「……ぐすっ、分かった……。ボク、決めた」
「ハヤト……?」

わたしとトキヤの偶然の行為を悪い方へ誤解したハヤトは、一通りわんわん泣いた後、固い決意を込めたようにそう呟いた。


「はぁ……。それで、一体何を決めたのです?」
「……ボク、仕事辞める」
「……」
「……」
「アイドル辞めて、二十四時間ずーっとまことちゃんを後ろから抱っこして暮らす!」
「……」
「……」
「ボクは本気だよ。だって、そうでもしてないと、まことちゃんが誰かに取られちゃうかもしれないもん……。今みたいに」

それはまるでテーブルを挟んで向こう側に座っているトキヤへの牽制のようだった。
ぎゅうぎゅうとわたしにしがみ付くハヤトに、やはりというか何というか、トキヤが呆れたようにこめかみを押さえる。わたしは今、トキヤの気持ちが痛い程良く分かった。

ハヤトは依然、自分の不在時にわたしとトキヤが浮気をしていた事を疑ってやまなかった。その誤解を先ほどから何度も解こうと試みているにも関わらず、彼は一切わたしの言葉に耳を傾けようとしないのだ。



「えっと、その、ちょっと少し落ち着こうよ、ね?」

隣からわたしに強く抱きついてくるハヤトを宥めるように背中を撫でる。ソファのスプリングが僅かに軋んだ。ハヤトの胸に手を当て、そっと向こうへ押しやるも、彼はすごい力でわたしに引っ付いたまま、全く離れる様子もない。いつもは可愛いアイドルスマイルを振り撒いているハヤトに、こんなにも力強く抱き付かれると、やはり彼も男なのだと思い知る。


「いくらまことちゃんが反対しても、ボクはもう決めたからにゃ」
「決めたってハヤト……、アイドル辞めるって、本気で言ってるの?」
「本気にゃ」
「……」

ハヤトは自他共に認める根っからのアイドルだ。本人ですらアイドルが天職だと認めている程なのに、それを辞めるだなんて本気なはずがないだろう。しらばらくすれば、おそらくアイドルを辞めるなんてやめると言い出すに違いない。
だが、だからといってそうも楽観してはいられない。ハヤトはキレると、時々とんでもないことをしでかす。だからもしかすると、ハヤトがアイドルを辞めると言ったのも、億分の一の確率くらいで本気なのかもしれないのだ。

そっとハヤトの顔を覗き込む。しかし、彼の表情はわたしから良く確認できず、それが本気か嘘かなど、全く見当もつかなかった。



「はぁ。まったく、ハヤトはどうかしていますね」
やがて事態の傍観を決めたらしいトキヤがため息を吐きながら廊下へと姿を消した。


「ボクはアイドル辞めて、毎日ずーっとまことちゃんにぎゅーってする事に決めたんだ。ごはんも一緒に食べるし、まことちゃんのレコーディングがあればボクも一緒にスタジオ行くし、作曲作業してる時も隣に居るし、買い物も料理も付き合うし、もちろんお風呂も一緒に入ってベッドでは優しくしてあげる!」
「あ、あのね……」
「んー……」
「ちょっ、ハヤトいきなりキス……!? 待っ……ん」

ハヤトは自分の言いたい事を吐き出すと、わたしの反論を遮るかのようにその唇を押し当て、わたしの口を塞いだ。ハヤトの唇がほんの少し乾燥している。


ハヤトはつい先程まで、衛星電話も使えぬ程の僻地で国外ロケをしていた。
本来そのロケは違うタレントが行うはずだったのだが、そのタレントが急病でダウンしてしまい、急遽ハヤトにピンチヒッターとして白羽の矢が立てられたのだそうだ。ロケは急を要してしたため、ハヤトは国外へ発つ時も誰にもその連絡をする事ができなかったらしい。
さらにその後もこちらへ連絡を取る隙もなく、だからその間、ハヤトはわたしに連絡を寄越す事ができなかったのだと本人から先程弁解された。
ロケ期間はそのタレントに合わせて一ヶ月間を予定していたらしいのだが、ハヤトの国外ロケ慣れと、いくつかの幸運が重なり、当初予定していた日数のおよそ半分で収録が終わってしまったのだそうだ。
おそらくハヤトはそのロケを終え、すぐにここへ帰ってきたのだと思う。だからいつも手入れされているはずの唇もカサカサのままだったのだろう。
ハヤトがそこまでして早く帰宅したかった理由など、おそらくただひとつしかない。自惚れかもしれないが、わたしはそれを確信している。


