ここ最近、私は店を開けるのが憂鬱だった。

それというのも全て、この鈍感な私の夫、慎太郎さんのせいなのだ。
妻の私が言うのも何だが、慎太郎さんはお客様にとても人気がある。男前だし優しいし、頼りがいもあるし頭も良いし、非の打ち所がない。それゆえに悪い虫が着くのは必然なのだろう。ある程度はまぁ仕方ないと腹も括っている。

だが、ここ一週間程毎日うちに通って来る女の子は、普通のお客様とは異なり、少し危険な予感がしている。慎太郎さんを見る彼女の目は真剣で、私はたまらなく不安になる。あの堅物の慎太郎さんが浮気なんて事は考えられないけれど、万が一という事もある。

彼女は、どこのお嬢様かは知らないが、毎日ずいぶん高価な洋服を仕立てにやって来た。
毎回慎太郎さんが彼女の寸法を計るのだが、その度に私はヤキモキする。
そう毎日計らなくとも、サイズなど一日二日で変わるものでもなかろうに。

彼女の清楚な仕種や艶やかな髪の毛、さらには整った顔立ちがまるで慎太郎さんを誘惑しているようで、少し離れた場所で生地の整理をしている私は毎日気が気ではなかった。

また今日もあの子が来るのかと思うと、無意識のうちに大きなため息が出る。


「どうした? そのため息、今日何度目だよ」

朝餉を終えた慎太郎さんが膳越しに私を見る。
私は彼女の事を言おうかどうか迷ったが、なんだか私がめちゃくちゃヤキモチを妬いているみたいで恥ずかしくなり、口にするのはやめておいた。

「…何でもない」
「……」

慎太郎さんは怪訝そうに私を見つめると、ただ、そうかと呟き、膳を下げた。



「そうだ。今日、龍馬と以蔵が布を納めに来る事になっている。あいつらと久しぶりに話もしたいし、今日は少し早めに店を閉めよう」
「え? 龍馬たちが来るの?」
「ああ」

台所で食器の後片付けをしながら、慎太郎さんが答える。
相変わらず彼はマメな性格で、食事の準備も後片付けもみんな一人でしてしまう。私の仕事はといえば掃除、洗濯、それから荷物持ちという力仕事に近いものばかりだった。確かに私にはそういう仕事の方が合っているのだが。



「もも、早くしろ。店を開けるぞ」

いつの間にか片付けを終えた慎太郎さんは店へ降り、入り口の戸を開けた。
良く澄んだ朝の空気が店の中まで入り込んでくる。朝日がとても眩しい。
私は髪の毛を束ね、慎太郎さんに仕立ててもらったエプロンを身につけると、彼を追いかけるように店へと降りた。

毎日修業をしてはいるが、私の仕立ての腕はまだ半人前以下だ。そんな私が店でできる事といえば帳簿の記録と布の整理ぐらいのものだった。
慎太郎さんは来客があるまで注文された洋服の仕立てをしている。彼の仕立てはまるで電動ミシンで縫い上げたそれに近く、その手際も見とれてしまう程良い。
私がその手捌きに見とれている事に気付くと、彼は照れくさそうに頬を赤くして、あまり見るなと呟いた。




「ごめんください」
「いらっしゃいませ」

店を開けて間もなく、私の不安の種が現れた。
今日もおしとやかな佇まいで、慎太郎さんに愛想良く挨拶をする。
彼女が洋服を仕立てに来るのはもう何度目だろうか。慎太郎さんは鈍感だから気付いていないかもしれないが、彼女は明らかに慎太郎さんを好いている。
慎太郎さんが彼女と話しているのを見るだけで、胸の中に妙なモヤモヤ感が生じた。
慎太郎さんが彼女に触れるたび、そのモヤモヤは大きくなっていくようで、途中から私はそちらを見る事もできなかった。
私ってこんなにヤキモチ妬きだったんだなぁ、と改めて気付く。



「…それでは、よろしくお願いします」
「はい。ありがとうございました」

ようやく寸法取りと生地選びが終わったらしい。
慎太郎さんがありがとうございましたと頭を下げると、彼女は可愛い笑顔で彼に会釈をし返した。
それを見てヤキモチを妬く自分の気持ちがなんだかとても恥ずべきもののような気がして、途端に情けなくなってしまった。

