寒い。
それは気温云々の話ではなく、単にわたしが風邪を引いてしまったからなのだが、なぜこんな時に風邪など引いてしまったのか。わたしは自分で自分を呪いたい。



自分には不釣り合いな程豪奢な天蓋付きベッドは、わたしの身体をその柔らかい布団の中へゆっくりと沈めていく。それが心地よいのか、はたまた熱のせいなのか、わたしの意識は薄くもやがかかったかのように朦朧としていた。

「かおる、大丈夫ですか?」
「なんだか体が震えてるみたいだねー……。もしかして、寒い?」

トキヤくんと音也くんが心配そうにベッドの脇からわたしの様子を覗き込んでいる。

「だ、大丈夫です……。ちょっと眠れば、すぐ良くなりますから……ごほっ、ごほっ!」

いつも面倒をかけている彼らに、これ以上迷惑をかける訳にもいかず、わたしは何とか気力を振り絞り、貼り付けた笑顔で彼らに答えた。
しかし、その気力はまんまと空回りしてしまい、わたしはつい彼らの前で咳き込んでしまう。

「あーあーだめじゃん! ぜんっぜん大丈夫じゃないよ!」
「音也の言う通りです。無理をしてはいけません」

わたしの思いも裏腹に、結局わたしは彼らに今まで以上の心配をかけてしまう事になってしまった。本当に心苦しい。

「ご、ごめんなさい。でも、本当に大丈夫、ですから……」
「大丈夫ではありません。……失礼」

トキヤくんがわたしの額にゆっくりと手を置いた。彼の骨張った大きな手は、思いのほか冷たくて心地よい。まるでトキヤくんの手のひらが、わたしの額から熱を吸い取ってくれるかのような感覚を覚える。

「やはり、この熱の上がり具合を考えると、やや不安ですね」

見下ろすトキヤくんの目が険しくなり、眉間にも深く皺が刻まれた。

「ねぇ、もしかして寒いんじゃない? かおる」
「え?」

音也くんがわたしに顔を近付け、心配そうに眉を下げる。
わたしは今まで風邪を引いたくらいでこんなに心配された事がないので、こんな風に心配してくれるトキヤくんと音也くんに対して戸惑いが隠せない。しかしだからといって、これ以上嘘を吐いて彼らに心配をかける訳にもいかず、わたしはとうとう本当の事を話す決意を固めた。


「え、ええと、実は少し……寒気がします」

わたしの返答を聞いた音也くんが凛々しく眉を上げ、やっぱり、と叫んだ。心なしか音也くんがいつもより頼もしく見える。

「お、音也、くん?」
「それなら任せてよかおる! 俺が添い寝してかおるを温めてあげる!」

そう言うが早いか彼は布団を捲り、わたしの眠るベッドへ飛び乗った。
ギシッ、とスプリングの軋む音が聞こえ、それと同時に音也くんがわたしにギュッと抱きつく。意識的なのか無意識なのか、音也くんがわたしに頬擦りをしている。彼の整髪料の香りが鼻を掠め、その近さに思わず顔が強張った。

「だ、大丈夫だから、音也くん、だ、大丈夫だから……離れて……」
「だめだよ! ちゃーんと温めないと、かおるの風邪、悪化しちゃうじゃん!」

何度も言葉が詰まり、上手く伝えられないが、なんとか私は音也くんに離れて欲しいと伝える。けれど、音也くんはまったくそれを理解せず、尚もわたしに引っ付いた。

「ああああの!」
「だいじょーぶ! 俺がしっかり温めるから!」
「で、でも! わたし、音也くんに添い寝されると、もっと風邪が悪化しちゃうような気がするので……。というか! 音也くんにまで風邪が移っちゃうので……」
「俺はだいじょーぶだって!」
「だ、だめですよ!」
「……え〜」

音也くんがしょんぼりしながらわたしから離れ、ベッドから降りる。まさか音也くんがそこまで残念がるとは思っていなかったため、わたしの胸中に少しだけ罪悪感のようなものが残った。



「まったく……。相変わらず君は馬鹿ですね音也」

トキヤくんがめずらしく冷静に音也くんを叱った。
彼の叱責により更にしょんぼりする音也くんを見据え、トキヤくんは更に続ける。

「あなたがかおるに抱きついたくらいで、かおるの体は温まりません。体を温めるにはお互いが裸になり、体温そのもので温め合うのが一番効率的なのです」
「えっ……」

そう言うや否や、トキヤくんは自分の上着に手をかけ、それを脱いでわたしのベッドへ投げ捨てた。わたしは彼のその行動に頭が着いて行かず、しばらく固まっていたのだが、何とか無理矢理頭を働かせ、おずおずと彼に声をかけた。

「あ、あのー……。トキヤくん、どうして、脱いでるん、ですか……?」
「何を言っているのですか。私も裸になりますから、かおるも早く裸になりなさい」
「えっ!? や、ちょっ!」

わたしが声をかけた時点でトキヤくんは既にシャツを脱いでおり、こちらを振り向いた時にはほぼ半裸になっていた。恥ずかしくてどこを見れば良いのか分からない。

「何をしているのです、かおる。君も早く脱ぎなさい。……なんなら、私が脱がせてあげましょうか? お嬢様?」

トキヤくんはめずらしくわたしを〈お嬢様〉などと呼び、片側の口の端を上げ、意地悪く笑った。その目が僅かにサディスティックさを帯びていて少し怖い。
露になっている上半身もそのままに、トキヤくんがわたしのパジャマに手を伸ばす。その手があまりにも自然過ぎて、わたしは一瞬それを拒むのを躊躇った。

「……あ! え、えっと、待ってくださいトキヤくん! だ、だめです、やめてください!」

胸元のボタンを外そうとしていたトキヤくんの手を慌てて掴み、それを止める。
トキヤくんは数秒間わたしをじっと見つめていたけれど、その後諦めたのか、自分から手を引いてワイシャツを羽織った。
おそらく彼は本気ではなかったようだ。


「はぁ。仕方がありませんね……。それではかおる、何か食べたいものはありますか?」
「え……? 食べたい、もの?」

しっかりと執事服を着直したトキヤくんが、わたしを布団に寝かせながら優しくそう尋ねる。先ほどまでの強引な彼からは想像できない程、今のトキヤくんの表情は柔らかい。

「君は朝から食欲が無いようですし、何か少しでも食べた方が良い」
「そうだよね。かおる、今日なんにも食べてないもんね。……そうだ! プリンなら食べれるんじゃないかな! 風邪にはプリンが定番だし、うん、俺、買ってくる!」
「プリンなら、隣のコンビニで売っていますね」

二人はあっという間に話をまとめ、外へ出る支度を始めた。


「じゃあ行ってくるね!」
「待ちなさい音也! 私も行きます! というか、私がかおるのプリンを買います!」

音也くんが部屋から出て行くと、トキヤくんもそれを追いかけるようにドアへ手を掛ける。部屋を出る前、彼はわたしに、ちゃんと寝ているようにと念を押し、わたしがそれに頷くと、安心したように顔を綻ばせ音也くんを追いかけて行った。






「はい、プリン!」
「あ、ありがとうございます」

寮の隣にあるコンビニから数分もしないうちに戻って来た音也くんは、満面の笑みを浮かべながらわたしにプリンを差し出した。
音也くんから受け取ったそれは、手のひらから全身に冷たさが伝わってくるようで、とても心地よい。すぐにありがとうとお礼を言うと、音也くんは更に続けて小さな箱をプリンの上に乗せた。

「……音也くん、これ」
「うん、これも俺からかおるに! 風邪なんて、これ使って俺に移してくれればいーから!」
「……? 激薄……香り付き……避妊、具……。うええっ!?」

音也くんが寄越したそれは、紛れもなく避妊具そのものだった。驚きのあまりどうすれば良いのか分からず、わたしはただ目をぱちぱちと瞬たかせるので精一杯だ。

「はぁ……」

その時、トキヤくんがため息混じりにわたしの手から避妊具の箱を引ったくり、そして音也くんへと突き返した。

「何を考えているのですか音也!」
「そ、そうですよ音也くん! こういうのは、ひ、必要ありませんから……!」

トキヤくんは眉間に深く皺を刻み、音也くんを睨め付ける。しかし音也くんはトキヤくんを睨み返すように見つめ、これはかおるのためなのだと反論した。

「かおるのため、ですって?」
「うん。だってさー、よく言うじゃん。風邪引いたらエッチして相手に移せ、って! だからゴムは必要なものなんだよ! そうだよね?」
「あ、あの。そういう話は聞いた事が……」
「何度言わせるのですか音也。避妊具など必要ないと言っているでしょう」
「えー……。エッチすれば風邪なんかすぐ治っちゃうのに……」
「ですから、私には避妊具など必要ないのです。……かおると性行為をするなら、生に限りますから」
「……」

