それはわたしとハヤトの夜の行為が終わってすぐの事だった。


「あれ? まことちゃん、今月の生理、まだ来てないの?」
「え……?」
「だって本来なら今日はエッチできない日のはずでしょ?」
「……」

二人で一緒の布団に潜り、事後の余韻に浸っていたわたしに浴びせた彼の一言は、瞬時にわたしを硬直させるのに充分な一言だった。

「い、いやいや、ちょっと待って。なんでハヤトがわたしの生理周期を知ってるの?」

確かにわたしたちは付き合いが長い。長いけれど、だからといってハヤトがわたしの生理周期を認知している理由にはならない。況してやそれを何でもないような顔で尋ねるハヤトに不信感が募り、わたしはつい眉を顰め、彼を睨んでしまった。
わたしの仏頂面を見たハヤトがようやく自分の失言に気付いたのか、焦って誤魔化し笑いを始めた。少々滑稽だ。

「あ、えーと、うーん……。その、ヤラシー意味はないんだけど、まぁそれは置いとくとして、さ。もしかしてまことちゃん」
「な、なに?」
「まことちゃん、もしかしてついにボクの赤ちゃんを妊娠……してくれた!?」
「え?」
「だよねだよね! 生理が来ないってことはそうだよね!? うっわー! なんだかテンション上がってきた〜!」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってハヤト!」

布団の中でもぞもぞ動き、片手でわたしを抱きしめながら、ハヤトがわたしのお腹を優しく撫でる。彼のその手が思いの外くすぐったく感じ、わたしは思わず腰を引き、ハヤトから離れた。わたしが離れた後もハヤトはとても嬉しそうに顔をにやにやさせていた。人の話を最後まで聞かないのはハヤトの悪い癖だ。

実はわたしの生理周期が遅れるのは、以前からままある事だった。その月の体調などで、周期が遅れる事も割とある。だからハヤトの思い込みはいわゆる勘違いというものなのだが、彼には既にわたしの声が届いていない。

「ハ、ハヤト、テンション上がってるとこ悪いんだけどね、多分これは生理が遅れてるだけだと思うん……」
「よーし! これからお祝いにゃ〜!」
「えっ!? ちょっとハヤトどこ行くの!」

女ならば大幅な遅れでない限りそれほど気に留める事ではなく、だからこそハヤトにもそれを言わずにいたのだが、どうやら彼は早々に勘違いをして暴走を始めたらしい。
こんな事をのんきに考えている場合ではないが、当の本人が既にベッドを抜け出し、下着一枚で部屋を飛び出して行ってしまったものだから、わたしはそれから数分間、ただ呆然と固まる事しかできずにいた。





「……なっ!? 何ですって!?」

その叫び声はハヤトが飛び出したすぐ後にリビングの方から聞こえてきたものだった。おそらく声質と口調から、その声の主は同居人のトキヤだと思われる。
その声になぜだか嫌な予感を覚え、わたしは急いでシャツを羽織り、リビングへと向かった。


案の定リビングではハヤトとトキヤが睨み合いをしていた。そのいつもと変わらぬ風景にほんの少し安堵してはいたものの、彼らの口論の内容に、その安堵感はすぐに取り払われる事となる。

「まことが妊娠!?」
「そうにゃ! 今日はお祝いにゃー!」
「ハヤト! だからそれは違うって……」
「まこと! そっ、それはもしかして、私の子ですか!?」
「は……はぁっ!?」

彼らの口論を止めようと二人の間に割り入ると、突然彼らの口論の矛先がわたしに向けられた。しかもそれはとんでもなく信じられないような内容だ。
とりあえず色々言いたい事はあるが、トキヤの今の発言は聞き逃す訳にもいくまい。
トキヤの脳内ではいつわたしとそういう行為をした事になっているのか、それは本人にしか分からない。彼の妙な発言により、ハヤトが私を怪訝そうに睨んでいる。私の嫌な予感は的中した。やはりこういう面倒な事になってしまうのかと、わたしは一人肩を落としてため息を吐いたのだった。



「そうですか、私の子を身ごもりましたか! 良くやってくれました、まこと! 私は一生をかけてまこととお腹の中の我が子を守ります」
「どどど、どーゆーことにゃまことちゃん! トキヤといつエッチしたの!?」
「まことと私の子なら、きっと可愛いでしょうねぇ」
「まことちゃんの浮気モノーッ!」

