「小梅セーンセ、俺、持ちますよ」
「え? ……あ、辰原くん」

午後の授業で使う美術の教材をあっという間に取り上げ、私の隣を闊歩する彼は、この学園の二年生、辰原奏矢である。

「あ、ありがとう」
「いえいえ、どーいたしまして!」

先月産休に入った美術教師の代わりに私がこの学園の臨時職員として採用され、いわば新参者でもある私にいち早く打ち解けてくれたのがこの辰原くんだった。
彼はバンドマンでもあり、所謂ムードメーカーのような存在で、女生徒からの人気もすごいらしい。私がこの学園に来てもうひと月になるけれど、実際彼が女生徒から告白されているシーンを四度程見かけた事がある。
なぜこんなにも彼の人気があるのか。
私独自の見解によれば、それはある意味、彼の性格の軽さによるものであると思われる。彼は女生徒と見ると挨拶代わりにウインクを飛ばし、まるで口説き文句のような軽口を叩く。それで女生徒が勘違いをしない訳がない。彼は無意識のうちにそれらを周囲へ振り撒き、しかし勇気を振り絞って告白してきた彼女らをあっさりと振ってしまう。辰原くん自身には本当に悪気がないらしい。だから余計に始末におえないが、そういう所も人気を博している要因といえるのかもしれない。

そんな彼と、私はここ最近特に良く顔を合わせるようになった。別に意識して彼を探している訳でもないし、そうしようという気すらない。だが、彼は私が困った時にどこからともなく急に現れ、そしてさりげなく手を差し伸べ助けてくれる。それが最近何度も続き、私はいつしか彼の優しさに好感を覚えていた。



「ねぇ、小梅センセ、今度の土曜日、ヒマ?」
「え? ヒマじゃないよ」
「またまた〜? 本当はヒマだけど、ヒマじゃないって見栄張っちゃってるんでしょ?」
「いや、だからヒマじゃないって言ってるでしょ」
「今度の土曜、俺らのライブあるから、来てよ!」
「……」

辰原くんは明るくて良い生徒だが、時折話の通じない事がある。そしてやや強引だ。

「いいよね? 今度のライブ、俺らのバンドがメインだから」
「……」
「……」
「……」
「……あーあ、この教材重いな〜」

私がいつまでも彼らのライブへ行くことを承諾せずにいると、辰原くんはわざとらしく教材の乗せられた手を下げ、チラチラとこちらに視線を寄越した。明らかに彼はこの労働と私の土曜の予定を交換条件と呈していた。


「……ハイハイごめんね、教材は私が持つから」
「えっ!? や、違う違う! 教材は俺が運ぶから、小梅先生には俺らのライブに来て欲しいの!」

隣を歩く辰原くんは私なんかよりずいぶん背が高くて男らしいのに、時々その態度によって彼を可愛く感じる事がある。それにそんな風に言われれば、私だって断りにくいに決まっている。



「……辰原くんって意外と甘え上手だよね」
「へ……?」

私の突拍子もないその一言に、彼は一瞬呆気にとられ、歩く足が止まったようだった。しかしすぐに頭を切り替え、先を行く私に数歩で追いついた。

「えっと……小梅先生、甘え上手って、俺の事?」
「……え? 自覚、ないの?」

辰原くんは私に甘え上手だと言われた事にずいぶん驚いていたようだったが、さらに私にそれを肯定され、どんどん表情が複雑に変わっていった。




「俺、自分で言うのもなんだけど、けっこう頼りがいのある男だと思うんですけど……」

いつの間にか着いた美術室の教卓に教材を乗せると、辰原くんはいよいよ私に詰め寄ってくる。長身な辰原くんに迫られると、彼を思いきり見上げなくてはならなくなるため、私は非常に首が痛くなる。

「なんなら、試してみます?」
「えっ……。な、何を?」
「俺が甘え上手なんかじゃなく、オオカミだってこと、しっかり小梅先生の唇に教えてあげますけど?」
「なっ、冗談はやめてよ辰原くん……!」
背中が黒板に当たり、私の顔の真横に辰原くんが手を付くと、私は完全に逃げ場を封じられた。
間近で見ると彼の整った顔立ちがはっきりと分かり、必要以上に顔が熱くなる。

「たっ、辰原くん!」
「奏矢、って呼んでよ」
「……」

目の前に迫る辰原くんは、いつもの笑みで私に顔を近付ける。私は別に彼を特別だなどと思っている訳ではないはずなのに、なぜか心音が高鳴り始めた。





「あ〜れ〜? なーにやってんの? 辰原クン」
「み、巳城くん!」
「タクミ!?」

美術室のドアを開けて入ってきたのは、学園内で顔を合わせるのもめずらしい巳城タクミだった。
ひとつひとつの単語を区切り、ひどく間延びさせた独特の喋り方は、彼の顔を見ずとも本人だと周囲へ分からせてくれる。
巳城タクミと学園内で遭遇する確率は非常に低い。彼は学園に来る事自体がめずらしく、そのせいで出席日数が足りず、現在二度目の二年生をしている。

「タクミ、なんで授業に……!?」
「そ〜んなに驚かなくてもイイんじゃない? 今日のデッサンは、小梅センセーがヌードモデルしてくれるって聞いたから〜、面倒だけど学校に来てあげたんじゃな〜い」
「ヌッ、ヌードモデルッ!? 小梅先生、ヌードモデルってどういう事ですか!?」
「や、どういう事もなにも、落ち着いてよ辰原くん」
「落ち着いてなんかいられるかよ! 小梅先生の裸をみんなに見られるなんて、そんなの!」
「だからなんで信じるかな。それ、巳城くんの嘘だから」
「……え」

巳城くんは喉の奥を鳴らすようにククッと笑いながら、一番後ろの席に座った。

「辰原クン、抜け駆け、キ、ン、シ。だからね〜?」


巳城くんの声に気が抜けたのか、その後辰原くんは私に背を向け、無言のまま自分の席へと歩いて行った。
その肩を落とした後ろ姿があまりにも可哀想に思え、とりあえず私は心の中で土曜の予定を空ける事をこっそりと決めたのだった。






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