ていないくらいには何度も唇を啄んでいく。方法は違えど、ランクルスのおねだり上手な所は間違いなくトレーナー譲りなんだろう。

「う、っ……」

 好き放題させていたのが裏目に出たのか。
 次第に欲を見せ始め、いつの間にかがっちりと頭まで固定されていた。息苦しくてトントンと背中を叩くも、トウヤはそんな事はお構い無しと言うようだ。
 啄むだけかと思いきや、今度は捕食するように。
 薄ら目を開ければ彼もまたこちらを見ていて、私の様子を見て完全に楽しんでいることが分かる。

「っ、……!ちょっと、待っ」
「待たない」

 私の言うことなんて絶対に聞いてやらない。今の一言にはそんな意志が混ざっているように思えてならない。
 間髪入れずにまた口内を荒らしていく。何度も何度も、私が窒素仕掛ける前に離れていき、またすぐに戻ってきた。
 段々と力の入らなくなってきた手に危機感を覚える。
 このままでは本当に流されかねない。お腹も空いたし、あわよくばシャワーだって浴びたい。まあ聞き入れてもらえるとも思えないのだけど。とりあえず抗議の意を示しておこうと、手をあげた瞬間だった。
 ひと鳴り。私のお腹が短く鳴いた。

「し、仕方ないでしょ?!お腹空いてたの……!」
「くっ……っ……」
「ちょっと!もう!」

 くつくつと肩を揺らし声もなく笑うトウヤ。眉はハの字に下がり目尻には涙まで溜まっており完全にツボった様子。
 仕舞いにはちょっと待ってなんてひいひい言い出したので、今度こそ思い切り背中を叩いてやったのだった。

「いってぇ……!」
「トウヤのばか!もう一人で行ってくるから!」
「流石にそれは駄目!俺も腹減ったから一緒に行こ」

 別に本当に置いていくつもりはなかったのだが、さっきの事があった為か少々強めに止められる。その目が本気で心配だと訴えていたもので、素直に頷いてしまった。
 疲れているし簡単に済ませてしまおう、という事でホテルの食堂へ向かう。部屋を出て、エレベーターを待つ時間に夕方のシロナさんの言葉をふと思い出した。

「そう言えば……、返事はあなたに?だって」
「何だそれ」
「シロナさんからの伝言なんだけど」
「あ、あー……そういうことな」

 意味がわからんという顔をしていたが、それがシンオウチャンピオンからの伝言だと伝えるとなにやら心当たりがある様子だった。

「シロナさんとなんか話した?」
「えっ?私?うーん……」

 彼女との会話で思い当たることなんて、私の話を聞いてもらった事とあの意味のわからない問題くらいだろうか。愛と恋がどうのこうの言っていたあれ。

「はぁー……くそ!本当いい性格してるなあの人」
「えっ、これで伝わるの?怖……」
「俺はシロナさんが怖いよ」

 何やら彼らは私抜きで秘密の暗号を作ったようだ。
 全てが繋がったなんて顔で眉間の皺を伸ばすトウヤ。どういう事か教えてよと詰め寄ると、お前には絶対教えないと突っぱねられた。

「ヒントでいいから!」
「ヒント?そうだな。あぁ、ならさ」

 少し考える素振りをしたトウヤが、静かに私に耳打ちする。
 ――待つ気ないからな、俺は。
 エレベーターの到着を知らせる電子音が廊下に響く。シロナさんに伝言よろしくなと、スタスタと先に乗り込んだトウヤ。
 その横顔は愉快そうに笑みを浮かべていた。

逃げ道なんて捨てておいで