鏡越しに見る彼の笑顔は信じられないくらい爽やかで、結局わたしが口を噤むしかなかったのだった。




「じゃあ先ずはこのキャミソールからいってみよっか!」
「……」

音也くんの人懐こさと雰囲気に圧され、わたしは今、なぜか彼と二人、試着室の中に居る。


早乙女学園が休日の今日、わたしは駅前通りのショッピングモールへ買い物に来ていた。
これから訪れる本格的な夏に向け、新しい夏服を探しに来たのだ。

そこでしばらくショッピングを楽しんでいると、偶然ここへ訪れていた音也くんに声をかけられ、そこからわたしたちは合流する事になった。
音也くんは自分の買い物を終えたばかりらしく、暇だからという理由でわたしの洋服を一緒に選んでくれると言った。わたしの隣で興味深げにショートパンツやブラウスを眺めている音也くんは、思わずこちらが釣られてしまうほど楽しそうな顔をしていた。


「よし、こんぐらいでいいかな!」
「え……?」

両手いっぱいに洋服を選んだ音也くんは、一呼吸置くとわたしの腕を掴み、そのまま試着室へと引っ張った。
その時のわたしは何が起こったのか全く分からず、ただ彼について行くだけで精一杯で頭が全く働かない。持っていたチュニックと自分のバッグを落とさぬように、ただそれらをきつく握りしめていた。


そして、今に至る。




「えーと、まずはその上着と中のシャツ脱がないとね!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待って!」

音也くんが後ろからわたしの上着を脱がせようと手をかける。しかしわたしは音也くんの前で着替えができるほど心に余裕がない。
彼の行為を止めるためにちょっと待ってと言ってはみたものの、音也くんの方はなぜわたしに止められたのかが分かっていないようで、遠慮することないよ、などという的外れな返答で結局わたしの上着をあっという間に脱がせてしまった。
これは大変な事態になってきたようだ。
音也くん自身には全く悪気がない上に、本気でこれが善行だと信じている。
彼を傷付けずに何とかこの場を凌ぐ方法はないものかと考えたが、わたしの頭の中に解決策が思い浮かぶ事はなかった。


「じゃあ次はそのシャツ脱がないとね。はい、ばんざいして?」
「え……」
「はい、ばんざーい」
「あ、う、うん」

なぜだ。

音也くんには逆らえない何かがある。
わたしはまんまと音也くんの言いなりになる自分に、苦笑するしかなかった。

「はい、これ」
「あ、ありがとう……」

音也くんからキャミソールを受け取り、それを着る。その最中に音也くんが嬉しそうに、おっぱいおっきいね、なんて言った事には、あえてスルーした。



「うん、やっぱり! このキャミソール、ももちゃんに似合う!」
「ほ、ほんと……?」
「うん! ももちゃんって暖色系の色が似合うし、このキャミソールのデザインもすごく君らしい! めちゃくちゃ可愛いよ、ももちゃん!」
「お、音也くん、誉めすぎだよ……」
「そんなことないっ! 超可愛いよ!」

わたしの後ろで音也くんがはっきりとそう言って笑った。鏡に映る自分の顔が想像以上に赤くて、さらに羞恥心に見舞われる。音也くんがそんなわたしに気付き、笑顔のままわたしの頭を撫でる。わたしの顔は先ほどよりさらに赤くなっていった。





それからいくつか試着を繰り返した後、わたしは信じられないような彼の台詞を耳にした。

「……え? い、今、なんて?」
「ん? だから、最後はこの水着、試着してみよっか、って!」
「……」
「……」

音也くんの厚意にどう返したら良いのか分からず目をキョロキョロさせていると、彼はまたしても私のシャツを捲り上げ、ごく自然に着替えを手伝おうとした。この時ばかりはわたしも焦った。
シャツを掴んでいる音也くんの手を掴み、鏡越しに彼へ話しかける。

「ちょっと待って音也くん! ……ええと、その、水着は……去年のがあるからいいの!」
「えー? そうなの?」

音也くんがシャツを捲り上げる手を止め、きょとんとした表情でわたしを見る。どうやらこれで何とか音也くんの面子も潰さずに試着を断れると思ったのだが、そんな考えは間違っていた事にすぐに気付く。