「んっ、も、もう! ハヤト離れて」
「やだ。絶対離れないって決めたんだ。ボクは一生まことちゃんにくっついて生きてく。だから絶対離れない!」
「ハヤト……」

ハヤトがわたしの腰に手を回し、そのままぎゅっと引き寄せる。おかげでわたしとハヤトの間にはほぼ隙間が無くなり、お互いの体が妙に密着してしまった。

「……まことちゃん、ボク、お風呂入りたい」
「え?」
「ロケ地からそのまま帰ってきたから、ちょっと汗かいちゃった。だから、ね?」

不意に耳元でハヤトが囁く。ハヤトの甘い声はわたしの脳内を瞬時に麻痺させてしまうので、少々危険だ。

「まことちゃん、お風呂、一緒に入ろ?」
「えっ……、や、やだよ。入るなら一人で……」
「まことちゃんが一緒に入ってくれないなら、ボク入らない。一生入らなーい」
「なっ! ハヤトはアイドルでしょ? だめよそんな事言っちゃ……」
「ならまことちゃんが一緒に入ってにゃー」

いつの間にか顔を上げ、至近距離で破顔するハヤトを見ると、わたしはもう彼に何を言う事もできず、肯定の意も込め、首を縦に振るしかなかった。ハヤトは本当に無意識にずるい。

「……分かった。今日だけなら」
「ほんと!? わーい! なら早く入ろうまことちゃん!」
「わ、分かったから! ちょっと待っ……」
「待ーてーなーいー!」
「ひゃっ!」

ハヤトはわたしが体勢を整える前に、わたしを体ごとひょいと持ち上げ、そのままバスルームへと走った。




しかし。

「さ、入りましょうか二人とも」
「トッ、トキヤ!? 何してるんにゃ! こんなところで!」
「ててて、ていうかトキヤくん! 全裸で仁王立ちしないで! 前くらい隠してよ!」
「今さら照れなくとも良いのですよ。私たちは既に裸の付き合いをした仲ではありませんか」
「うっ……」

バスルームに入ると、なぜかそこには全裸で仁王立ちするトキヤが居た。童貞にも関わらず(本人談)セクハラの塊のような男で、彼、一ノ瀬トキヤのファンがこの事実を知ったら、確実に卒倒するであろうレベルの格好を目の前で曝している。

「トキヤ! まことちゃんに猥褻物を見せるなー!」
「ん、むぐっ」

ハヤトはトキヤからわたしの視線を逸らそうと、わたしの顔を自分の胸に押し付けた。ハヤトの体温とその匂いにちょっとだけ安心したのは内緒にしておこう。

「失礼な。その猥褻物を先日おいしそうに舐めていたのはどこのどなたで」
「あーあーあー聞こえなーい!」

トキヤのセクハラ発言に、わたしはハヤトの胸の中で耳を塞いだが、既に手遅れのようで、できれば忘れてしまいたかったあの日の出来事が頭の中に再び浮かんだ。

「おや? まことの顔が真っ赤ですね。照れているのですか? 可愛いですね」

トキヤはわたしの背後まで近付き、そしてわたしの上着に手をかけた。

「トキヤ! まことちゃんの服を脱がせていいのはボクだけにゃ! あっち行けー!」
「行きません。ハヤトがアイドルを辞めるという馬鹿な考えを改めるまで、私もハヤトと同じくまことにくっつきながら暮らします」
「にゃ、にゃんだとー!?」
「……」

めずらしくトキヤが正攻法でハヤトを窘めている。ハヤトが天職でもあるアイドルを辞めるなど、トキヤにとっても本意ではなかったらしい。わたしの中のトキヤの印象が少し変わったような気がした。

とはいえ、後ろからしっかりわたしの上着を剥ぎ取るトキヤに下心を感じない事もないので、困っているのも事実だったりするのだが。



「あーもう! トキヤもまことちゃんもお節介なんだからー! 分かったよ分かった! もうアイドル辞めるなんて言わないから、トキヤは早くここから出てけー!」

ハヤトはほんの少し考えたようだったが、すぐにわたしを強く抱きしめ、そう叫んだ。

「ハヤト……、アイドル辞めないって本当?」
「うん。まことちゃんもトキヤも、ボクがアイドルを辞めると寂しいんでしょ?」

ハヤトがそう言いながら、照れくさそうにわたしのシャツを捲り上げた。
どうやらわたしがハヤトと入浴する事は決定事項らしいので、反論する事は諦めた。



「では、私は先に入って待ってますからね」

トキヤの声で我に返ったが、時既に遅し。
結局わたしは彼らに促されるまま、三人で入浴する事になってしまったのだった。





1/1
←|→

≪ボクがキミの王子様
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -