愛と恋の狭間

 ナマエを半ば強引に連れ出し始まったこのシンオウ旅も、そろそろ1ヶ月が経つだろうか。
 無理矢理連れてきた分際で言えたことではないが、長い船旅や険しい山道は彼女には少々荷が重かったかもしれないと最初の頃は心配だった。だけど、文句を言いつつもちゃんと着いてきてくれそれなりに楽しんでいる様なので内心ほっとしている。
 ただ、流石にそろそろ疲労が溜まってきただろう事は、ナマエの表情からも伺えた。無理もない。こんなに長期間の旅行は初めてだったし、道中無理をさせている事も分かっているつもりだ。
 だから、今回のシロナさんの提案は渡りに船だと思ったのだ。

「はちゃめちゃに振り回しているようで、……意外とちゃんと見てるわよね」
「そうですか?」
「ええ」

 ここシンオウ地方では来週頭から数日間、シンオウリーグ主催でトレーナーの強化合宿を行う事になっている。シンオウ中の実力者達を集め、全体のレベル高めることが目的だそうだ。
 それの発案者というのがシロナさん。最終日のエキシビションマッチへ参加するという条件で、今回個人的なお願いをいくつか聞いてもらっている。
 話をもどす。それの事前打ち合わせで、申し訳ないがリーグ協会まで出向いて欲しいというのが今日の予定だった。ついでに肩慣らししておいたら?と、恐れ多くも四天王とのバトルの予定まで手配してくれたらしい。相棒たちもそろそろ体力を持て余しているだろうからありがたい。
 だからナマエとは今日一日別行動。これが、先程渡りに船だと思った理由。シロナさんとナマエは個人的に仲がいいと聞いているし、上手くいくかは分からないが少しでも気分転換になればいいとは思う。

「それで、本題の方は順調?」
「お陰様でなんとか!あとは俺の頑張り次第、……ってとこですかね……」

 ダウンの内ポケットへ手を添え、小さく硬い角の感触を確かめた。シロナさんの言う”本題”だ。
 シンオウに行きたがっている彼女の話をシロナさんにしたところ、チケットを送ってくれた。というのが、ナマエに掻い摘んで説明しておいた表向きの旅行の理由。
 本当の目的が実は半年も前から動いていて、今のところ全部俺の計画通りに進んでいる。なんて事、ナマエはまだ知らない。


 ***


 表情が固い目の前の男を見て、珍しい事もあるものだと思った。
 いつも自信に満ち溢れた顔で前を向いている男。それが私の中のトウヤくんの印象だった。
 イッシュの英雄はなかなか肝が座っていて、バトルの時ですら緊張も焦りも相手に悟らせはしないのを私はよく知っている。彼と初めて戦った時も、鋭い眼光が鈍ることはなく終始冷静に指示を飛ばしており、まだ若いのにすごい子がいるものだと感心してしまったくらい。
 あの勝ちをもぎ取りにいくような覇気は凄みと貫禄を増したこと以外、変わらず健在だ。

「起こさなくてよかったの?」
「うん。流石にかわいそうでしょ」

 先程まで渋い顔をしていた男が表情を一変させる。戦いの中で見せるそれとは似ても似つかぬ程の穏やかな表情で微笑んでいて、そこでようやくなるほどねと心当たりに行き着いた。
 あの時の青年はもうすっかり大人になってしまったらしい。

「じゃあ、悪いけど一日よろしくね」
「はい。ナマエの事すみません、よろしくお願いします」
「任せてちょうだい」

 ウォーグルと共に小さくなっていく姿を、気をつけてと見送った。
 それが、朝の四時を過ぎた頃の事。あれから時計の針は六周ほど進み、今ではすっかり日が登っている。
 
「シンオウの寒さには慣れたかしら?」

 一人残され暇を持て余している後ろ姿に声をかけた。全然!と思いのほか元気な声を返してきた彼女に、暖かいわよと小さな缶を手渡してやる。
 
「ごめんなさいね。トウヤくん貸し出してもらっちゃって」
「ううん、平気。みんなそろそろバトルしたかっただろうし。それに……正直、こんなにずっと一緒に居ることって今まで無かったから」

 コーヒーを一口含み呟くナマエ。その声色に一瞬だけ疲れが滲む。今朝トウヤくん気にしていた事はやはり正解だったらしい。

「っていうか、シロナさんこそ!ここに居ていいの?」
「私は今日非番だからね。今頃オーバたちに揉みくちゃにされてるんじゃ無いかしら?」

 いや、逆かもしれないわね。揉みくちゃにされているのはウチの四天王達かも。特にリョウくんやオーバなんかは乗せられやすいから、何戦も付き合わされている事だろう。
 オーバたちには今日彼が行くことは伝えておいたので、もしかすると幼馴染経由でナギサのジムリーダーにも伝わっているかもしれない。どさくさに紛れて遊びに来ている可能性もある。

「シロナさんはトウヤともバトルした事あるんだよね」

 どんな感じなの?と首を傾げるナマエ。バトルとは無縁の生活を送ってきたというし、思い浮かぶものが何もないという表情だ。
 試しに、どうだと思う?と質問に質問を重ねてみる。よく分かんないけれどと言いながらも、漠然と多分強い……?と返ってきて思わず笑ってしまった。

「トウヤくんはあなたのそういう所に惹かれたのかしらね」

 色んな肩書きが着いてしまった彼が、自分で居られる数少ない拠り所。
 全てを蹴散らし耐え抜いて、最後に立っているのは唯一自分だけ。バトルの世界に身を置く彼に、今朝のような顔をさせられるのは生涯この子だけなのだろう。そう思うし、この先もそうあればいいと願う。
 残念ながら――、ナマエはまだ全く気付いていないようだけど。彼女にも今朝のトウヤくんを見せてあげたい。そうしたら嫌でも分かるだろうに。
 けれどもそれは要らぬお節介というもので。
 いつの間にやら始まった恋愛相談に耳を傾けつつ、片手で一言だけメッセージを送る。

『あなたのは愛なのね』

 宛先の主がこれを見るのはきっと数時間後の事だろう。


とうに手遅れな愛だった