「でもさー、水着は何着あってもいいよね? っていうか俺、この水着を着たももちゃん、超見たいし! 絶対似合うって!」

回りくどい言い方をしているわたしにも原因はあるが、音也くんのポジティブシンキングにはどう足掻いても適わないような気さえした。

「じゃあさ、上だけでも着てみよう? ね?」
「や、だからね……」
「はい、ばんざーい」
「ちょっ、音也くん待っ……」

わたしの反論も虚しく、音也くんは強引にわたしのシャツを捲り上げ、あっという間にそれを床に放った。

「次はブラジャーだねー」
「えっ……」
「はい、っと!」
「わ……ちょっ!」

わたしが制止する前に後ろのホックが外され、先ほどまで纏っていたわたしのブラジャーは、いつの間にか音也くんの手中に収まっていた。

「うわぁ……やっぱりももちゃんっておっぱいおっきいね!」

そんな嬉しそうに叫ばれると、音也くんを詰る事もできそうにない。彼は完全に確信犯だ。この行為が善行と信じて疑ってもいない。

「おおおおおおお、音也くん返して!」

音也くんの手からブラジャーを奪い取ろうと手を伸ばすも、彼はすぐにそれをわたしの手の届かない場所まで上げて阻止する。

「だーめ! ももちゃんはこっちの水着、着てね!」
「音也くーん……」
「早く着ないと、俺、やばいから。ね、お願い!」
「や、やばい……?」
「うん。ももちゃんのおっぱい見たら興奮しちゃって、立っちゃいそう」
「なっ……!」

正直な性格というのは音也くんの美徳だとは思うけれど、これはさすがに行き過ぎだ。
わたしは持っていた水着を急いで着け、彼へ向き直った。

「こっ、これでどう? 分かった? 似合ってないよね? それでいいよね!? 音也くん、着替えるから外で待っててくれる!?」

矢継ぎ早に音也くんへそう言うと、わたしは彼を無理矢理外へ押し出した。しかし、やはり彼はそれを素直に受け入れず、再び試着室の中へ逆戻りしてくる。

「待ってよももちゃん! この水着、ももちゃんにすーっごく似合ってるじゃん! ももちゃんのおっぱいも強調されるし、俺、好きだなぁ、これ! あ、そうだ! ももちゃんが買わないならさ、俺がプレゼントしてあげる! そうだよ、それがいいよ! よーし、脱いで脱いで!」
「えっ……、い、いいよ、そんな、悪いよ! 大丈夫だから!」
「いーからいーから! ね!」

音也くんは抵抗するわたしの水着を無理矢理奪い取ると、それを手にレジへと走って行った。
思いもよらぬ彼の行動力に呆気に取られていたわたしは、数秒後ようやく我に返り、元通り自分の洋服に着替え直す。すでにわたしの頭の中からは、当初の目的など綺麗さっぱり消えていた。





「ねぇももちゃん」
「え?」

早乙女学園への帰り道、ふと隣を歩いていた音也くんがわたしの名を呼び足を止めた。

「どうしたの、音也くん」

音也くんの顔は夕陽に照らされていたせいか、とても赤い。

「あのさ、海開きまで待てないし……、次の日曜、温水プール行こうよ! この水着持って!」
「え……次の日曜!?」
「うん……。だって、俺が選んだんだもん、俺が一番最初にももちゃんの水着姿、見たい」

音也くんの笑顔にはやはり抗えない何かがある。
きらきらと夕陽を反射する彼の真っ赤な髪の毛は、見とれてしまう程綺麗だった。


「うん……。じゃあ、次の日曜、一緒に行こう」

知らず知らずのうちに、わたしは音也くんのその提案を飲んでいた。自分でも信じられない気持ちがややある。

しかし、目の前で尋常ではない程喜ぶ彼を見ると、まぁ、それも良いのかもしれないと改めて思ったのだった。





1/1
←|→

≪short
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -