昼間から付けっぱなしだったテレビから、その始まりを告げるかのようにアップテンポな激しいロックが流れ出した。

今日から始まるこのドラマは、音也くんとトキヤくんが主演する、あの執事ドラマだ。





数週間前からこのドラマの収録が本格的に始まった。
それと同時に彼らは今までの生活とは打って変わり、多忙な日々に突入した。それこそ秒刻みのスケジュールで、今までと何ら変わりのないわたしからするとちょっと寂しい気もするが、それは元々わたしたちの立場が違いすぎるのだから仕方ない。

そしてようやく元の生活に戻り始めた今、わたしの部屋にはちょっとした異変が起こりつつあった。



「かおる、コーヒーはまだですか? ドラマが始まってしまいますよ」
「えっ、あ、ちょっと待ってください!」

あれからトキヤくんは暇さえあればわたしの部屋へ来るようになった。暇さえあればといっても彼にはなかなか暇なんてものは無いので、そうそう頻繁に来る訳でもないけれど、おそらく彼はオフのほとんどをわたしの部屋で過ごしているに違いなかった。

「かおるが待ってくださいと言っても、ドラマの開始時刻は待ってくれませんよ?」
「は、はい、今終わりますから……!」

つい数週間前まではトキヤくんが何でもわたしの世話をしてくれたりと逆の立場だったはずなのに、今やわたしはトキヤくんに傅く立場になっていた。
彼が来ればすぐに自分の定位置のはずのソファを明け渡し、そして速やかにブラックコーヒーを用意する。それがわたしの日常になりつつあるのだ。

テレビから流れる主題歌がサビ部分に突入した。今さらこんな事を思うなんて負け犬の遠吠えだと思われるかもしれないが、改めてこの主題歌をわたしが歌う事にならなくて良かったと思う。なぜならわたしには絶対、こんな曲を作る事ができないからだ。

ドラマに沿った歌詞にアップテンポのロック。このドラマの主題歌は、確かにあの時トキヤくんに言われた通り、わたしの作る曲調からはずいぶんかけ離れたものだった。
彼に助言してもらわなければ、わたしはきっと無理にでも曲を作り、それが万が一にでも採用されれば、きっといずれ自分で自分の首を絞める結果となるだろうに、それでも速度オーバーも気にせず突っ走っていた事だろう。その先はいわずもがなだ。
トキヤくんは優しいけれど、仕事に関しては誰よりもシビアだ。彼はきっと目先の主題歌よりも、わたしにはわたし自身の音楽を大切にしろと教えてくれたのだと思う。




「コーヒー、どうぞ」
「ああ、ありがとうございます。さ、こちらへどうぞ」
「……はい」

テレビの前に設えたソファは、地味な白色をした二人掛けソファで、トキヤくんに促されたわたしは自分の分のコーヒーを持ちながらゆっくりとそこへ座った。コーヒーの薫りに混じり、トキヤくんの微かな香水が鼻を掠める。近すぎる訳ではないが、二人きりの空間でこの距離は妙に恥ずかしい。

主題歌が終わり、CMを挟むといよいよ本編が始まった。テレビ画面には実習の時と全く変わらない音也くんとトキヤくんが映っている。全国ネットのこのドラマの主演者二人と数週間前までわたしが一緒に生活していたなんて、今思うと夢のような出来事だったような気がする。そして更には今、トキヤくんがわたしの隣にいるなんて、もしや本当に夢ではなかろうかと思う。


「どうしたのです? ひどく間の抜けた顔をしていますよ」
「えっ!?」

トキヤくんの隣で考え事をしていたわたしは突然彼にそう声をかけられ、ようやく我に返った。

「た、確かにわたしは間抜けですけど……ひどいですトキヤくん」
「ふふ……すみません。君を見るとつい意地悪をしたくなるもので」
「……そんなー……」

わたしの細やかな反撃もトキヤくんにはまるで効いておらず、結局返り討ちにあってしまった。

しかし本当に謎だ。
トキヤくんが楽しそうにしている理由も、ここに居る理由も。この状況があまりにも現実離れしているせいか、わたしはなかなかそれを口にする事ができない。



「また考え事ですか? 本当に、どうかしたのですか?」
「あ、いえ、何でもない、です」
「……」

咄嗟に表情を繕えず、トキヤくんに不信感を抱かせてしまっただろうか。案の定彼はそれに目敏く気付き、首を傾げながらわたしの肩に手を回した。元々近い彼との距離がさらに近付き、心音が尋常ではない程跳ね上がる。

「かおる、正直に言ってください。君は今、何を考えていたのですか?」
「や……特に何も」
「……」
「……」

トキヤくんの刺すような眼差しは、こちらに何の落ち度が無くとも逸らしてしまいたくなる程力強い。ご多分に漏れずわたしも彼の視線から逃れようと思いきり目を逸らす。しかし彼はそれを許さず、わたしの頬を掴み、無理矢理わたしと目を合わせた。

「正直に言いなさい」
「……」

やはりトキヤくんのこの視線は厄介だ。

「あ……、ええと、たいした事じゃないんですが」
「はい」
「その、もう実習も終わったというのに、どうしてトキヤくんはわたしの部屋へ、来るんですか?」
「……」

やっとの思いで吐き出した疑問に心のどこかで安堵し、そっと彼を見上げる。トキヤくんはそれがあまりにも想定外な質問だったとでも言うように、ずいぶん呆気に取られた顔をしていた。

「あ、あの……」
「かおる」
「えっ!? は、はい?」

トキヤくんに名を呼ばれ、勢い良く姿勢を正す。彼はそんなわたしを見て、わずかに息をもらし、笑った。

「君は今まで、何とも思っていないような男を何の疑問も無く自分の部屋へ上げていたのですか?」
「え?」
「私としてはとっくにかおるとはそういう関係になっているものと思っていたのですが」
「……そういう、関係、とは?」
「……」

わたしの返答に呆れたのか、トキヤくんが一言鈍いですねと呟く。確かに私は鈍いかもしれないが、それも仕方のない事のように思う。なにせトキヤくんの物言いはどうも回りくどくてわたしには難解すぎるのだ。
トキヤくんがわたしから目を逸らし、大きなため息を吐いた。


「そういう関係とは、私とかおるが恋人同士という関係の事です」
「……」
「……」
「……えっ」

絶句した。
実習が終わった今、トキヤくんがわたしに付き合う見返りなどないはずなのに、それでも尚そんな事を言うのだろうか。

「……なるほど。どうりで」

未だ驚きを隠せず何も言うことができないわたしを見てトキヤくんがこめかみを押さえる。どうやらずいぶん呆れているようだ。

「あ、あの……?」
「どうやら私とかおるの見解が大分ずれているようですね」

一呼吸置き、トキヤくんが説明を続ける。わたしはその説明に頭が追い付くよう必死に頭の中でそれをまとめた。

「実習後、初めて私がかおるの部屋を訪れ部屋に上げてもらった時、私はかおるに気を許してもらったのだと判断しました。女性一人の部屋に男が上がり込むのですから、そう思うのは当然です」
「そう……ですか?」
「そうです。少なくとも私はそう思います」

良く分からないトキヤくんの暴論に反論しそうになったが、まだ続きがありそうなのでわたしは黙ってそれを聞いた。

「かおるはそう思っていなかったのですか? 私を自分一人の部屋へ上げるなど、それは私に体を許しても良いと思っていた証拠ではなかったのですか?」
「い、いえ! ……さすがにそこまでは……思ってなかったです」

「……はぁ。どうりで私がいくらそういう雰囲気に持っていこうとしても、かおるは明後日の反応しかしてくれないはずです」
「う……すみません……」

なぜだかトキヤくんに責められているようで、わたしは思わず彼に頭を下げ謝罪した。よくよく考えてみればお互いに悪いところなどひとつも無かったように思うが、一度謝ってしまった今、それを正すタイミングは完全に逸してしまっている。



「本当に反省していますか?」
「え? あ、はい、もちろんです!」
「そうですか。それならばけっこう。なら、この後はどうすれば良いか、分かりますよね?」
「え……」

顔を上げると、そこには怖いくらいに満面の笑みを浮かべたトキヤくんの顔があった。
これはつまり、おそらくそういう事なのだろう。

「そうですね、せっかくですし、今日はっきりさせてしまいましょう」
「……は、はっきり?」


「私は君が歌を歌い始めた時から君のファンです」
「……」
「私の想いが迷惑ならば、何も言わずとも構いません。私はすぐにここから出ていきます」
「……」
「けれど、かおるが私を受け入れても良いと言うのなら、君が私を誘ってください」
「えっ、さ、さそっ……!?」

トキヤくんがひどく挑戦的な目でわたしを見つめる。それと同時にわたしの顔はどんどん熱くなっていった。

「簡単でしょう? ただ君はそこから私の首に手を回し、そして顔を近付け、キスをすれば良いのですから」
「っ!」
「さ、どうしますか?」
「……」

「……かおるにその気がないのなら、私はそろそろお暇させていただきます」

トキヤくんはもうわたしの気持ちにとっくに気付いている。だから彼はこんなに自信たっぷりにわたしを見下ろしているのだ。

トキヤくんはわたしのファンだと、そしてわたしの歌を含めてそれが好きだと言ってくれた。
何度も何度も彼にそう言われるたび、きっとわたしはトキヤくんを無意識のうちに意識し始めていたのだと思う。こんな事は今まで無かった事だけれど、こんな恋の始まりがあっても良いのかもしれない。
と思う。

「それでは私はこれで……」
「ま、待ってください!」

おずおずと伸ばすわたしの手は、心なしかどこか震えている。
目の前には誰もが知るトップアイドル。

わたしはその手を彼の首に回し、震える唇を彼のそれに押しあてた。
トキヤくんの手がわたしの腰を引き寄せ、さらに体を密着させる。

テレビから流れているはずのドラマは、最早わたしの頭にはまったく入っていない。






1/1
←|→

≪戻る
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -