生徒が休日の土曜日でも、教師は何かと忙しい。

とは言っても、美術担当の臨時講師でもある私は然程忙しくはないのだが、それでも来週からの授業のために色々と準備をしなければならない事があり、本日も朝から美術準備室に籠りきりだった。

先日ひょんな事から辰原くんのライブを見に行く約束してしまった手前、何としても夕方前には自分の仕事を終わらせる必要があったのだが、この作業ペースでいくと、ライブの開始時間ギリギリになっても終わるかどうかといった所だ。
私は小さくため息を吐き、この日の昼食を諦める決意をした。

しかしそのかいあってか、私は何とか作業を終わらせ、彼らのライブ開始前に会場へと入る事ができたのだった。



ライブは私が思っていたよりも、ずいぶん盛況だった。特に辰原くんの所属するWCRのメンバーが舞台に登場すると、会場内のどこかしこから黄色い声援が飛び交った。バンドのボーカルを勤める辰原くんへの声援が一番多かったように思う。ほんの少し彼が自分の生徒ではなく、どこか別人のように感じた。
彼らの演奏中も客席からの声援は止まず、それはメンバー全員が舞台から見えなくなるまで続いた。
私は辰原くんの声に圧倒された。パフォーマンスも選曲も観客の事を考えた構成になっており、なるほどこれなら人気なのも分かるような気がした。





ライブ終わりの辰原くんと同じモール内にあるファミレスへとやって来た。

「お疲れさま辰原くん!」
「ありがとう、小梅センセー」
「……」
「……けどさ」
「ん?」


「なんで恭介が一緒なの?」

空いていた奥の席へ私と向かい合うように座った辰原くんは、私の隣に御子柴くんが居る事に釈然としないようで、ずいぶん不満げに唇を尖らせていた。

確かに私が御子柴くんと一緒にライブを見に来た事には驚いただろうが、私が彼と一緒なのには理由があった。
実は、ギリギリで仕事を片付けてきた私は、辰原くんに教えてもらったライブハウスがよく分からずモール内をウロウロしていたのだが、偶然そこで会った御子柴くんに事情を話すと、呆れ顔をしつつもライブハウスまで案内をしてやると言うので、その言葉に甘え、彼に同行してもらっていたのだ。
テーブルを挟んだ向かい側で訝しげにこちらを見る辰原くんに、私は御子柴くんと会った経緯を簡潔に話した。



「センセーその歳で迷子かよー……。何だよそれ〜」
「何だよとは何だよ?」

あからさまにガッカリと肩を落とす辰原くんを睨み、御子柴くんが言い返す。
二人は犬猿の仲とまではいかないものの、良いライバル同士なので、ちょっとした文言ででも張り合う事が多い。と、先日生徒会長の卯都木くんから聞いてはいたが、どうやらそれは本当の事だったらしい。

「せっかくライブ終わりに小梅先生の顔を見て癒されようかな〜って思ってたのに、隣に恭介の顔があったら逆に疲れんだろ?」
「あのな……それはナニか? 俺の顔が疲れるって意味で言ってんのか?」
「おっ、良く分かってんじゃん。そのとーり!」
「なっ、なんだと!? 俺だって小梅先生に頼まれた事じゃなかったら、奏矢の演奏なんかわざわざ聴きに来るかよ!」
「……センセーに頼まれた事じゃなかったら? それじゃあ恭介は小梅先生に頼まれた事だから、わざわざセンセーをライブハウスまで案内して、最初から最後までずーっと小梅センセーの隣でセンセーを護衛してたっていうのか? ……まさか恭介、小梅先生のこと」
「かっ、勘違いすんな!」

辰原くんが探るように御子柴くんを睨むと、御子柴くんは目を見開いてすぐにそれを否定した。
辰原くんの事だから私がどうのというのは冗談なのだろうが、御子柴くんはその手の冗談など通じないようなタイプなのに、彼をそういう話題でからかうなんてどういうつもりなのだろう。
とりあえず私は席についてからこちらずっと言い合いをしている彼らに代わり、適当に飲み物を注文しておいた。
ライバルというのも大変だ。


「だいたい恭介はツンデレだからな。小梅先生が好きでも素直に好きだって言えないよなぁ? ま、俺はオトナだし? 余裕で小梅先生が好きだって素直に言えるけどな」
「は、はぁっ!? バカな事言ってんじゃねーよ! 勝手に決めつけんな! 誰がこんなグズなオンナを好きになるかよ!?」
「あーあー恭介は本当オコサマだな〜」
「うるせぇ! お前はただ軽薄なだけだろうが! だいたいそのヒゲ全然似合ってねーんだよ!」
「なっ、なんだと!? 俺のヒゲは関係ないだろ!?」
「ちょ、ちょっと二人とも、少し落ち着いて、ボリューム下げて」

