「ただいまー」
「ただいま戻りまし……」
「何をしていたのですか! こんな時間まで!」

寮のドアを開けて帰宅の挨拶をすると、それはすぐにトキヤくんの怒声により遮断されてしまった。
見上げるとそこにはいつもより一層怖い顔をしたトキヤくんが仁王立ちのままわたしたちを見下ろしており、思わず呼吸する事すら忘れてしまう程だった。わたしたちが認知しているテレビ越しの彼からは想像できないほど不機嫌全開で、何を言ったら良いのか想像すらできない。

「ト、トキヤくん、これはその……」
「トキヤただいまー。今まで俺たち、かおると路上ライブしてたんだよ。楽しかったなー! トキヤも来れば良かったのに」
「ろ、路上ライブ……ですって……?」

わたしがもごもごと言い淀むと、代わりに音也くんが今日の出来事をトキヤくんに淡々と説明して聞かせた。その言い方には一切嫌味など無いはずなのに、それを聞いたトキヤくんの表情はますます険しくなっていく一方で、彼らを黙って静観しているわたしは内心とてもハラハラしていた。



「……あれ? もしかしてトキヤ怒ってる?」

音也くんがトキヤくんの顔を覗き込み、不思議そうに首を傾げる。トキヤくんはそれで何かを吹っ切ったのか、呆れたようにため息を吐き、険しい表情のままわたしたちを交互に一瞥した。

「君たちは私がどんな気持ちで一日中ここに立ち、かおるの帰りを待ち続けていたのか分かりますか?」
「い、一日中ずっとって……、トキヤくん、まさか今日ずっとここに立っていたんですか!?」
「当たり前です」

わたしはそうキッパリ言い放つトキヤくんの一言に驚きを隠せなかった。
まさかあの人気アイドルでもある一ノ瀬トキヤくんが、仕事とはいえ日がな一日こんな所でわたしの帰りを待っていてくれたなんて、常識的には考えられない話である。そんなトキヤくんの一言に、わたしの胸中はあっという間に罪悪感という感情に蝕まれていくのだった。


「ちょ、ちょっと待ってよトキヤ、俺、出かける前に、ちゃんと書き置きしてったよね?」
「書き置き……?」

真顔のトキヤくんに、音也くんも自然と真剣な表情になる。
そういえば確かに、音也くんは出かける前にトキヤくんへの書き置きを残していたはずだったし、それをトキヤくんが見付けられなかったというのもやはり考えにくい。
音也くんの一言にトキヤくんは少し考える素振りを見せた後、不意に何かを思い出したかのように玄関先にあるゴミ箱へ手を突っ込んだ。

「ト、トキヤ!?」

その行為に驚く音也くんの前に、トキヤくんがその中から拾った紙切れを掲げる。

「書き置きとは、この、他人には読めない字で書かれた何かの事ですか?」
「えっ……」

トキヤくんが掲げたその紙切れを覗き込み、良く見てみると、確かにそこには書かれた内容を知っている者にしか解読できない字のようなものが走り書きされていた。これでは確かに、わたしたちが臨海公園で路上ライブをしていた事など分かるまい。

「ご、ごめん、トキヤ……」
「ごめんなさいトキヤくん」
「いや、かおるは悪くないよ。いくら急いでたからって、自分にしか読めない字で走り書きするなんて、俺が悪い」
「ううん、わたしが行くって言ったんだから、わたしが丁寧に書き置きをすべきだったんです」
「いや、俺が……」
「わかりましたもういいですから音也はかおるから離れてください!」

トキヤくんがわたしと音也くんの間に入り、手でわたしたちを引き離す。もういいと言った割には、トキヤくんは未だ不機嫌そうな顔をしていた。

「……トキヤ?」
「な、なんですか」
「もしかして、ヤキモチ妬いてる?」
「妬いてません!」
「……」
「……」

めずらしく動揺したトキヤくんがゴホンとわざとらしく咳払いをする。その雰囲気に気圧され、わたしも音也くんもそれ以上先ほどの話題を聞く事はできなかった。

「……その話はもういいですから。君たちが私の気持ちを分かってくれればそれで良いのです。けど、こんな事はこれっきりにしてください。これ以上かおるの心配をすると、私の心臓がいくつあっても足りません」

二人で揃って頭を下げると、トキヤくんはようやく落ち着いた声でそう言い、わたしの頭に手を乗せた。




「ところでかおる、体の方は大丈夫ですか?」
「え? あ、はい、大丈夫です」
「本当に本当ですか?」
「え……た、多分?」

先ほどの件が落ち着いたかと思ったのも束の間、トキヤくんがわたしの頭をしっかりと押さえたまま、こちらへ笑顔を近付けてくる。逃げようと思っても、頭をしっかり押さえ付けられているため、なかなか動く事もできない。おまけにトキヤくんの笑顔がどんどん怖くなっていくのは、気のせいなんかではないと思う。

