抜き打ちテストで林檎先生にもう少し頑張れと言われた音也くんは、あれから毎日一人で特訓をしていた。もともと努力家で、完璧主義なトキヤくんに僅かながらもコンプレックスを感じていたらしい彼は、自分の給仕の仕方が静かに上手くできるまで、寝る間も惜しんで練習を重ねていたらしい。
そしてあの抜き打ちテストから二週間、再び行われた林檎先生のテストで、音也くんは見事練習の成果を余す所なく発揮し、その結果、正式にドラマのオファーを二人分いただいたのだそうだ。

最初からある程度事務所のタイアップがあったとしても、この役を勝ち取れたのは二人の努力の賜物である事は間違いない。思えばわたしは彼らの役に立ったという自覚は全くないが、彼らにずいぶん感謝されたので、今日だけは自惚れてもいいだろうと思う事にした。

彼らのドラマ主演が決まった事に、わたしはどうお祝いすれば良いのかと懸命に考えた。しかしわたしができる事と言えば、ただ彼らに全力でおめでとうと言ってあげる事ぐらいしか思い浮かばなかったのだった。





「えーっ、お祝いなんていいよ!」
「そうです。こんな事ぐらいでお祝いなど必要ありません」

今晩お祝いも兼ねて自分が手料理を作っても良いだろうかと彼らに訊ねると、彼らはあっさりとそれを拒否してしまった。
確かにわたしの料理の腕は人並みだし、あまり自慢できたものでもないが、そうあっさり拒否されると少し落ち込んでしまう。

「あ! 誤解しないでねかおる! 別に俺はかおるの手料理を食べたくないって言ってるんじゃなく、そんな、大袈裟にお祝いするような事じゃない、っていうか……」

知らず知らずのうちにわたしの表情が落ち込んでいたせいか、音也くんはそれを見てすぐにフォローを始めた。音也くんに悪気が無いのは分かっていたし、わたしもそれ程落ち込んではいない。しかし音也くんはわたしがひどく落ち込んでいると思い込み、ああだこうだとフォローを試みるのだが、結局上手く言葉を発する事ができず、ただ目の前でオロオロとするばかりだった。その様子がちょっと可愛い、だなんて思ってしまった事はわたしの心の中だけにしまっておこう。




「音也、少しは落ち着いたらどうですか」
「ふえっ……!? あ、そっか、うん、そ、そう、だよね……」

眉を顰め、呆れたようにため息を吐くトキヤくんに促され、音也くんはしょんぼりと項垂れながらわたしの隣に座った。
彼の赤い髪の毛がサラリと揺れ、シャンプーの香りが仄かに薫る。

なんだか少し音也くんに申し訳ないような気持ちになった。


「そうだかおる。君がそこまで言うのなら、私の方からリクエストをしても良ろしいですか?」
「え、リクエスト……ですか?」
「ええ。差し支えなければ、かおるにしてもらいたい事があるのですが」

わたしの反対隣に座るトキヤくんが挑戦的な眼差しでわたしを見る。その眼差しは、思わずうなずく事しかできなくなるくらい強いものだった。

「そんなに警戒せずとも大丈夫ですよ。私のリクエストなど、君が料理を作るより手間はかかりませんから」
「……は、はい。トキヤくんと音也くんがそれで良いなら……」

どうしてもと言うトキヤくんに気圧されコクリとうなずくと、彼は途端に笑顔になり、無遠慮にわたしの肩へ手を回した。トップアイドルとは思えない所業だが、あえてそこは考えないようにした。

「ええと、それではわたしは何をしてトキヤくんたちをお祝いしたら良いでしょうか……」

トキヤくんを見上げてそう尋ねると、彼はわたしを強引に抱き寄せ、至近距離で囁いた。

「そうですね。それではまず手始めに、かおるからキスでもしていただきましょうか。もちろん唇に、ですよ」
「えっ!?」
「えーっ!? ずるいずるいずるいよー! トキヤずるい!」

トキヤくんの囁きに耳を傾けていたわたしと音也くんは、彼の思いもかけない要求に、揃って驚いてしまった。いや、正確に言えば、わたしは驚いたが、音也くんはその直後わたしを反対側から引っ張り、強く抱きしめると頻りにずるいと喚き立てたのだった。