事実無根な出来事をあたかも真実のように一気にまくし立てる一ノ瀬兄弟に、わたしは今までで一番の脱力感を感じた。
こめかみを押さえ、良く分からない事態になっている彼らをどうどうと宥める。その時のわたしはまるで競争馬の調教師にでもなったような気分で、先ほどから痛くなっていく頭を片手で支えるのが精一杯だった。



「……とりあえず落ち着こうよ二人とも」
「落ち着いてなんていられないよ! まことちゃんがボクに隠れてトキヤとエッチしてたなんて……」
「だからそれが誤解だから!」

わたしとトキヤは一度も妊娠が疑われるような行為はしていないし、そもそもそんな事をする時間などトキヤには無い。超売れっ子アイドルが家に居る時間など限られているし、その限られた時間内にはハヤトが一緒に居る事が多い。だからわたしとトキヤに肉体関係があるなど有り得ない事なのだ。

「だいたいわたし、トキヤくんとは一度もそういう事、してないから!」
「……」
「ハヤトならわかるでしょ? わたしはハヤトの恋人なんだから……」
「ボクの恋人なんだから……ボク相手でなきゃ、濡れない?」
「うえっ……!?」

何とか誤解を解こうと必死に弁解すると、目を潤ませたハヤトの口から何とも答え難い質問を投げ掛けられる。確かに彼の聞きたい事も分かるが、それは大層答えづらい。
しかし目の前には子犬のような目で訴えるハヤトがおり、彼のその様子を見るとやはり答えぬ訳にはいかないような気がしてくるのだった。


「ねぇ、まことちゃんはボク相手じゃないと濡れないよね? ね?」
「あ……、ええと、ま、まぁ、うん……」
「ほんと!?」
「ほ、本当だよ」

それに答える事は恥ずかしくて仕方なかったが、ハヤトに誤解されたままよりはましなような気がした。
これで丸く収まれば大団円だったのかもしれない。

だが、トキヤを放置したままで、これらが丸く収まるはずもない。


「ちょっと待ってください、まこと。あなたは忘れたのですか? あの夜、私たちはあんなにも強く求め合ったじゃありませんか!」
「え、ええっ!? だからそれいつの話? わたしには全く身に覚えがないんだけど……」
「私には身に覚えがありすぎる程あります!」
「いやいやいや、ないでしょ!」

案の定トキヤが不服そうな顔でわたしとハヤトの間に割り込んで来る。
前々から薄々感じてはいたが、彼は少し病んでいるのではないだろうか。でなければ、そんな事実無根な出来事を堂々と主張できるはずがない。

「ハヤト。ハヤトだって知っているでしょう? 私があの夜、まことに口淫させていたのを」
「……」
「……」
「……」
「……ん?」
「……ええと、どういう事だろう、トキヤくんの言い分は」

確かにわたしたちは以前、雰囲気に流されて三人で性行為に及んだ事がある。だが、それは後にも先にもそれ一度きりだ。
それにひとつ言い訳をすれば、トキヤには膣内射精などさせていないし、むしろ口淫のみの行為でわたしたちの関係は終わっている。
それなのにわたしがトキヤの子供を妊娠しているだなんて、一体彼はどういう思考の持ち主なのだろうか。

「分からないのですか!? まことが私の精子を飲み込んだのだから、私の子を孕んだという可能性だってあるはずなのです!」
「……」
「……」

わたしとハヤトは言葉が出なかった。まさかトキヤがここまで純粋だったなんて、わたしもハヤトも相当な衝撃だった。

「……あ、あの、トキヤくん」
「何ですか? やはり生まれる前に籍は入れた方がいいですね」
「じゃなくて、口淫じゃ妊娠しないよ?」
「……は、はは、何を言ってるんです? 口淫で妊娠する可能性もあるんですよ。常識です」
「や、それ多分、都市伝説でよくネット上に出回っている嘘だよ……」
「……」
「……」



気が付けばハヤトは、複雑そうな顔のまま、トキヤを精一杯慰めていた。彼ら兄弟はなんだかんだで仲が良い。ついでに言えば、早とちりしがちな性格も相当似ている。
おそらく明日にでも来るわたしの生理で、ようやく彼らも自分たちの勘違いに気付くのだろう。

いつかわたしにも、ハヤトの子供を身ごもる日が来るのだろうか。
その時わたしたちは今と変わらぬ関係で居る事ができるのだろうか。

まだ見ぬ未来を考え、なぜだか居たたまれなくなったわたしは、ハヤトと一緒にトキヤを慰めるべく、彼の背中を優しく擦った。







1/1
←|→

≪ボクがキミの王子様
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -