とどめはウインク


「お姉さん日本人?珍しいね」

 麗らかな春の陽気が眠気を誘う、午後二時過ぎ。
 ナンパとかじゃないから安心してね、とにこにこと人の良い笑顔を浮かべて男が店内へ入ってきた。ところどころ跳ねている榛色の髪に深みのある胡桃色の瞳。
 縦縞模様のスーツのジャケットを邪魔そうに腕に抱えた姿は、さも生まれも育ちもイタリアですよとでもいうようでナポリの街並みに馴染んでいたが、彼の口からは聞き慣れている流暢な日本語が聞こえてきた。

「お兄さん日本語お上手ですねえ!あ、テイクアウトになさいますか?」
「うん、持ち帰りでお願いします。上手、っていうか俺も日本人なんだ!だから日本語で大丈夫だよ」

 今日はどれにしようかな…なんて真剣な眼差しでメニューを覗き見る自称日本人の男に、日本人なんですかあ?!とうっかり声を荒らげてしまい慌てて頭を下げた。
 一ヶ月ほど前からバイトで雇ってもらっているこの小さなバールだが、観光客ですら日本人には会ったことがない。こんなところでまさか母国語を耳にするとは思っていなかったのもあり、ついつい声のトーンが上がってしまった。
 お兄さんはあははと笑い、遠い先祖がイタリアから移住してきてるらしいからねと教えてくれた。生まれも育ちも日本で、イタリアへは仕事の都合で日本と行き来しながら過ごしているのだそう。今日も三ヶ月の日本での長期出張を終え、久しぶりにこのナポリへ戻ってきたばかりとの事だった。
 どこにでもいるサラリーマンだよなんて言っているが、ワーホリ初心者の私からすれば日本を飛び出して仕事をしていると言うだけで、サラリーマンの中でもとんでもなく凄い人である。

「君は新人さんかな?久しぶりに来てみたら日本人の女の子が働いてるんだもん、びっくりしたよ」
「あっ、はい!ひと月前からここでお世話になってます」
「よぉツナ、久しぶりだなあ!」

 店長が淹れたてのカフェ・オ・レと小さな包みをお兄さんに渡した。久しぶりにまだ本場のイタリア語は全て聞き取れないが、包みを嬉しそうに受け取る様子から二人はかなりの顔馴染みなのだろう。
 二人の会話が聞き取れず話についていけていない私に店長が気付き、彼がこの店の常連でよく来てくれることを教えてもらった。沢田綱吉だから"ツナ"なのだとか。

「店長、オマケありがとね」
「おう!また来いよ」
「新人ちゃんも何か困ったら声かけてね」
「ツナさん…!ありがとうございます!」

 これでも俺、顔は広い方だからさ!なんてウインクをし手を振りながら店を出ていくお兄さん。幾人もの女性達がこの爽やかな笑顔に射抜かれたんだろうなあ、なんて下世話なことを考えながらも、しっかりがっつり自分のハートも握られたのは言うまでもない。