わたしは一瞬自分の耳を疑った。
トキヤくんは今まで音也くんを窘めていた訳ではなく、結局こういう事を言いたかったのだ。わたしは改めてため息を吐き、真剣な目をしたトキヤくんを一瞥し肩を落とした。


「う〜ん、ナマかー。俺、中に出さない自信ないしなー」
「……誰が音也にかおるの相手をしろと言いましたか? かおると性行為を行うのは私一人です」
「えっ……えーっ!? ずるいよトキヤ! 俺だってかおるとエッチしたいよ〜!」
「いけません」
「ええ、なんで!?」
「かおるは私のものだからです」
「そんなの、いつ決めたのさ!?」
「今、私が決めました」
「そんなの横暴だよー!」

「……」

トキヤくんと音也くんが堂々と恥ずかしい事で言い争いをしている。その原因がわたしだと思うと尚更恥ずかしくて仕方ない。
ここは何とか彼らの言い合いを止めたい所だが、今までの経験上、ここでわたしが彼らの仲裁に入るのは、まず良くない。この場合、聞こえないふりをするのが得策なのだと思われる。



「……ええと。それじゃあプリン、いただきます……」

わたしは素知らぬふりで持っていたプリンを開け、それを一口喉の奥へと流し込んだ。先ほど音也くんが言っていた通り、風邪を引いていてもプリンだけは食べる事ができるのは本当に不思議だ。喉を通る冷たいプリンは、まるでわたしの身体に染み込んでいくように胃の中で拡散した。

二人の言い合いは、わたしがプリンを食べ終えるまで続いていた。
プリンのおかげでようやく喉が潤ったわたしは、二人に気付かれぬよう、そっと布団に潜り込む。目を瞑り懸命に頭の中を空っぽにすると、やがて眠気が訪れ、わたしは静かに寝息を立てた。





「かおる、起きてください」
「ん……。え。トキヤくん……?」
「音也との話し合いの結果、かおるの風邪は私が引き受ける事になりました!」
「話し合い……? ……もしかして、トキヤくん、今まで音也くんと言い合いしてたんですか!?」

時刻はすでに午後五時を回っている。
一体彼らは何時間こんな事を話し合っていたのだろうか。やはりわたしの凡庸な思考では、彼らを理解する事は難しい。

「トキヤがさ、かおるとエッチしてるとこ、見学させてくれるって言うから、今回は俺が折れたんだ! だから早速、体、温め合おう!」
「えっ……や、ちょっと待ってください!」

音也くんが無理矢理わたしに覆い被さり、パジャマのボタンに手を掛ける。
わたしは彼の腕を掴み、本日二度目の防衛に挑んだ。目の前の音也くんはわたしが少し拒んだくらいでは引き下がりそうもなく、わたしはその間に必死で彼に引き下がってもらえるよう言い訳を考える。

そろそろわたしの腕も限界に近い。


「じ……実は! わたし、もう寒気はしないんです! だから、体を温める事自体、必要なくなったんです!」
「えーっ!?」
「なっ……んですって……?」

そう叫んでから気付いたが、我ながら上手い言い訳を考えついたものだと思った。
といっても、それは真っ赤な嘘などではなく、本当の事なので罪悪感などは一切ない。数時間ベッドで休んだおかげで、わたしはずいぶん体調が良くなっていたのだ。

「えっと……だから、おやすみなさい!」
「かおる!」
「ん、おやすみ〜」

トキヤくんの叫び声と音也くんのおやすみという挨拶を聞いたわたしは、再びベッドの中へ潜り込む。

もう一眠りすれば、わたしの体調も完全に回復するだろう。





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