「ボクの彼女の、浦野まことちゃんだよ〜」

そう言ってハヤトが紹介してくれたのは、彼と瓜二つの弟、一ノ瀬トキヤだった。

「は、はじめまして、浦野まことです。一応、顔出しNGのシンガーソングライターやってます」

ハヤトの紹介に合わせ、わたしは目の前の彼に恭しく頭を下げた。

広いリビングでテーブルを挟み、わたしたちはまるで三者面談のように向かい合って座っていた。
わたしの隣には終始笑顔のハヤトが並んで座っており、そしてわたしたちの向かい側にはあまり機嫌の良くなさそうな一ノ瀬トキヤが座っている。この状況から察するに、この場で全く緊張していないのはハヤトただ一人のようだった。まったく羨ましい程の神経の持ち主だ。

わたしの恋人でもある一ノ瀬ハヤトは、現在このマンションで弟のトキヤと共同生活をしている。わたしとハヤトが交際を始めてもうずいぶん経つが、彼が自分の弟をわたしに紹介してくれたのは、今回が初めての事だった。
初めて顔を合わせた彼は、ハヤトとはパーツこそ同じだったけれど、表情が対極的に違っていた。いつもテレビを通してトキヤを見てはいたものの、彼はオンオフの差が激しいらしく、わたしは先ほどから彼の笑顔ひとつ目にしていない。
もしかしたらわたしは、彼にとって招かれざる客だったのだろうか。やはり兄の恋人になど、会いたくなかったのかもしれない。


「ね、ねぇハヤト、わたし、やっぱり帰った方が……」
「え? どうして?」
「……」

依然として空気の読めないハヤトに対し、わたしはコソコソと小声で自分が帰りたいと言った理由を口にした。

「……だ、だって。どう見ても怒ってるじゃない、トキヤくん」

ハヤトへ言い訳をしつつ、チラチラとトキヤの方へ視線をやると、明らかに今のセリフが耳に入ったらしく、わたしと目が合うなりピクリと眉を動かした。これは怖い。彼がハヤトの弟でなければ、わたしは絶対に泣いていただろう。
わたしがこれ程トキヤに対してビクビクしているというのに、ハヤトはそんな事などお構いなしで、よろしくにゃーなどとふざけた事を宣いながらわたしの肩を抱き寄せた。案の定トキヤの眉間には、さらに深く皺が刻み込まれていた。




「まことさん、と言いましたね」
「え!? あ、はいっ」

こちら側でコソコソハヤトと揉めていると、不意にトキヤがわたしの名を呼んだ。
思いがけない事に驚き、無意識のうちに背筋がしっかりと伸びている。

「あなたとハヤトは長い付き合いなのですか?」
「あ……はい、それなりに長いと思います……」
「別れようと思った事は?」
「え? そ、そんなこと一度もありません! ……だってハヤトは優しいし、こんなわたしでも好きだと言ってくれますし……正直わたしには勿体無い位の相手だと思っています」

トキヤに投げ掛けられる質問に、わたしはできるだけ気持ちを込めて丁寧に答えた。おそらくトキヤともこれから長い付き合いになるだろうし、悪印象を持たれるのだけは避けたかったのだと思う。

「……そうですか、なるほど。それでは単刀直入に聞きます。あなたはこんな頭の軽そうないい加減な男が恋人で、本当に良いのですか?」
「え……?」
「なっ!?」

突然言い放たれたトキヤの思わぬ一言に、わたしとハヤトはそろって絶句した。
しかしすぐにハヤトが我に返り、トキヤへ反論する。

「何言ってるんだよトキヤ! いいに決まってるだろ! まことはボクが好きで、ボクもまことが大好きなんだよ! ……っていうか、今の質問は一体どういう意図だ!?」
「どういう意図……? それはハヤトが一番ご存じでしょう?」
「……」
「……」
「だめにゃ! 絶対の絶対の絶対にだめだからにゃ!」

しばらくの沈黙の後、ハヤトがなぜか過剰に反応し、わたしはそれがやや気掛かりだったが、彼らのあまりの剣幕に嘴を挟む事もできず、ただそれを見守るしかできなかった。

「ハヤトがだめだと言っても、それは本人に聞かなければ分からないのではありませんか?」
「聞く必要ないにゃ!」
「……自信が無いのですか?」
「じっ……自信は……ある、にゃ」

よく分からない二人の駆け引きは尚も続いている。

「なら、良いですね?」
「……」
「まことさん」
「……」
「……」
「まことさん!」

「えっ!?」

二人のやり取りをぼんやりと眺めていたせいか、わたしは自分が呼ばれている事になかなか気付けずにいた。
トキヤに呼ばれ、わたしは情けない表情のまま、裏返った声で返事をする。

いつの間にかトキヤもハヤトもこちらを伺うように見つめていた。


「な、なに? どうかし……」
「まことさん、ハヤトなどやめて私とお付き合いしませんか? 自分で言うのもなんですが、私は童貞です。ハヤトのように、誰かのお下がりではありません」
「異議あり! ちょっと待つにゃー! ボクの初めてはまことちゃんに捧げたんだ! それまで女の子と付き合った事すらなかったんだから、ボクが誰かのお下がりだなんて事は絶対に有り得ないにゃー!」
「信じられませんね。ハヤトは世間から散々軽そうだと言われているじゃありませんか」
「確かにボクは軽そうかもしれないけど、実際はちがうにゃ!」
「どうだか」
「にゃに〜!?」
「……」

正直に言えば、トキヤが童貞だとかハヤトの初めてが自分だとか、そんな話は聞きたくなかった。というか、今までクールで怖い人だとばかり思っていたトキヤが少々残念な性格のようで、わたしはずいぶん力が抜けていた。

「まことさん、私は絶対に浮気などしませんよ」
「ボクだってしないにゃ!」
「……」

そういえばこの部屋に来る前、ハヤトがわたしに愚痴っていた事を思い出す。
確か、ハヤトとトキヤは双子だから、絶対トキヤもわたしの事を好きになる。だから本当は紹介などしたくないのだけど、これからわたしとハヤトが付き合って行く上で必要な事だから仕方なくわたしをトキヤに紹介するのだと言っていたような気がする。
あの時わたしは、それが単なる彼の杞憂だと聞き流していたのだが、この場を目の当たりにして、ようやく自分の考えの浅はかさに気付いたのだった。


「っていうかトキヤ! まことちゃんは既にボクの彼女なんだから、手を出しちゃだめだからにゃ! 今日はトキヤに釘を刺す意味も込めてまことちゃんを紹介してあげたんだ!」
「そうですか。ずいぶん魅力的な人を紹介していただいてありがとうございます。私は彼女を大事にしますよ、兄さん」
「だーかーらー! そういう紹介じゃないって言ってるだろー! まことちゃんには手を出さないって誓えー!」
「さあ、それは保証しかねます。せいぜいまことさんに愛想を尽かされぬよう、ハヤト自身が頑張って彼女を捕まえておく事ですね」
「くっそー! オマエ弟のくせにナマイキだぞー!」
「……」

ハヤトが完全にトキヤに遊ばれている。
口では勝てない事を悟ったのか、ハヤトはあからさまにトキヤを睨み、わたしに強く抱きついた。そうしなければわたしがトキヤに取られるとでも思っているのか、わたしを抱くその力は意外と強い。

「まことちゃんは絶対に渡さないからにゃ……!」
「まことさんは絶対に私が奪います」
「……」

なんだか本気なのか冗談なのかいまいち理解できない彼らの兄弟喧嘩は、わたしが睡魔に襲われるまで終わる事はなかった。






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