もうすぐ恐怖の大王が帰宅して来る。
わたしは再度玄関のチェーンを確認し、リビングのソファに座り直した。


それは数分前の事だった。
書店で偶然一緒になったという聖川真斗から、わたしの恋人、一ノ瀬トキヤが何とも妙な本を買って行ったとの報せを受けた。
トキヤの事だから、どうせイヤラシイ本でも買ったのだろうと予測したものの、僅かに気にかかる事があり、一応その本のタイトルを真斗に訊ねると、彼が受話器の向こうから発したのは、わたしの予想外の言葉だった。

世界拷問全書。

それは買う人が買えば何の事もない単なる書籍だが、それをトキヤが買うとなれば話は別である。
トキヤには自他共に認める生粋の加虐趣味がある。その趣味は、主に恋人でもあるわたしに向けられる事が多かった。行為の最中に叩かれる事など日常茶飯事で、鞭やリード、さらには何に使うのかすら分からない未知の道具なども数多く寝室に常備されている。先日など、いつもとは違うシチュエーションでという事で、強姦まがいの事もされてしまった。最早トキヤの性癖は病的だった。

そんな彼が世界拷問全書だなどという不吉なタイトルの書籍を買ってきたなんて、わたしにすれば世界の終わりどころの話ではない。その本をどうするつもりなのか、もうすぐ帰宅するトキヤに面と向かって訊く勇気はない。わたしは完全に無力だった。





「……何ですか、このチェーンは」
「はっ!!」

もうじき帰って来るであろうトキヤを待ちながらソファで頭を抱えていると、玄関のドアの開く音と共に彼の不機嫌丸出しな声が耳に届いた。

誤解の無いよう確認しておくが、トキヤはこの部屋の住人ではない。
ここはシャイニング事務所所有の寮で、トキヤの部屋はわたしの部屋のちょうど右隣に位置している。わたしとトキヤの付き合いは、一応秘密という事にしてはいるが、同期の真斗や音也などには周知の事実だった。
よってトキヤが人目も憚らず、仕事帰りにわたしの部屋へ寄る事もごく自然な流れなのだが、わたしは今日ほどその関係を呪った事はなかった。

「もも。居るのでしょう? 早くこのチェーンロックを外してください」
「……」

トキヤの声が先ほどよりもほんのり刺々しい。やはりチェーンロックなどかけず、いつものようにトキヤを部屋へ招き入れれば良かったのだろうか。


「……早くしてください。いくら温厚な私でも、怒りますよ?」
「えっ! ちょ、ちょっと待って!」

おそらく張り付けた笑みのままそう言ったであろうトキヤの声にいよいよ怖くなり、わたしは急いで玄関へ向かった。
一体何のためにチェーンロックをかけていたのか、ドア一枚隔てた所に居るトキヤの絶対零度な笑みを思うと、すぐにチェーンロックを外す事ぐらいしかわたしには道はなかったのだと思う。
チェーンによるロックが無くなったドアは、そのまま勢い良く開け放たれた。


「ト、トキヤさん、でへへへ、お、おかえりなさいませ」
「……ただいま帰りました。何なんです? その不気味な笑い声は。……ところでもも、私が毎日ここへ寄ることを知っているくせに、なぜチェーンロックなどかけていたのです?」
「……」

トキヤが笑顔でわたしに問い質す。笑顔が有り得ない程怖くて仕方ない。

「まさか、私が居ない間に男と浮気ですか?」
「えっ?」
「そうですか。だからチェーンロックなどかけていたのですね。……上がらせてもらいますよ」
「あ……あの、わたしは別に浮気してた訳じゃないんだけど……」

トキヤがずかずかとわたしの部屋へ上がり込み、そのまま寝室を確かめる。当然だが別段変わった様子も見当たらなかったようで、トキヤはすぐに諦めてわたしの待つリビングへと現れた。


「男は居ないようですね」
「あ、当たり前でしょ!」

顔色ひとつ変える事なくトキヤがわたしの隣に座る。すぐにわたしが反論した事が気に食わなかったのか、彼はいつも鋭い目付きをさらに鋭くさせ、わたしに顔を近付けた。ふと加虐趣味のある者は、反抗される事が嫌いなのだと聞いた事を思い出したが、既にそれが生かせる状況ではなかった。
トキヤの骨張った長い指がわたしの顎にかけられる。

「ト、キヤ……」
「ならば、なぜいつもは掛けていないチェーンロックを掛けていたのです? 正直に言いなさい」

トキヤの発する言葉は丁寧だが、聞いている者に対して有無を言わせぬ強制力がある。わたしはトキヤの恐ろしい程笑っていない目に捕らわれ、ゆっくりとその要因を口にした。




「世界拷問全書……? ああ、これですか」

トキヤが鞄の中から書店の屋号が印刷された紙袋を取り出した。まるで辞書でも入っているかのような厚さで、明らかに中身は件の書籍と思われる。

「トキヤ、なんでそんな本、買ってきたの?」
「……読むために決まってるじゃないですか」
「読んでどうするの? そんな物騒な本……」
「物騒……?」

意を決して問い質すわたしに、トキヤが怪訝そうに首を傾げる。彼の整った顔が僅かに歪んだ気がした。

「……もも。まさかあなたは、私がこの本に感化され、性交時に拷問でも始めるのではと思っているのですか?」
「……」
「……」
「……」
「……くくっ」

わたしの無言は肯定と見なされたようで、トキヤはほんの少し頬を緩めて笑った。

「ももが一体何を考えているのかは分かりませんが、私はももに拷問なんて、絶対にしませんよ」
「……」

ソファに沈むわたしの腰に手を回し、トキヤがごく自然に唇を塞ぐ。先ほどまで寒い外気に曝されていたトキヤの唇は、思いの外冷たい。

数秒間わたしの唇を食むように重ねた後、トキヤはとても艶かしい表情をしながらわたしから体を離した。


「そもそも、私がももに無意味な暴力など振るった事がありますか?」
「あ……あるじゃない……いつも」
「あれらは愛のある躾です」
「しっ、躾!? わたしは動物じゃ……」
「まぁ、調教とも言いますがね」
「ちょっ……」

わたしの問いかけに、まったく悪びれもしないトキヤの態度は腹が立つ程ふてぶてしい。

「例えば、ももの臀部を鞭で叩いた時の苦痛に歪む顔……。私はその時のももを思い出すだけで興奮してしまいます」
「……」
「言うなれば、あれは私なりの演出です」

口の端を上げ、自信に満ちた表情でわたしを見下ろすトキヤは、そう言いながら少しずつこちらへ体重をかけてくる。

いつの間にかわたしの体はソファへと押し倒されていた。

「ちょっ……トキヤ退いて」
「そもそも、拷問くらいでなぜそこまで嫌そうなふりをするのです?」
「ふ、ふり!?」
「ええ。ももは真性のマゾヒストじゃないですか」
「ち、ちがっ……」
「いつも行為の最中にメスブタと言われて感じているのは何処のどなたでしょう?」
「……」

トキヤの甘い声が耳元をくすぐり、妙に体が熱くなった。

「感じたのでしょう? まったく、ももは本当にイヤラシイ身体をしている」
「ふ、あっ」

耳元で囁いた後、トキヤの舌がわたしの耳に捩じ込まれた。反射的に跳ね起きそうになった体をトキヤが押さえ込み、意地の悪そうな表情でわたしを見下ろす。

「私の凶暴な性器で、拷問でも受けてみますか?」
「……ト、トキヤの、変態バカ!!」
「そうですか。まずはその悪い口からお仕置きしなければなりませんね」
「ん、んむっ」

わたしの口答えに目を細めると、トキヤは先ほどよりも少し強引に唇を押し付けた。
わたしの唇を舌で割り、何の躊躇いも無くそれを侵入させる。
絡み合う舌がお互いを高揚させていった。


「……ん、んんっ」
「……ふ」

トキヤの手がわたしのセーターの中に侵入し、その膨らみを揉みしだく。その間も口は塞がれたままで、次第にわたしは酸素不足に陥った。



「っはぁ、ト、トキヤの、バカ、エロ、スケベ」
「まだ口答えしますか? ならば……」
「えっ……」

ようやく唇を離し、鼻と鼻がくっつきそうな程の至近距離を保ったままトキヤが胸に置いていたはずの手をスカートの中へ移動させた。
下着の上から恥部をなぞられると、わたしの腰が強ばり、一気にそこへ力が入る。

「下の口を、躾なければなりませんね」
「っ!?」
「もちろん、私の下半身に付いている、拷問器具で」
「っく! へ、ヘンタイ!」

なぜかとても満足そうな笑みを浮かべたトキヤは、わたしにヘンタイと詰られてもその笑みを崩す事なくわたしの下半身へと顔を埋めた。

これから拷問が始まる。







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