「多分?」
「た、多分、大丈夫です……」
「多分とはどういう事です? まさかかおる、路上ライブが予想以上に盛り上がり、気持ちが昂った君たちはそのままラブホテルなどといういかがわしい場所へ向かい、そこで見たいやらしいDVDに感化され、音也と二人で色々な体位を楽しんできた訳ではありませんよね?」
「えっ……。な、なに言ってるんですか! そんな事、ありませんっ!」

トキヤくんの逞しすぎる想像力に、わたしは瞬時に顔が熱くなった。ふと隣を見ると、音也くんまでもが顔を真っ赤にしている。そりゃああんな事を言われたら恥ずかしくならない方がどうかしているのだから、音也くんの反応は決して間違ってはいない。

「本当ですか? 私は真剣なんです、本当の事を言ってください。心の準備もできていますから、はっきり言ってくださって大丈夫、です……」
「ななな何を言ってるんですか、ほ、本当です! そんな変な所へなど行ってません!」
「そ、そうだよ、トキヤの考え過ぎだって! だいたい、いくら俺がかおるを気に入ってるからって、知り合って一週間だよ? そう簡単にラブホに連れ込む訳ないじゃん! ……まぁ、二週間くらい経ったら連れ込むかも分かんないけど」
「えっ!?」

トキヤくんも音也くんも言ってる事がめちゃくちゃで、聞いているこちらが思わず恥ずかしくなるような事ばかりを言い合っている。これ以上二人の言い合いを聞いていたら、明らかにわたしの心臓がもたなくなると思った。


「あ、あの! お腹空いたし、ちょっと早いけど夕御飯にしましょう? わたし、今日のお詫びにごはん作りますから!」
「……」
「……」

二人がわたしの声に驚き、一斉にこちらを向く。何を言ってこの場を誤魔化そうかずいぶん迷ったが、きっとみんなお腹が空いているせいで少々神経過敏になっているのだと考えたわたしは、場違いな程大きな声で場違いな事を叫んだ。

わたしの大声に呆気に取られた彼らは、わたしの思惑通り、それから次第にいつもの冷静さを取り戻して行ったのだった。



「すみません。かおるの事が心配で、つい取り乱してしまいました」
「俺も、ゴメン」

二人が顔を見合わせて笑うと、わたしまで釣られて笑顔になった。




「ところでかおる、いくら君の好意とはいえ、主である君に食事の支度はさせられません」
「あ、そうだよね〜、一応俺ら、君の執事だもんね」
「そうです。ですから、今日の夕食の支度は音也一人でお願いします」
「えっ!? なんで? トキヤは?」
「私はかおるを待つのに疲れたので、少し休ませていただきます。かおるの膝で」
「えっ!?」

食事の支度を音也くんに任せると言ったトキヤくんが、わたしの手を取り、リビングのソファに座らせる。わたしがしっかりとソファへ腰を下ろした事を確認すると、トキヤくんは隣に座り、ゆっくりと太ももに頭を乗せた。

「ず、ずるいよトキヤ! 俺もかおるに膝枕してもらいたい!」
「今日一日かおるを独り占めした音也にその権利はありません」
「う……」

音也くんはトキヤくんにそう切り捨てられると、がっくりと肩を下げて給仕室へと消えて行った。




わたしの膝の上で気持ち良さそうに目を瞑るトキヤくんを見ると、先ほどまでの騒ぎがまるで嘘のように思えた。
艶の良い彼の髪の毛をさらりと撫でると、ほんのりトキヤくんの表情が緩んだような気がした。



「かおる、約束してください」
「え」
「次に路上ライブをするときは、必ず私を誘ってください」

不意にトキヤくんがそう言ってわたしの手を掴む。いつの間にか彼は目を開け、わたしを射竦めるようにじっと見上げていた。彼の美しい顔立ちに、わたしは思わず心音が高鳴る。

「私は、あなたとあなたの音楽を、誰よりも理解しているつもりです。ですから私は、絶対に音也よりもかおるの音楽に合った伴奏ができます」
「トキヤくん……ありがとうございます。今度は絶対に誘います」
「約束ですよ」
「はい」

わたしがそう約束すると、トキヤくんは安心したように笑い、再び目を瞑った。

オレンジ色の陽射しがトキヤくんの髪の毛に反射し、わたしはそれを遮るように彼の髪に手を置いた。
膝の上で寝息を立てるトキヤくんが妙に可愛く見え、わたしは自然と笑顔になった。





つづく

 

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