その後、黙々と生地の整理をしていたが、やはりさっきの女の子の事が頭から離れる事はなかった。


「……よし、今日はもう閉めるぞ」
「……」
「おい」
「……」
「聞こえてるのかもも、もう閉めるぞ」
「え?」

いつの間にか目の前に慎太郎さんの顔があり、思わず私は後ろに飛びのいてしまった。

「もも、どうしたんだ。いつにも増してぼんやりしていたようだが」
「もう……誰のせいだと思ってんのよ」
「なに?」

ずっと不安だったせいか、言うつもりのなかった言葉が喉の奥から飛び出てしまった。それを聞いた慎太郎さんがすぐに表情を曇らせる。

「もものぼんやりは俺のせいだというのか?」
「…別にそこまでは…言ってないけど」

いつもなら冗談で笑い飛ばしてやるところだが、今はそんな余裕などない。本当に不安で不安で仕方ないのだ。

「…お前おかしいぞ? 何か変なもんでも拾い食いしたんじゃないのか」
「なっ!」

慎太郎さんの本気とも冗談とも分からないような言い分に、つい過剰な反応をしてしまう。
今まで持て余してきた気持ちが今にも溢れ出してしまいそうだ。

「それともどこかに頭でも打ったか?」
「……」
「……おい」
「…さっきから拾い食いだの頭打っただの、失礼ね! ええそうよ、私がここ最近ぼんやりしてたのは全部全部アンタのせいよ!」
「なっ…なに!? 俺が一体何をしたというんだ…」

売り言葉に買い言葉だが、とうとう吐き出してしまった。でもそれは仕方のない事なのだ。この男が鈍すぎるのが悪い。

「なによ! 気付いてないとは言わせないわよ」
「な、何の事だ…」

私が反論すると慎太郎さんは僅かに怯み、軒先に吊す閉店と書かれた木札を床に落とした。
昔はどうあれ、ここ最近ずっとおとなしく慎太郎さんの妻をやっていた私が大声を出したため、彼はとても驚いたようだった。

「あんなに私の前で見せ付けて、気付いてないはずがない」
「だから何の話だ」
「毎日毎日高い洋服を仕立てにくる彼女に鼻の下伸ばしちゃって……。慎太郎さんの七三スケベ!」
「なっ! 髪型は関係ないだろ!」
「だいたい寸法なんて、毎日計らなくても大して変わらないわよバカ! 結局慎太郎さんはあの子に触りたいだけなんでしょ、このスケベ!」

ついに言いたい事を吐き出し、慎太郎さんを思い切り睨んだ。
慎太郎さんはしばらく無言のまま私をまっすぐに見つめていたが、何を思ったのか突然ふ、と気障に笑った。

「な、なに…?」
「……もも、お前、もしかして妬いてるのか?」
「やっ…妬いてないわよ!」

慎太郎さんが店の戸を閉め、含み笑いを浮かべながらこちらへ近付いてくる。その笑顔は明らかに勝ち誇った表情をしていた。少し憎らしい。

「馬鹿だな。俺が浮気なんかするような男だと思っているのか? 心外だ。そもそも俺にとっての女など、もも一人でじゅうぶんだ。女の体を触りたいと思うのなら、ももを触ればいいだけじゃないか」
「え…」
「そうだろ?」

慎太郎さんはそう言って口の端を上げると、私の唇に触れるだけのキスをした。


「もも、とにかく抱いてやるから機嫌を直せ」
「は、はぁっ!?」

慎太郎さんが真顔で私の手を握る。この顔は本気だ。
というか、彼が冗談などを言う質ではない事は、私が一番良く知っている。

「ま、待って! もうすぐ龍馬と以蔵が来るんだよ!?」
「それまでには終わる」
「終わんないよ!」

必死に突っ込んだ私の叫びは、虚しく室内に響き渡り、やがて静かに掻き消えた。
確かに嫉妬に駆られた私も大人げなかったとは思うけど、男前過ぎる慎太郎さんだって悪いのだ。
なんて、責任転嫁も良いところだが、それも仕方のない事だ。

「ほら、早く来いもも。俺がどれ程お前を愛しているか、しっかりと証明してみせるぜ」
「っ! もう!」

こういう慎太郎さんの気障な物言いも、もうすっかり慣れたつもりだったが、やはりまだ時々顔が熱くなる。
一度決めたら梃でも動かない慎太郎さんの事だから、結局私が折れるしかない。

「はぁ……」

本日何度目かも分からないため息を吐き、私は急いで慎太郎さんの後を追った。

とりあえず、もう妙なヤキモチを妬くのはよそうと、そう思った。



おわり


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