「何が狡いのです? 別に狡くはないでしょう? かおるがどうしても私たちをお祝いしたいと言うので、私はかおるにして欲しい事を言ったまでです」
「えー……」

トキヤくんと音也くんがわたしの両隣からお互いを牽制するように睨み合う。それは決して険悪なものではないのが唯一の救いだが、間に挟まれたわたしはひどくいたたまれない。



「じゃあさ、俺は、かおるのおっぱい触りたい! もちろん生で!」

しばらくの沈黙の後、何を思ったのか音也くんは急にとびきりの笑顔でそう叫んだ。

「えっ……」
「却下です音也!」

わたしが音也くんのその言葉を理解するのと、それを聞いたトキヤくんが叫んだのはほぼ同時だった。
トキヤくんに自分の要求を却下され、音也くんが頬を膨らませて不満そうに顔をしかめる。

「突然何を言うかと思えば……そんな破廉恥な事、たとえかおるが許したとしても、私が許しません!」
「ええーっ!」

わたしだって音也くんの要求をおとなしく受け入れるつもりはないが、彼らの真剣な言い合いには口も挟む事ができない。そうこう考えているうちに、さらに二人はヒートアップしていく。

「そもそも最初にエッチな要求したのはトキヤじゃん! 俺にだってかおるにお祝いしてもらえる権利あるんだし、おっぱい揉むくらいいいじゃん!」
「私はいずれかおるとそういう関係になる予定だから良いのです!」
「えーっ!? そう、なの?」

音也くんの縋るような目に思い切り首を横に振って否定してやりたいところだったが、すぐに彼らの声によってそれは掻き消される。

「そうです。ですから音也のイヤラシイ要求は全て却下です!」
「えー、やっぱずるいよトキヤばっかり! かおる、いいよね? お祝いだと思っておっぱい触らせてくれるよね? ついでにおっぱい吸ってもいい?」
「えっ、あ、あの……ふわっ!」
「お、音也! 勝手にかおるのシャツに手を入れるんじゃありません!」
「いいじゃん! ね? かおる、いいよね?」
「よ、良くありませ……」
「……音也がその気なら! かおるっ! 私はかおるの下腹部をまさぐらせていただきます。もちろん、下着の中へ手を突っ込んで直にです!」
「へ……? や、やめてください! 冗談ですよねっ!?」
「私の顔が冗談を言ってるように見えますか?」
「……」

またしても彼らの良く分からない意地の張り合いに巻き込まれたわたしは、今度こそ本当に貞操の危機を感じた。

「かおる、おっぱい触らせて!」
「かおる、逃げなくとも良いのですよ。全て私が優しくリードして差し上げますので」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
「待てません。私はじゅうぶん過ぎる程待ちました」
「俺も! いくらアイドルで恋愛御法度でも、もうひとりで妄想しながらエッチするのは限界! かおる、これからは俺と思う存分エッチしよーよ!」
「かおる、音也の言葉に耳を貸してはいけません。それよりも私と早くまぐわり、既成事実を作ってしまうのです!」

両側からじりじりと距離を詰める彼らの顔が尋常ではない程真剣で、わたしは彼らから殺気にも似た狂気を感じた。



「あ……ちょっ、ちょっと待ってください……!」
「ですから、もう待てないと言っています」
「俺も待てなーい!」

彼らの間で身をすくめ、この状況を打破するために懸命に頭を回転させる。
しかし当然ながら、そんな案など簡単に浮かぶはずもなく、彼らとの距離はどんどん縮んでいくのだった。



その時、突然携帯電話の着信音が鳴った。
その聞き慣れた着信音はわたしの携帯電話から発されているようで、液晶画面を覗くとそこには社長の二文字が映し出されていた。

天の助けか、この電話が社長からのものだと二人に説明し、彼らから離れるとすぐに通話ボタンを押した。

「もしもし、藤崎です」




「えっ!? わたしが、トキヤくんと音也くんの出演するドラマの主題歌を!?」

それはまさに、青天の霹靂だった。





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