それは突然の社長からの呼び出しだった。

特に褒められるような事も怒られるような事もした覚えのないわたしは、社長直々の呼び出しに内心とても怯えていた。

数年前早乙女学園を卒業し、シャイニング事務所所属となったわたしは、無名アイドルへの曲提供やCM曲の提供などをしながらシンガーソングライターをしている。その曲は大々的に売れる事もなく、かといって全く売れない訳でもなく、所謂鳴かず飛ばずといった状況で、いつ事務所側に解雇されてもおかしくはない状況だった。
そんな折りに社長からの呼び出しとくれば、とうとう来る時が来たのかと、わたしは歩きながら半ば諦めにも似た覚悟をしていた。



「失礼します……」

外からノックをし、声をかけると中から入れという声が返ってきた。
今から言い渡されるであろう通達を何度も頭でシミュレートしながらそこへ足を踏み入れると、そこには社長の姿はなく、代わりに、この事務所を取り仕切っている日向龍也がデスクに凭れながら腕組みをしていた。
更にその前にはST☆RISHというアイドルグループの一ノ瀬トキヤと一十木音也が揃って立っており、少々挙動不審ぎみに中へ入るわたしに物めずらしげな視線を送ってきた。

わたしと彼らは同じ事務所所属とはいえ、普段なかなか会うことがない。そもそもわたしと彼らでは立っている土俵が違うのだから当然といえば当然なのだが。彼らは今人気絶頂のトップアイドルで、日本一忙しい芸能人と噂されている。片や鳴かず飛ばずのシンガーソングライターなわたし。そんなわたしがこんな所で彼らに会うなんて、もう一生無い事なのではないかと思うほどめずらしい。

彼らに痛い程の視線を浴び恐縮しきったわたしは、おずおずと左端へ進み、一ノ瀬トキヤの隣に並んだ。
横目で一ノ瀬トキヤを盗み見ると、彼はテレビで見るよりも長身で整った顔立ちをしており、まるでビスクドールにも似た佇まいをしていた。思わず目を奪われるが、あまりジロジロ見るのも失礼だと思い、すぐに日向さんへ視線を移す。



「よし、ようやく揃ったな」

いつものローテンションで日向さんが静かに呟いた。
しかし日向さんのその言葉にわたしは思わず首を傾げる。ようやく揃ったということは、呼び出されたのはわたしだけではなく、この二人も一緒にという事なのだろうか。
日向さんは訝しむわたしになど全くお構い無しに自分の話を続けた。相変わらず社長の尻拭いをさせられているのか、やや疲れた表情をしている。

「実は一ノ瀬と一十木にダブル主演でドラマのオファーが来てる」
「……」
「……」

日向さんに仕事の話を振られた二人は顔を見合わせ、そしてすぐに日向さんへ向き直った。一ノ瀬さんは特に表情を変える事もなかったが、一十木さんの方は僅かに頬を上気させ、とても嬉しそうに笑みを溢していた。

「撮影開始は半年後だ。お前らの役は、表向きは立派なお屋敷の執事だが、裏では世に蔓延る妖怪たちを退治して回るという、まぁ、良く分からんがそんな設定らしい」

一ノ瀬さんと一十木さんは真剣に日向さんの話を聞いている。日向さんはそんな二人を交互に一瞥し、そしてみるみる表情を暗くしていった。まるでこれから先の事を言うのに憚りがあるように歯切れも悪くなっている。

しかしいつまでもここに二人を足止めする訳にもいかないと思ったのか、日向さんは意を決したように大きく頷き、口を開いた。


「実はそのドラマ撮影が始まるにあたり、お前らには執事としての特訓をしてもらう事になった」

「……特訓?」
「執事としての特訓など、聞いたことがありませんが……」

日向さんの言葉を聞いた一ノ瀬さんと一十木さんは、非常に戸惑った様子で眉を顰めた。二人とも美しい顔を歪ませ、必死に頭の中を整理させているようだった。



「まぁ、観念しろ。社長命令、ってやつだ」

日向さんが呆れたように二人に同情の眼差しを送る。そしてその社長命令の一言でようやく諦めがついたのか、彼らはとうとう考えるのをやめ、全てを諦めたかのようにため息を吐いた。
社長命令の一言で人気アイドルがそれに従う。社長命令とはどこまでも恐ろしいものだとわたしは改めて思い知ったのだった。



「そこでだ」
「……へっ?」

急に日向さんがわたしの前に立ち、肩にポンと手をかける。あまりにも突然の事で、わたしは思わず変な声を上げてしまった。
日向さんがわたしを見下ろすと、他の二人も自然とわたしに視線を移す。トップアイドル三人に囲まれて緊張しない訳がなく、わたしは案の定体中の熱が顔に集まって行くような感覚に陥り、余計にこの状況が飲み込めなくなっていくのだった。

日向さんの口から驚愕の一言が発せられたのはすぐ後の事だった。
彼は一ノ瀬さんと一十木さんにお前ら良く聞けと言い、わたしの肩を掴んだまま無理矢理彼らと向かい合わせた。

「いいか、これから三ヶ月、お前らはこの藤崎かおるの専属執事になり、その後本番に挑んでもらう事になる」
「うええっ!?」

意外にも、驚きの声をあげたのはわたしだけで、一十木さんは楽しそうに笑い、一ノ瀬さんに至っては相当呆れたような顔でため息を吐いていた。

「あなたがここに呼ばれている時点で私たちと無関係でない事は薄々予想してはいましたから、まぁ、そうくるとは思っていました」
「まぁねー。あの社長だったら何でもアリだし」

一ノ瀬さんも一十木さんも文句一つ言わず、それを受け入れようとしている事にわたしは更に驚いた。

「ちょ、ちょっと待ってくださ……」
「お前の言い分は後で聞いてやる。それより一ノ瀬、一十木」
「はい」

わたしの言い分は日向さんによって遮られ、どこへも行き場がなくなった。
日向さんは更に説明を続ける。

「一ノ瀬、お前は少し理屈で他人を捩じ伏せすぎだ。演技してても不満が顔に出ないくらいにならないとな」
「……はい」
「一十木は人の世話というものをした事があるか? クランクインまでに何とか手際よく世話を焼けるようになれよ」
「はーい」

三人はこれからの事をとても真剣に話し合っている。どうやらこれは本気らしい。
これはわたしも何か反論せねばと彼らの横であたふたしていると、それに気付いた日向さんが思い出したようにわたしの方を向いた。

「ああ……。藤崎、お前、どうして自分が二人と特訓しなければならないんだと思ってんだろ?」
「えっ……、あ、はい」

わたしが訊こうと思っていた事を日向さんが自ら聞き返す。思わず呆気に取られながら頷くと、日向さんは笑いながら説明を始めた。

「社長から聞いた話によるとだな、お前が今回抜擢されたのは、お前が事務所一ヒマそうだからだそうだ」
「……え」
「社長曰く、お前は地味に活動してるより、事務所の雑用のほうが向いてるんだと。ま、社長に目を付けられたのが運の尽きだと思って、こいつらを手伝ってやってくれ」
「……」

色々悔しい気持ちもあったが、事務所を取り仕切っている日向さんにそうお願いされたら無下に断る訳にもいかなくなる。
わたしはすぐに顔に出るタイプだから、既に複雑な表情が顔に出ていただろうが、なんとかそれを抑え、日向さんを見上げて頷いた。



「藤崎、お前の仕事は主に四つ」

そう言って日向さんがわたしに寄越した仕事内容についての書類には、俄には信じられないような内容のものが書かれていた。

一つ目。この三ヶ月間には行動制限はなく、作曲活動をするも路上で歌うも自由なのだそうだ。とにかく自分のやりたいようにやれば良いのだという。
二つ目。執事の二人を自分の我が儘で使い回して良いらしい。実はこれが一番困った内容だったのだが、どうしてもこの項目だけは守ってほしいと日向さんから釘を刺された。
三つ目。執事の二人から一日一時間程勉強を教わる事。どうやらドラマで執事がお嬢様に勉強を教えるシーンが練り込まれるらしく、その予習だと言っていた。
そして最後の四つ目。週に一度、彼らの執事としての評価を採点票にして提出して欲しいとの事だった。

目の前でどんどん進む話について行くのが精一杯で、わたしは質問する暇さえない。




「ところで日向さん、三ヶ月間私たちを拘束するのは良いのですが、私たちの仕事はどうなるのですか」
「あー、気付いてなかったか? このところお前ら、休みなんか無かったろ?」
「そういえば……。レンや翔がオフの時も、私と音也には仕事が詰まっていましたね」
「だろ? この三ヶ月のために少し前から色々調整してたんだよ」
「なるほど」

「よし、全員が納得したところで、とりあえず今日からお前らは事務所の寮の一室に移ってもらうから、そのつもりでな」
「えっ……」
「はーい」
「分かりました」

すでに二人はこの状況を受け入れ、前に進もうとしている。だが、やはりわたしはなかなか得心できなかった。
そんなわたしに気付いたのか、日向さんが一ノ瀬さんと一十木さんに呼びかける。

「おい一ノ瀬、一十木、ちゃんと藤崎も一緒に連れてけよ」

日向さんのその一言に答えるように、二人がわたしの両隣へ並び、そしてわたしの腰に手を掛けた。

「あ、あの……」
「いいから行きますよ。まだシンガーソングライターを続けたいのなら、社長には逆らわない事です」
「大丈夫! 君の事は俺たちがちゃんと守るから! それに、俺たちには君が必要なんだ」

一ノ瀬さんも一十木さんも恐ろしい程順応性が高い。
先ほどよりも少し和らいだ表情の二人が意外にもとても気さくに話しかけてくれる。

わたしは彼らのおかげで、ほんの少しだけ不安の種が払拭されたような気がした。





つづく

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