愛と恋の狭間

 酷い目にあった。
 昨日の停電の余波に巻き込まれた俺たちが、やっとの思いで外に出られた時、外の景色は既に夕日が海に沈みかけているところだった。まさか一晩どころか翌日の夕方までかかるとは。
 電力が回復してすぐ、オーバさんはナギサに向かってすっ飛んで行った。きっと、ポケッチ越しに繰り広げていた昨夜のアレの続きをしに行ったのだろう。
 ゴヨウさんとリョウくんが明日は代休にしてもいいかなと遠い目で帰り支度をしている。流石のキクノさんも今回は酷かったわねえと頭を抱えていた。

「さっむ……」

 なぜリーグ教会はどの地域も寒い山の上に作りたがるのだろう。イッシュはもちろん、カントーもここシンオウも。登る方の気持ちももう少し考えて欲しいものだ。
 寝不足の脳みそでそんな事を考えながら、ウォーグルにトバリまで頑張ってと指示を出す。
 
「無理させてごめんな。ゆっくりでいいから」
 
 一晩休ませたとはいえ、四天王相手に何戦もこなした後だ。彼らも相当に疲れているだろう。街まで一時間弱と言ったところか。暗くなってきているし、もう少しかかるかもしれない。

『あなたのは愛なのね』
 昨日、唐突にシロナさんが送ってきた一言を頭の中で読み上げる。彼女が言わんとしていることがよく分からなくて、お陰様で昨夜はあまり眠れなかった。
 返事……しなくてもいいか。俺が改めて答えを返さなくとも、あの人には分かっているようだし。
 こちとら大変な目にあっていたのだ。どさくさに紛れ忘れていたことにしても多少許されるはずだろう。そう思いたい。
 そんな哲学地味たこととその後の対応を考えていたら、ウォーグルが頑張ってくれたお陰かぴったし一時間でトバリシティにたどり着くことが出来た。
 とりあえず。まずはポケモンセンターにこいつらを預けてしまおう。それからホテルに向かう。

「ナマエ、返事無いけど寝てんのか?」

 リーグを出る前と先程この街に着いた時とで二度、ショートメッセージは入れたのだけど。俺と違い彼女はちゃんと連絡を返してくるから、少しだけ引っかかる。ホテルまでの足取りは無意識に早まった。
 煌びやかだが落ち着きのあるフロントで、部屋を用意してくれた女性の名前を伝える。先に連れが入ってると思うけどというのも追加で。

「ええと、シロナ様……ええはい。ご予約承っております。お連れ様ですか?いえ、最初のチェックインはお客様のようですが」

 如何されますか?とホテルマン。とりあえずチェックインを済ませるが、先程の引っかかりは既に嫌な予感へと変わっていた。

「どこいったんだあいつ」

 暗くなる前に戻れよと釘を指したはずなのに。
 ホテルにも居ない。ポケモンセンターにもいなかった。ライブキャスターは……、この感じでは恐らく繋がらないだろう。充電器が今自分の荷物の中にある事をここでようやく思い出す。
 トバリの夜は少々治安がよくない。この嫌な感じが杞憂で終わることを祈りつつ俺はホテルを後にした。
 とりあえずは繁華街。いや、繁華街に居てくれるならまだ安心かもしれない。
 一昔前に変な集団を追い出してからは幾らかマシになった様だが、それでもまだ街の南東付近は特に良くないと聞く。あの辺は街灯が少なく、夜になると人目の届かなくなるところが多い。
 何事もなければいい。道が分からず連絡手段も無くなり、単純に迷子になっているだけならそれでいい。
 浮かんでしまった嫌な考えを打ち消すように、大丈夫と声に出した。
 普段ナマエは、こんな気持ちで連絡を待っているのだろうか。自分では疎かにする癖に、待つ側の立場に立たされた今痛いほど身に染みている。情けないことに、数時間返事が返ってこないだけでこのザマだ。
 かれこれ十分程駆け回っただろうか。街外れの小さなベンチに、ぽつんと座り込んでいる人影が視界に入る。
 街灯も無く薄暗かったか、首元には見覚えのあるマフラーを巻いていた。あれは間違いなく自分が彼女に贈ったものだ。

「……はは、」

 やはり繁華街よりも先にこちらへ来てみて正解だったか。幸い、歩き疲れて休んでいるだけらしい。
 ほぼ二日ぶりの彼女の姿を目にした瞬間、一気に体中の力が抜ける。脱力感に逆らえずその場でしゃがみ込んでしまった。

「っ……!――い!」

 一呼吸。深く息を整えたところで、ベンチの方角から話し声が聞こえてきた。顔をあげると、先程まではいなかった二人分の影がベンチの前を囲んでいるのが見え、咄嗟に駆け寄った。

「いいじゃん、ツレ来ないんでしょ?」
「飯食いながら待ってようぜ」
「あのねぇ……」
 
 近付くにつれて会話の内容から彼らの意図を理解した。
 せっかく気を落ち着かせたと言うのに、心臓が先ほどとは違う意味でバクバクと脈打った。
 落ち着け。冷静に。と頭の中で復唱しながら、片割れの肩に手をかけようと手を伸ばす。

「ちょっとおにーさん、」
「あーもう……!うるさいっ!何回も何回も、本当にしつこいわね!そんなんだからナンパしないと女とご飯食べらんないのよ。しつこい男、私大嫌いなの。この意味分かった?え?分かんない?ちょっと聞いてんの?!ねえ!?」

 丁度同じタイミングだった。
 ベンチから勢いよく立ち上がり、聞き慣れた声で恐ろしく饒舌に目の前の男を捲し立てている。かつてプラズマ団を追い払った時と同じように、ナマエがナンパ相手に啖呵を切った。俺でも見た事がない剣幕で。
 彼女を探していた時とも、彼らの様子を見ていたついさっきとも、全く違う意味で肝が冷える。

「だいたいもっとマシな誘い方ないわけ?!私そんなぬっるい誘い文句で簡単に着いていく馬鹿じゃないから!」
「んだテメェ!ブスが調子乗ってんじゃ、」
「おっと!はいそこまでな」

 あれだけ好き放題に煽られた男が感情のままに手を振りかざしたので、そこでやっと止めに入る。彼女を後ろ背にするよう間に割って入り、男の腕を捻りあげた。
 ナマエが先にブチ切れてしまったお陰だろうか。頭に昇っていた血液が引いて、こちらは冷静に対処出来そうだ。

「俺がツレだけど、なんか用?」
「はあ?あんたも誰……えっうそ、トウヤ?!」

 この距離でやっと俺の事に気付いたらしく、ナマエからは意外と元気そうな素っ頓狂な声が飛んでくる。
 冷静に、とはいえ手を抜くつもりは全くない。掴んでいる手に更に握力を込めると、男は苦痛の表情を濃くしていき強引に腕を引き抜いていった。


「ちょっとツラ貸せや」
「ヤル気満々じゃん。いいよ、……相手してやる」

 ナマエの啖呵で相当頭に来てしまったらしい。男の一人がモンスターボールに手をかけた。
 先程まで連れていた彼らは全員預けてしまった。生憎手持ちは、ボックスから引き出しておいたこいつだけ。
 カタカタとボールが揺れる。軽く触れれば、それを合図に中から飛び出してきたのは一頭の黒雷。

「?!なんだこのポケモン!」
「なぁもう行こうぜ……多分こいつイッシュの、」
「へえ。よく知ってるな」

 男の片割れは物分りが良いらしい。もう辞めろと空を見上げたまま顔を青くした。
 俺の手持ちはみんな彼女にしっかり懐いている。それはゼクロムも例外ではない事が、鋭く威圧感を放っているその赤い瞳から見て取れた。

「言っとくけど、これはジムでするような公式戦でも道端でする公正なポケモンバトルでもなんでもない。ゼクロムの逆鱗に触れたお前らが、多少痛い目見たところで俺個人は仕方ないと思ってるんだけど、意味わかるか?」
「ッ!分かった!もう行く……!」

 連中は、立ち竦んでいる一人を引き摺るようにして逃げていった。まあそんな馬鹿げた事するつもりは俺にもゼクロムにも無いんだけど、効果覿面だったようだ。

「と、とうや……あの、」

 そういえば、彼女は俺がバトルをしている所を見た事が無かったか。未遂とはいえ、こちらはこちらで場の威圧感に完全に縮こまってしまっている。そんなナマエを見て可哀想なことをしたなと反省した。
 
「大丈夫。ほら帰ろう」

 出来るだけ穏やかに彼女の手を取れば、ナマエは黙って握り返してくる。俺もそれ以上は何も言わなかった。


愛の獣は夜に鳴く