結局わたしの妊娠騒動は案の定彼らの杞憂で幕を閉じた。
いや、彼らにとっては杞憂ではなかったのかもしれないが、わたしにとってはこの結果で終わって本当に良かったと思っている。




「リハーサル行きまーす」

目の前で慌ただしく動き回る番組スタッフがスタジオ内のドラマ出演者に向けて声をかける。
わたしは今、先日から始まったばかりの連続ドラマが撮影されているスタジオ内に居た。

なぜそのドラマとは何の関係もないわたしがこんなところに居るのか。それは察しの通り、ハヤトの差し金だった。

現在放映中のこの連続ドラマには、わたしの恋人でもある一ノ瀬ハヤトが主演しており、視聴率も鰻登りで人気があるらしい。共演者には今話題のアイドルやタレントも多く起用しており、その結果の高視聴率でもあるらしい。

ハヤトは先日の妊娠騒動のお詫びだと言い、自分の主演するドラマの撮影を見に来ないかとわたしを誘った。もちろんそんな華やかな場所などわたしには場違いだし、すぐにそれは丁重に断ったのだが、ハヤトはそれを単なる照れ隠しと取ったらしく、時間と場所を書いたメモをわたしへ無理矢理押し付け、早々に撮影へと出かけてしまった。
ハヤトが部屋を出る際、愛のこもったお弁当持参で絶対見に来てね、と念を押すものだから、結局わたしはそれに折れ、ハヤトのためのお弁当を作り、それを持参で撮影現場へと向かう羽目になったのだった。





まるで部屋の一部を切り取ったかのようなセットの中にハヤトと共演者が入り、リハーサルを始める。役とはいえ、ハヤトがサディスティックな顔で共演者を見つめている姿に、普段とは違う一面を垣間見たようでほんの少し鼓動が速まる。いつもわたしに甘えてくる彼の姿はそこには無い。ハヤトはいつもの自分とは真逆な役を難なくこなそうとしている。当たり前かもしれないが、彼は仕事に対して本当に真摯なのだなと痛感した。

「……そうだよね。でなきゃトップアイドルを何年も続けてなんていられないよね」
「トップアイドル?」
「へ……?」

セット内で続くリハーサルを見ていたわたしが呟いたその時だった。
わたしのその独り言にも似た呟きに対し、まさか隣から返事が返ってくるなんて思ってもおらず、わたしはだいぶ驚いて固まってしまった。

「えっと……オネエサン?」
「え……?」
「オネエサン、何でこんな隅っこに居るの? こんな隅っこで見てないで、もっと近くで見ればいいのに」

その声の主は、現在人気上昇中の男性アイドルだった。わたしはあまりアイドルに詳しくないため、彼の顔は見知っていたが名前が全く出てこない。

「オネエサンはもしかして、メイクさんとか?」
「え? あ、わ、わたしは単なる見学者で、す」

彼の問いかけに答えるわたしは、まるでどこぞの不審者のように言葉が覚束ない。しかし彼はわたしの返答に呆れる事なくにこやかに会話を続けた。その笑顔はほんの少しハヤトに似ているような気がした。

「へー、見学者かー。誰かのファンだったりする?」
「あ……ええと」
「分かった。HAYATOでしょ?」
「えっ!?」

まるでわたしの事などお見通しだと言うように彼が得意気に顔を近付ける。最近一ノ瀬兄弟以外の男性となかなか接触がなく、且つ免疫も然程ないため、こういう事をされるとほんの少し照れくさい。

「ね、当たり? だよね?」
「……は、はい」

観念してわたしが頷くと、彼はやっぱりそうかー、と明るく笑い、僕もまだまだ頑張らないと、と自分に気合いを入れていた。芸能人とは思えぬ程体育会系なその言動に、わたしは一瞬唖然とするが、すぐに張りつめていた緊張が解れ、いつの間にか自然と笑みが零れていた。



「じゃあオネエサン、HAYATOもいいけど、俺の演技もちゃんと見てってね?」
「え? あ、はい! 頑張ってください」
「ありがとー!」

スタジオの隅の見学者にまで愛想良く気を回してくれる彼に感心しつつ、わたしはその日、時間の許す限りハヤトの演技をしっかりと自分の目に焼き付けた。
その後諸用があったため、最後まで見学する事はできなかったが、この日わたしはとても充実した時間を過ごす事ができた。
ハヤトのために作ったお弁当はマネージャーさんに託し、わたしは気持ち良くスタジオを後にした。




