それは本当に全く予想だにしていなかった事で、わたしは通話が終わっているのにも関わらず、しばらくその恰好のまま動く事ができなかった。



「……かおる」
「……」

音也くんが震える声でわたしの名を呼ぶ。しばらく放心状態だったわたしは、彼のその声でようやく我に返った。

「大丈夫? かおる」
「あ、はい……大丈夫です……」
「それで、社長、何だって?」
「あ、えっと……。その、今回の事で、わたしにも多少迷惑をかけたからとおっしゃって、わたしにドラマ主題歌を歌うチャンスをくださると……」
「えっ!? もしかしてそれ、俺らのドラマの主題歌!?」

わたしの支離滅裂な説明を再確認するように、音也くんがわたしに顔を近付ける。わたしはただ何度も首を縦に振り、それを必死に肯定した。あまりにも突然すぎるその話に、わたしは一瞬声すら出すことができなかったのだ。
音也くんは自分の事のように喜び、おめでとうと叫んで勢い良くわたしへ抱きついた。音也くんの髪の毛が頬を掠め、まるで大型犬にのしかかられているようで少しくすぐったい。
わたしはわたしよりも興奮する彼を宥め、何とか体勢を整えた。

「お、音也くん、ちょっと待ってください」
「ん、どうかした?」
「あ、あのですね、この話はまだ決まったわけではなく、ただチャンスをいただいただけ、という事なんです」

浮かれたい気持ちを何とか抑え、わたしはそれを自分自身にも言い聞かせるように、なるべく落ち着いた声で社長からの言葉を繰り返す。

「じ、実はですね、社長がわたしにも迷惑をかけたお詫びだとおっしゃって、今度のドラマの主題歌を歌うアーティスト候補の中に、わたしの名前を挙げてくださったらしいのです」

もちろんわたしの他にも候補者は何人か居るし、だからこそわたしは今、ただの候補者に過ぎない。実力至上主義な社長らしいが、本当に主題歌として使われたければ、あとは自分で何とかしろという事なのだろう。



「ですから、まだ候補、というだけなんです」
「……そっか、まだ決定じゃないんだ」
「……」

音也くんがわずかに眉を下げ、残念そうに私から離れる。
トキヤくんは終始無言でわたしたちを凝視していた。



「ええと、とりあえず、あと一週間のうちに指定されたテーマを取り入れた曲を大まかにでも作って提出しないといけないみたいです」
「一週間!? ずいぶん急じゃない?」
「はい。でもわたし以外の候補者の方も同じ条件みたいですし……」
「あ! ねぇ、じゃあさ、俺、台本覚える合間にかおるの曲作り、手伝う!」
「えっ……! そ、そんな、悪いです!」
「悪くないよ! ドラマ主題歌だよ? かおるの歌が色んな人に聞いてもらえるチャンスじゃないか! 俺、喜んで協力するよ!」

音也くんの協力的な笑顔に、わたしは思わずこのまま彼に甘えてしまいそうになっていた。しかし、その時傍観を決め込んでいたはずのトキヤくんが徐に口を開く。

「……音也、少し落ち着いてください。とりあえずかおる、今回のドラマ主題歌のために与えられたテーマを教えてくれますか?」
「え……? あ、はい」

トキヤくんの落ち着いた声が熱くなるわたしたちの心を冷ましていくように室内に響き渡る。
わたしはすぐに先ほど社長から聞かされたテーマを紙面に写し、彼らへ見せた。



「……」

テーマの書かれた紙を睨みつけ、トキヤくんが険しい顔をさらに険しく顰める。わたしはトキヤくんに何を言われるか、内心ずいぶんドキドキしていた。


「……やはり私は反対です」
「え……」

トキヤくんの意見はやはりわたしの予想通りのものだった。
元々彼はこの話をあまり快く思っていなかったようで、反対されそうな雰囲気ではあったが、まさかこんなふうに即答されるとは思っておらず、そのせいか一瞬反応が遅れてしまった。おかげでわたしはその時、ずいぶん間の抜けた顔をしていた事だろう。
しかしなぜトキヤくんはこうまで反対するのだろうか。わたしの代わりにその疑問を彼に投げかけてくれたのは音也くんだった。

「トキヤ、どうして反対なの?」
「……」

トキヤくんはわたしたちを交互に一瞥し大きなため息を吐くと、その後意を決したようにその理由を口にした。

「決まってるじゃないですか。かおるがドラマ主題歌を歌ったとして、その曲がブレイクしたらかおるのにわかファンが急増するじゃないですか。だから嫌なのです」
「……え?」

それはあまりにも突飛な理由だった。すぐには理解できそうもない。

「だいたいかおるが有名になれば、彼女にもスキャンダル狙いのカメラマンが張り付く事になるでしょう。すると私たちの生活はどうなると思いますか?」
「え? 私たちの生活……?」
「ええ。例えば私とかおるが結婚を前提にお付き合いをするようになったとします。恋人同士ならば二人で一緒に仲良く買い物をする事もあるでしょう。そんなところをかおるに張り付いていたカメラマンに運悪く写真を撮られでもしたら、かおるはずいぶん傷付いてしまうに違いありません。アイドルとシンガーソングライターの熱愛! などと見出しに書かれ、私たちは周りからずいぶん面白がられる事でしょう」
「え……あの、ちょっと……」

トキヤくんの解説は尚も止まらない。わたしが口を挟む隙など一分もなく、更にはなぜかその例え話がどんどんストーリー性を帯びて行く。これは本当にトキヤくんの想像の話なのだろうかと改めて自問しなければ、今の状況を忘れてしまいそうになる。

「せっかく恋人らしいお付き合いを始めたばかりだというのに、私たちはしばらくカメラマンに追いかけられ、自由に外も歩けない日々が続きます。しかし、ある日どうしても性欲を抑えられなくなった私はかおるを強引にラブホテルへ連れ込みます。そうですね、きっとその夜は数日会えなかったぶんを取り戻そうと、私はかおるを何度も何度も抱く事でしょう。……ですが、数日後の週刊誌には、またしても私たちがラブホテルへ入る時の写真が載ってしまい、有ること無いことを面白おかしく書き立てられてしまいます。するとそれを見兼ねた事務所は、とうとう私たちにお互い会う事を禁じてしまいます。……次第にそれが仕事にも悪影響を及ぼすようになり、私のアイドル生命とかおるのシンガーソングライター生命は下降する一方となる訳です。酷いと思いませんか? 第三者にしてみれば暇つぶしのネタでも、必要以上に騒がれる事で私にとっては死活問題に発展するのです……。本当に死活問題ですよ、かおると性交ができなくなる事は……」
「ん……うええっ!? し、死活問題って、トキヤくんのアイドル生命の事じゃなく、そっちなんですか!? ……じゃなくて、ちょっと待ってください!」

そのあまりにもぶっ飛んだ未来構想を延々と喋り続けるトキヤくんに色々とツッコミを入れたかったけれど、さすがに全てに突っ込む事もできなかったため、とりあえずわたしは彼の暴走を止める事にした。少々対応が遅かったような気もするが、それは仕方ない。

トキヤくんが怪訝そうな顔でわたしを見つめる。どうやらわたしに自分の意見を遮られた事が解せないらしい。しかしわたしは彼の思考こそが理解し難い。だいたい途中――もしかしたら最初からかもしれないが――からどうにも妙な雲行きになってきたのは何となく気付いてはいたけれど、結局わたしと性行為ができない事が死活問題になるだなどというふざけた結論に至るなんて、真剣に耳を傾けていたぶんだけわたしの脱力感も尋常ではない。そもそもなぜこんなに妙な話になってしまったのか。トキヤくんの妄想力は時に凶器にもなりうる事を、わたしは今、身を持って知ったのだった。


音也くんが台本を持ったままわたしに寄り掛かり、静かな寝息を立てはじめていた。




「とまぁ、冗談はこれくらいにして」

不意にトキヤくんの低い声がわたしの耳元をくすぐる。
トキヤくんはわたしに寄り掛かる音也くんを一瞥すると、なぜだか安心したようにため息を吐き、笑った。

「音也は眠ったようですね」
「あ……そう、ですね」
「では、正直に言います」
「正直に……?」

トキヤくんが顔から表情を消し、わたしの頬に手を添える。それは先ほどとは打って変わって真剣な表情で、わたしも彼から目を離す事ができなかった。
トキヤくんのちょっと冷たい手が、わたしの頬を優しく撫でた。

「先ほど今回の主題歌に関するテーマを拝見しましたが」
「……はい」
「どれも君の音楽からは程遠いようなテーマばかりで、いつも穏やかな曲を作るかおるがこんなテーマで曲を作れるか、私は心配でなりません。もし君が主題歌のためだけに自分の持っている音楽を曲げる事を考えているのならば、それは言語道断だと思います」
「……」
「私は君の作る音楽が好きです」
「あ、ありがとう、ございます」
「……これは私の我が儘ですので、聞き流してくださっても構いません」
「……」
「何度も言いますが、私は君の音楽が好きです。だから尚、主題歌のために自分の音楽を曲げたかおるの曲など、私は聴きたくありません」
「……」
「かおる。社長へ返事をする前に、もう一度良く考えてみてください」

いつになく真剣なトキヤくんの思いが、わたしの胸に深く突き刺さった。



「……わかりました」

わたしはそう言うと、音也くんをゆっくりとソファへ寝かせ、振り返らずに自分の部屋へ向かった。





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