この時間の店内は人が疎らだが、無人な訳ではない。ヒートアップしていくせいで、どんどん声のボリュームが上がっていく二人に私はとうとう仲裁の意も込め、それとなく注意を促した。御子柴くんにグズなオンナと言われた事は心の隅に留めておくが、それよりも今は彼らを黙らせる事が先決だった。

しばらく睨み合いが続いたが、私に落ち着けと言われた二人はようやく言い合いを止めた。しかし、まだ何か言い足りないのか、鋭い視線でお互いを牽制しあっている。男同士の友達というのも難しいものなのだなぁと改めて思った。
そんな彼らの横顔を見つつ、私は素知らぬ顔で先ほど運ばれてきたアイスコーヒーを飲み、小さくため息を吐き出した。


「本当に本当か? 本当に小梅先生のこと、何とも思ってないのか?」
「しつこい。だいたいそんなこと、俺が奏矢に話す義理はない」
「……そういう風にうやむやにするとこがアヤシーんだよな」
「うっ、うるせーな! ったく、奏矢のせいで喉カラカラだ!」

辰原くんにしつこく探りを入れられる御子柴くんの耳がほんのり赤い。特に暑い訳でもないのに彼の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。おそらく彼はこういう話題が苦手なのだと思う。


「だいたい本人の前でそういう話題出すなんて、どこまで軽いんだよお前!」
「本人の前で? 小梅先生の前で小梅先生の事言っちゃいけないのか?」
「そういう問題じゃねーよ。なぁ小梅先生、アンタ、奏矢のこういうとこ、どう思ってんの?」
「え?」

彼らの言い合いがいつ終わるのかと聞いていた矢先、突然話の矛先が私に向けられた。
御子柴くんも辰原くんもわたしをじっと見つめている。

「え、あの……」
「あー、まったくまどろっこしいな」
「……あっ! 御子柴くんそれ」

いつまでたっても煮え切らない私に業を煮やしたのか、喉が渇いたと言った御子柴くんがアイスコーヒーを飲み込んだ。

それは私の飲んでいたアイスコーヒーだった。

「はぁ……。ん? どうしたんだよ、小梅先生」
「や、それ……私が飲んでたアイスコーヒーなんだけど……」
「なっ!?」

先ほどまでほんのり赤かった御子柴くんの頬がどんどん赤くなっていく。小麦色の肌のせいでそれほど目立ちはしないが、私と辰原くんが分かるくらい、彼の頬は赤くなっていた。

「あー! 恭介お前ずるいぞ! わざとだろ、小梅センセーと間接キスしたくてわざとやったんだろ?」
「なっ、んなわけねぇだろ! 俺をお前と同類のスケベ扱いすんな!」
「いいや、スケベは男のステータスだからな」
「意味分かんねー……かったりぃ」

御子柴くんがよく分からない理屈を言う辰原くんに呆れたのか、ため息を吐いて肩を落とした。どうやら彼は辰原くんとの言い合いからとうとう離脱したらしい。

「センセーずるいよ、恭介にばっかりキスするなんて」
「……辰原くん、その言い方は誤解を招くからやめて」
「え? だって本当の事じゃん。小梅センセー恭介にだけキスさせたじゃん」
「べ、別に直接キスした訳じゃないでしょ!?」
「ずるいなずるいな〜」
「あ、あのね……。もう、どうしたらいいのよ……」

辰原くんの誤解まがいの駄々に疲れ、小さくため息を吐くと、彼はなぜかこちらへ身を乗り出し、楽しそうに笑った。まるでこうなる事を最初から狙っていたかのような笑顔だった。


「じゃ、あ、さ〜。小梅センセーが恭介とキスした事は黙っててあげるから、今日こそ俺と赤外線、してくれる?」
「ええっ!?」

いつの間にか取り出していた携帯電話を開き、彼が満面の笑みをこちらへ向ける。
これは私が了承せぬまで収拾がつきそうもないし、こうなれば私は彼の言う通りするしかないのだろう。


「……はいはい、分かったわよ」
「マジ? やった! ラッキー!」

バッグから自分の携帯電話を取り出し、そして辰原くんと赤外線で番号を交換する。

「……うし! これで小梅センセーのこと、デートに誘い放題だな!」
「あのね」
「恭介、羨ましいだろ?」
「別に?」
「またまた〜! でも、どんなに頼まれても小梅センセーの番号は教えてやんねーからな」
「いらねーよ。だいたい小梅先生の番号もメアドも、俺ならとっくに知ってるし」
「えっ!?」
「……」
「……」

辰原くんは知らなかったようだが、以前私は御子柴くんや卯都木くんに緊急の用ができた時のためにと携帯電話の番号を教えていた。しかしこれは生徒会から緊急時のためと言われれば、教師として教えぬ訳にもいかない事で、ほぼ不可抗力のようなものだ。と言ってもきっと辰原くんはそう簡単に信じてはくれないだろう。

目の前で固まる辰原くんの誤解を解くまで、私はさらに数時間彼らの言い合いに付き合うはめになるのだった。





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