その日トキヤが現れたのは、日付も変わった深夜の事だった。

トキヤよりひと足早く作曲家としてデビューしたわたしは、現在シャイニング事務所のタレント寮で細々と活動を続けている。わたしの作曲活動は順風満帆とは言い難いものだったけれど、現状に不満など皆無だった。

わたしとトキヤの付き合いは、もう三年目に突入しようとしていた。友達以上恋人未満。わたしたちの関係は、まさにこの言葉通りのものだった。



「どうしたの? ずいぶん疲れてるみたいだけど。悩み事?」

トキヤは部屋に入って来るなり大きなため息を吐き、ソファのわたしの隣へどかりと座った。どんな時も自分の弱い部分など見せないトキヤにしては、とてもめずらしい事だった。

「まぁ、そう、ですね」

テーブルに置いていたミネラルウォーターをグラスに注ぎ、トキヤへ渡す。彼はありがとうございますと言い、それを一気に飲み干した。彼の表情から察するに、だいぶ疲弊しているようだ。


「……実は、私のデビューが本決まりしたのですが」
「えっ!? ほんと!? すごいじゃない!」
「ええ。まぁ、確かに嬉しいのですが」

トキヤの表情は依然曇ったままだった。
彼がデビューのためにあちこちへ自力で掛け合っていた事を知っているわたしとしては、ようやくそれが実を結んだということなのだから、嬉しい事には違いないだろうとも思ったのだが、トキヤにとってはどうやらそうとも言えないらしい。
喜ぶわたしとは逆に、トキヤの表情は次第にどんどん曇っていった。

「……実は今、メディアへ顔を売って行く上で、私のキャラクターをどうするか、事務所とずいぶん揉めているのです」
「キャラクター……?」



トキヤから詳しく話を聞いた所、彼はドラマや映画の他にも番組宣伝などでテレビやラジオに出演する際、彼自身のキャラクターというものをどう作るかで現在事務所と揉めているらしい。
確かに芸能界で生きて行く上でキャラクター性というものはとても大事だと思う。
しかし、彼にキャラクターなどを求めても良いのだろうか。HAYATOの時の二の舞になりはしないだろうかと若干不安になる。

「……大丈夫ですよもも。HAYATOのようなキャラクターは、もう今後一切やらないと、最初に事務所へ断りを入れておきましたから」
「あ、そうなんだ。良かった……」

わたしの不安な気持ちがトキヤに伝わっていたのだろう。彼はわたしの髪の毛をくしゃっと撫でると、そう言って微笑んだ。至近距離で見るトキヤの微笑は、わたしの鼓動を速めるのにじゅうぶんなものだった。


「とりあえず事務所と相談して決めた私のキャラクター候補があるのですが、相談に乗ってもらってもよろしいですか? もも」
「えっ!? あ、もちろん」

彼の笑顔に呆けるわたしを尻目に、トキヤは僅かに頬を緩め、ありがとうございますと立ち上がった。

「……トキヤ?」
「少し待っていていただけますか? そのキャラクターに相応しい衣装を着て来ますので」
「?」

持ってきた紙袋を片手に、トキヤがリビングを出て行く。おそらくバスルームの脱衣所で着替えるつもりなのだろう。彼はすぐに戻りますと言い残し、リビングを出ると静かにドアを閉めた。



それから数分後、トキヤがリビングのドアを再び開けた。

「なっ……!」
「どうですか、もも」

どうですかというか何というか、トキヤの衣装を一目見たわたしは、そのミスマッチさにただただ絶句していた。明らかに今までのトキヤからはかけ離れた衣装で、見ているだけで痛々しい。

「……ね、ねぇ、事務所が考案しているトキヤのキャラクターって、もしかして……」
「ええ。アニメオタクというキャラクターです」
「……」

どこで売っているのか分からないほど妙な柄の上着をジーンズの中に入れ、さらにそのジーンズの裾からは完全にくるぶしが見えている。それは特にお洒落丈という訳でもなく、完全に裾の長さを間違えたとしか思えない丈であり、わたしはそれをどう彼に伝えれば良いのか完全に分からなくなっていた。

トキヤがわたしの前に立ち、ポーズを決める。

「私としては、まだ少し何かが足りないような気がするのですが……ももはどう思いますか?」
「えっ!? あー……」
「私としてはこの衣装でもっと野暮ったさを出したかったのですが、なぜか私が着るとどんな服でもスタイリッシュに見えてしまうから困っているのですよ」
「…………ぐふっ」

この妙な柄の衣装と丈の短いジーンズは、誰がどう見てもスタイリッシュとは程遠いはずなのに、どこまでも勘違いするトキヤがなんだか妙に可笑くて、わたしはつい声を洩らして笑ってしまった。

「な、どうしたのです? 何かおかしかったですか!?」
「う、うん……、ふ、ふふっ! だ、だってトキヤ! 真面目な顔で! 変な服着てるし! ポーズ決めてるしっ! ふははっ!」
「な……なっ!?」

耐えきれず噴き出すわたしを見たトキヤが、瞬時に顔を真っ赤にして行く。その顔はとても悔しそうに歪んでいた。

「ど、どこがっ! どこが変なのですか! というか、私が着れば、どんな服でもそれなりに見れるようになるはずです!」
「ぶはっ! トキヤ本気で言ってる!?」
「くっ!」


「で、でもさ、トキヤ。その服で野暮ったさを出したいんだよね? ぷくく」
「……ま、まぁ、そう、です……が!」
「ん、ならさ、わたしに良い案があるよ」
「……え?」

なぜかトキヤはアニメオタクというものを少々勘違いしているようだが、とりあえず彼の着こなしをもっと野暮ったくすれば良いのだろう。
わたしはソファから立ち上がり、そして彼のジーンズのウエスト部分を掴むと、それを力一杯上へ引き上げた。

「ん、んぐっ!? な、何をするのですかももっ!?」
「いや、どうせやるならもっとダサくしようと思って、ウエストの位置をより高く……さ」
「いっ、いだだだだっ! ちょ、ちょっと待ってくださいもも! そんなにジーンズを上に引くと、その……、子作りをする際に必要な部位が潰れてしまいます! 潰れてしまいますから!」

ひどく悲痛な声を上げるトキヤを改めて良く見ると、彼のジーンズのウエスト部分は本来在るべき場所よりも遙か上方にあり、そのせいか股間部分がジーンズによって圧迫され、本当にあり得ない感じになっていた。

「あ、あはは! トキヤジーンズ上げすぎ!」
「こ、これは! これは今あなたがやった事でしょう!?」
「ひーっ! トキヤダサー! おもしろー!」
「くっ……!」
「あはは! もートキヤを直視できなーい!」
「……」
「ひ……っく、も、ムリ……! 面白すぎて涙出てきた……ひー!」
「……」
「あはは……」
「………………」



一通りお腹をかかえて笑い終え、気が付くとトキヤはわたしの目の前で眉を顰めながら仁王立ちしていた。

「……あ、あれ? トキヤ?」
「……」

トキヤが顔を赤くして拳を握りしめながらぷるぷる震えている。
少々笑いすぎただろうか。からかいすぎただろうか。と反省した所でもう遅い。トキヤは静かながら、完全に何かが切れたようだった。

「……あ、の、ごめんトキヤ。わたし、ちょっと悪ノリし過ぎたよね……?」
「……」
「ごめんね、トキヤ?」

「……ません」

「え?」
「絶対に許しません! 私の生殖機能が正常に働かなくなったら、絶対にもものせいですからね!」

トキヤは目に涙を溜めながら、必死にわたしを罵倒する。少し子どもっぽくて可愛いと思った事は心の中に伏せておく。今はそんな事をのんびりと考えている余裕などない。

「お、大袈裟だよトキヤ。っていうかそれだけで潰れたりしないから大丈夫だって……」
「いいえ! 完全に潰れました! 激痛でした!」
「い、いやいや、もしも本当に潰れてたら、今もそんな落ち着いてられないから」
「……それでは。私はももに慰謝料を請求します!」

トキヤはわたしの弁解などまるで聞いておらず、完全に頭に血が昇った状態で良く分からない事を喚き始めた。

「……え? トキヤ今なんて?」
「私はももに慰謝料を請求します、と言ったのです」


「い、慰謝料って……。わたし、貯金そんなに無いよ……? っていうかそもそもそんなトコ潰れてないって何度言えば……」

いつの間にこんな事になってしまったのか。わたしはただトキヤと悪ふざけをしていただけの感覚だったのだが、目の前のトキヤを見る限り、わたしたちの間にはずいぶん温度差があるようだ。
とりあえず慰謝料など払えないとの意思表示をすると、トキヤはそれすらも鼻で笑うように一蹴した。

トキヤが口の端を上げ、妖しく笑う。

しかし、あり得ない位置のウエストのせいで、それすらも滑稽に見えてしまうのは考えないようにしよう。


「……まだ懲りてませんねもも。わかりました。本来ならば慰謝料を一億程請求してもよかったのですが、ももはお金が無いようですし……、慰謝料の代わりに、私の性器でも舐めて癒してもらいましょうか」
「……」
「……」
「……はい?」

「……さ、どうぞ」
「えっ!? ちょ! ちょっといきなりパンツ下げないでよ! しまえ! それしまえー!」

突然トキヤが代わりの慰謝料を請求してきたかと思えば、それを奉仕しろとばかりに素早く自分の下着をずらす。現在トキヤの下半身が完全に露出されており、わたしは変態に迫られているようでなんだかとても恥ずかしい。

「何をしているのですか! ももが私のこれを痛め付けたのですから、舐めて癒すのが当然でしょう!」
「んなわけあるか! っていうかちょっとずつ勃ってきてるんですけど! この変態!」
「生理現象です。ももに見られてると思うと反応してしまうのです、仕方ないでしょう?」
「仕方なくなーい!」

ソファを挟み、わたしとトキヤの追いかけっこが始まった。


下半身露出狂のトキヤに追いかけられ、わたしは思う。
トキヤは地に近い、こういう変態キャラで行けば良いのではないか、と。


わたしたちはこの日を境に、正式な恋人同士となった。皮肉なものだ。





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