無事諸用を済ませ、夕飯の買い物をした後帰路につく。
今日はハヤトの好きなハンバーグを作ろう。そう思ったわたしは買い込んだ材料を片手に何の気なく玄関のドアを開け放った。

「まことちゃんのバカーッ!」

玄関を開けた途端、耳をつんざくようなハヤトの叫び声が聞こえた。それと同時に体に重い衝撃が走る。

「この尻軽女! 淫乱! エロ女ーッ!」
「ちょっ……!? 何!? 何なのその罵詈雑言は!」

気付けばハヤトはわたしに全体重をかけてのし掛かっていた。玄関先で尻餅をついているわたしに跨がる彼は、まるで子供のように半泣き状態で取り乱している。

「まことちゃんの浮気者ー! 今日、潤と楽しそうに何話してたんだよー!」
「え? え? 潤……?」

ハヤトの罵言は続き、どうやら彼の怒りの要因に潤という人物が関係しているのだと推測された。
ハヤトは相変わらず淫乱だとか何とか聞くに耐えない事ばかりを言い散らしていたが、その隙にしっかりとわたしの胸を揉んでいたのには呆れを通り越し、感心してしまった。どっちが淫乱だと問い返したい気分だった。

とりあえずわたしは彼の背に手を伸ばし、その背を優しく撫でつけた。

「ハヤト、ちょっと落ち着こう、ね?」
「う……」
「ね、大丈夫だから……」

ハヤトの背中を撫で続けると、彼はようやく安心したのか、先ほどより落ち着いた様子で頷いてくれた。




「……まことちゃんなんか撮影に呼ぶんじゃなかった……。ボクが一生懸命まことちゃんにイイトコ見せようと頑張って演技してたのに、まことちゃんってば、隅っこの方で潤と楽しそうに何か話してるんだもん……」
「え? ……ああ! あの人、潤くんって言うんだ……」

どうやらわたしが今日スタジオで話していた相手は、潤という名のアイドルだったようだ。おそらくハヤトはその潤とわたしの仲を疑っているのだろうが、それはいくらなんでも潤に失礼だろう。ハヤトはわたしを買いかぶり過ぎている。

先日わたしはトキヤを少し病んでるのではないかと思った事があったが、わたしに対する執着はハヤトの方がよっぽど病的なような気がした。


「あのね、あれは隅っこで見学していたボッチなわたしを気遣って、潤くんが話しかけてくれただけだよ? それにほんの少し話しただけじゃない」
「でもそのほんの少しの間でずいぶん仲良くなってたみたいだよね? まことちゃんたちが気になって気になって、ボク、今日何度もNG出しちゃったんだからにゃ……」
「そ、そんな……」

「ねぇ、もしかしてまことちゃん、潤と番号交換とか……してないよね?」
「してないよ! っていうか潤くんがわたしなんかと番号交換したいと思う訳ないでしょ!?」
「しーんーじーらーれーまーせーんー!」

今日のハヤトは少し強情だ。トキヤが相手だとここまで頑なではないのに、相手が他人だと、こうも強情になるものだろうか。ハヤトの基準はいつだってよく分からない。



「もう……。どうしたら信じてくれるのよ……」

どんなに無実だと言っても今日のハヤトはなかなかそれを信じてくれず、それどころかわたしに抱きつく力をますます強くする彼にどうしようもなくなり、とうとうわたしはそう溢してため息を吐いた。

わたしの呟きを聞いたハヤトが僅かに考え込み、その後わたしからほんの少し体を離し、徐に右手をこちらへ差し出す。

「……」
「……」
「……なに? この手」
「携帯電話、貸して?」
「……」

目の前で真剣な表情を見せるハヤトが更にこちらへ右手を近付ける。これはとてもではないが反論できる雰囲気ではない。
わたしはハヤトの言う通り鞄から携帯電話を取り出し、彼の手に乗せた。

「……」
「よっ、と」
「ええっ!?」

それは一瞬の出来事だった。

バキッ、と無機質な音と共に、気付けばわたしの携帯電話は彼の手の中で真っ二つにへし折られていた。


「……」

「念のため、まことちゃんの携帯使えなくしたから。明日、新しいやつ、ボクと買いに行こ?」
「……」
「この際だからボクも機種変しようかな〜。どうせならまことちゃんとお揃いがいいにゃ〜」
「……」

わたしは彼の突然すぎる言動に、言葉を失っていた。
壊れた携帯電話がハヤトの手によって燃えないゴミへと分別された頃、ようやく我に返ったわたしは覚束ない足取りでそっとハヤトに近付いた。

彼を見ると先ほどの行為がフラッシュバックし、ほんのり恐怖を覚える。やはり彼の愛は少し重過ぎるような気がした。

しかし。

「まことちゃん? 今日のごはんは何?」
「え……っ、と、ハンバーグ……」
「やった〜! ボク、ハンバーグ大好きー!」

ハヤトののんきな様子を目の前に、わたしはようやく自分が静かに腹を立てている事に気付いた。無邪気にはしゃぐ彼を、わたしは既に直視できずにいる。

「……」
「まことちゃん、早く早くハンバーグ! ボクの、トキヤのよりおっきくしてね!」
「……」
「あ、コネコネはボクも手伝うにゃ!」
「……」
「……」
「……」
「……まこと、ちゃん?」
「……」

先ほどまで妙にはしゃいでいたハヤトが、ようやくわたしの無言の抗議に気付き、焦り出す。彼のこの表情はまるで捨て犬のようで放ってはおけなくなってしまいそうになるが、今回ばかりは心を鬼にする覚悟を決める。

「まことちゃん、怒ってるの?」
「……」
「もしかしてボクが携帯折っちゃったから?」
「…………それ以外に原因があるとでも?」
「だ、だって! だってそれはまことちゃんが悪いんだよ!? 潤と楽しそうにしゃべってて、ボクの事見てくれないんだもん!」


「……見てたよ」
「え?」
「わたし、ハヤトの演技、潤くんと話しながらもちゃんと見てたし、時間が許す限りずっとハヤトのこと見てたんだよ? 演技中のハヤトはいつもと違う真剣な目をしていて、そんなハヤトもかっこいいな、なんて思ったし、サディスティックな表情のハヤトも素敵だなって思ってたのに!」
「……」
「ハヤトはわたしを買いかぶり過ぎだよ! はっきり言ってわたしはモテません! 一応シンガーソングライターやってるけど、一般人と変わらないの! 言わせないでよ、こんな事!」
「……」
「……」


「……ごめん」


一つ不満を口にすると雪崩のように次から次へと文句が口をついて出てくる。少々言い過ぎたかなと思った頃にはもう遅く、ハヤトはしょんぼりと項垂れながら反省の言葉を口にしていた。




「ごめん、まこと。僕、君の事になると制御がきかなくなるんだ……。まことが好きで、たまらなく好きで、本当はまことを誰にも見せたくないし、出来ることならまことを僕の部屋に閉じ込めて僕以外の誰の目にも触れさせたくない」

ハヤトの口調が真剣なものへと変わる。彼が真面目な話をする時は、決まってこうだ。

「僕のまことに対する独占欲は自分でもどうにもできないくらい強くて……。ごめん。……もう、許してくれないよね……」
「……」



それから無言のまま数分が過ぎた。

そろそろじゅうぶん反省している頃合いだろう。

携帯電話を簡単に壊された事はまだ些か腹立たしいけれど、次第にその後ろ姿が放って置けなくなり、同情心にも負けたわたしは心の中で彼を許す決意を固めた。

いつまで経っても項垂れたまま動かないハヤトの後ろからそっと手を回し、ゆっくりと彼に抱きつく。



「え……、まことちゃん!?」
「……明日、携帯買いに行くんでしょ?」
「携帯……?」
「ハヤトが買ってくれるんだよね?」
「……」
「……わたしと、お揃いにするんでしょ?」
「……」

ハヤトがわたしの言葉の意味に気付き、いつもの半泣き状態で身を翻し、わたしをぎゅうぎゅう抱きしめる。彼の胸に顔を押し付けられたわたしは少々息苦しかったけれど、それもすぐに解放され、代わりに何度も何度も頬や唇に口付けられた。

「まことちゃん……大好きだよ!」

その笑顔にそれ以上何も言えなくなり、わたしは仕方なく彼と同じく笑顔で答え、ハヤトの頭を優しく撫でた。

ハヤトと作ったハンバーグはいつもよりちょっとだけいびつだったけれど、いつもより何倍も美味しいような気がした。






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