同回生の米田くんに、兼ねてから紹介したい人がいると言われていたわたしは、本日ついにその彼と対面を果たした。

「……こんにちは、林流宇と申します。洋食学科の二回生です。よろしくお願い致します」
「あ、はい、えっと、こちらこそよろしくお願いします。わたしは米田くんと同じ経営学科の、中岡ももです」
「そ、そうですか……」
「はい」
「……」
「……」

召し家荘の204号室、ここはわたしたちを紹介してくれた米田くんの部屋だ。畳張りされた床には米田くんの淹れてくれたお茶が二つ並んでおり、そのお茶を挟んでわたしと林くんが向かい合って座っている。
本来の家主でもある彼は、先ほど辛澤さんの使いとかいう男の子から呼ばれ、足早に部屋を出て行ってしまった。つまり現在この室内にはわたしと林くんしか居ない事になり、更にはなかなか会話の続かないこの状況に、なぜだかわたしはとても居たたまれなくなっていた。
米田くん早く戻って来てと心の中で呟くも、廊下から聞こえる彼の悲鳴に、それも叶わぬのだなと半ば諦めの境地に陥る。

もうどうにもならないこの状況に諦めのため息を吐き、ふと顔を上げて林くんの様子を窺った。

「あ」
「あ」

ふとお互いの視線がかち合った。
そしてすぐにお互い視線を逸らす。
なんだか付き合いたての恋人同士みたいで面映ゆい。

それからまた数分沈黙が場を支配した。





「あの」
「は、はいっ!?」

静かな咳払いの後発された林くんの声に顔を上げ、そちらをゆっくり見上げると、彼は端正な顔立ちのまま柔らかく笑みを浮かべ、こちらを見つめていた。その笑顔に思わず顔が熱くなる。

「今日は僕のために、すみませんでした」
「い、いえ」
「僕は昔から口下手で、そのせいか友人も少なくて……米田くんには心配をかけてしまいましたね」
「い、いえ。わたしだってそれほど友人が多い訳でもありませんし、それに喋るのも苦手で……すみません」

この部屋でお互い向かい合っておよそ一時間。ようやく会話らしい会話が成立した事を皮切りに、わたしも林くんもどこか安堵したようにほんの少し表情を緩めた。

「お茶が冷めてしまいましたね」
「そう、ですね」
「僕が淹れ直しましょう」
「ありがとうございます……」

いつの間に陽が傾いて来たのだろうか。室内の半分がややオレンジ色に染まっている。夕陽を浴びる米田くんの部屋は何処と無く閑散としたように見える。
しばらくすると林くんが湯気の立った湯飲みを二つ持ち、わたしの前に腰を下ろした。

「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

慌ててそれを受け取るわたしが滑稽に見えたのか、林くんはめずらしく声を出して笑った。

「熱いですから、お気を付けて」
「はい……」

確かにわたしは林くんの立ち居振舞いに見とれていた。
それを本人に見られ、ちょっと恥ずかしくなったわたしは彼から目を背け、何も考えずにお茶を啜った。


バタバタと廊下が騒がしい。
その足音が聞こえる度に、目の前の林くんの眉間に深く皺が刻まれていく。林くんは他人に対してあまり深入りする事のないイメージがあったのだが、この足音に不快感を示すあたり、もしかしたらこの召し家荘の住人とは僅かながらも何か確執があるのではないだろうか。

そう邪推したその時だった。


「林、てめえ米田の部屋に女と籠ってナニするつもりだ!? 真っ昼間っからこの女、アンアン喘がせるつもりじゃねぇだろうな?」
「かっ、辛澤さん! ち、違いますよ! ももちゃんは僕の友達で同回生だから、林くんにも紹介しようと思っただけで……!」

勢い良く部屋のドアが蹴破られ、そこには凄味の効いた赤髪の男を必死に制止する米田くんの姿があった。それを見た林くんの額に、みるみるうちに青筋が立っていく。
先ほど赤髪の男が妙な事を口走っていたようだが、それは敢えて聞かなかった事にすると、わたしは精一杯虚勢を張って平静を装った。

「すみません、中岡さん。愚兄がお見苦しい所を」
「い、え……?」

上手く呂律が回らない。愚兄という事は、この米田くんに抱えられている怖そうな人は林くんのお兄さんなのだろうか。兄弟と言ってもあまり似てはいないようだ。

「……おい、お前、林の女にでもなるつもりか? やめとけやめとけ。コイツはお前が思ってるよりずっと腹黒で陰険だぞ?」
「にっ、兄さん、いきなり失礼じゃないですか! それと僕に関する偏見をあたかも本当のように吹聴するのは止してください」
「ハッ! 本当の事だろうが」

鋭い目線で林くんを睨む彼のお兄さんは、突然良く分からない事を喚きながらわたしたちの側へどかりと座った。彼の言い分から察するに、わたしが先ほど邪推した確執は、どうもこの兄弟間にあるものと思われる。
米田くんが涙目のままため息を吐き、お兄さんの隣へ腰を下ろす。彼はお兄さんを制止する事を諦めたようだ。


「突然ごめんね、ももちゃん。もう一人……紹介するね」
「なにシケたツラしてやがる。これじゃあまるで俺が虐めてるみてーじゃねーか。なぁ?」
「う……」

米田くんがお兄さんに迫られ、更に顔を青くする。
林くんのお兄さんにこんな事を思うのも失礼かもしれないが、この人はそれだけで人をも殺せるのではないかと思うほど目が鋭い。
わたしの怯えた気持ちを察してくれたのか、林くんが大丈夫ですよと小声で囁き、わたしの手に軽く手を重ねた。
ほんの少し前までは、お互い見ず知らずだったはずなのに、今は林くんのその優しさが支えになっていた事に自分でもずいぶん驚いた。


「えっと、こちら、僕のお向かいの部屋に住んでいる辛澤さん。僕たちの学校のOBなんだ。そして、林くんのお兄さん」
「よ、よろしくお願いします」
「おう」

米田くんの紹介に合わせてわたしがぺこりと頭を下げると、林くんのお兄さん、基、辛澤さんが一言挨拶をして手を挙げる。林くんとは苗字が違うようだが、そこはあまり深く追及せずにおいた。
その後米田くんが辛澤さんにわたしを紹介すると、再び林くんと辛澤さんの兄弟喧嘩が始まった。

「だいたいてめーは友達がいねーくせにいきなりオンナ作るとか有り得ねーんだよ」
「別に中岡さんは僕の恋人ではありません。中岡さんに失礼な事を言わないでください」
「うるせー! そもそも俺の視界でイチャイチャすんな鬱陶しい!」
「僕たちの視界に勝手に入って来たのはあなたの方でしょう?」
「うるせーうるせー! とにかく女とイチャつく事は、召し家荘の法律でもある俺が許さねぇ!」
「……」
「わかったか!」
「……ははーん」
「……ん、んだよ?」
「兄さん、もしかして自分に恋人が居ないものだから、僕に先を越されると思って焦っているのですか? クスッ」
「ーーー!」

林くんも辛澤さんも言いたいことを遠慮なく相手に吐き捨て、今や掴み合いの喧嘩にまで発展しそうになっている。といっても、それは正確に言うと林くんの胸ぐらを辛澤さんが掴んでいるだけなのだが、最後の林くんの反撃がずいぶん彼を煽ったようで、辛澤さんは既に顔を真っ赤にしていた。
林くんと二人きりで話している時には気付かなかったけれど、先ほど辛澤さんが言った通り、彼には少し腹黒な部分もあるのかもしれない。

しかし、彼の二面性を知っても、わたしはそれが嫌だと感じる事は微塵もなかったのだった。





「今日は本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、気にしないでください。面白かったですから」
「え……?」
「あ、ごめんなさい、つい本音が」
「フフ……変な人ですね」

あれからわたしは召し家荘で米田くんに晩御飯をご馳走になり、すっかり暗くなった夜道を林くんと並んで歩いている。夜道を女性一人で帰す事などできませんと言う林くんが、わざわざわたしを送ってくれているのだ。

「中岡さんは、兄さんが怖くないのですか?」
「……え?」
「先ほど見てもお分かりいただけたように、兄は凶暴で自己中心的な考えを他人に押し付ける暴君のような男です。そんな兄の存在を知っても僕と友達で居てくれる人は、極稀です……。ですから、もしかしたらあなたも、もう僕とは関わりたくないのではないかと……」
「……」
「それに僕自身も決して良い性格をしている訳でもありませんし、中岡さんが迷惑ならば、構内であなたを見かけても、僕はもうあなたに話しかけないようにします」

街灯に照らされ、白光を浴びる林くんの表情が悲しげに歪んだ。
その表情に胸が締め付けられ、鼓動が速まるのが分かる。

「僕としては、もっと中岡さんと話をしてみたかったのですが」
「……」
「あなたが迷惑ならば仕方ありません」

「ま……待ってください!」
「中岡、さん?」

先ほどから一人で話を進めて行く林くんの腕を、わたしはいつの間にか夢中で掴んでいた。

「わたし、迷惑だなんて思ってません!」
「……」

驚いて目を見開く林くんに構う事なく、わたしは続ける。

「そりゃあお兄さんは少し怖いかもしれませんけど、それより何より面白いですし」
「面白、い?」
「はい……」
「……」
「お兄さんは、米田くんも林くんも、好きなんですね」
「……米田くんはともかく、僕の事は本気で嫌っていると思いますよ」
「そうですか? そうは見えませんでしたけど……」
「……あなたはどんな目をしているのですか。その性格がちょっと羨ましいです」

林くんがこめかみを押さえ、ため息を吐く。わたしはそれを横目に更に続けた。

「わたしも、もっと林くんとお話、してみたいです」
「……」

夜空と林くんを仰ぎ見る。外気は冷たいはずなのに、わたしの体温はどんどん上昇していくような気がした。



「やはり、あなたは変わっていますね」
「ひゃ……」

熱くなっているわたしの頬を林くんの冷たい手が優しく包む。

「それでは、今日から僕とももは友達です」
「えっ……」
「いいですね? もも」
「は、はい……」
「僕に敬語は不要ですよ」
「……うん」

いつしか自然と繋いでいた手を改めて強く握り返し、わたしたちは夜道を歩いた。

その夜、部屋でベッドに潜ったわたしは、彼を好きだという自分の気持ちに更に驚く事になる。



終?
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