「……あれ?」

時刻は正午。普段ならば食堂は忍たまたちの喧噪に溢れているはずなのだが、今日はずいぶんしんと静まり返っている。食堂の中をおそるおそる覗き見ると、やはりそこには何人かの生徒たちがまばらに居るだけだった。

「ももちゃん?」
「え?」

不意に後ろから声をかけられた。声の方を振り返ると、そこには不思議そうな顔をした雷蔵が立っている。しばらく彼は食堂の入り口で立ち尽くす私の様子を伺っていたが、その後ようやくその理由を理解したようで、なぜだか申し訳なさそうに苦笑した。

「ももちゃん、もしかして、今日食堂のおばちゃんが留守にすること、知らなかった?」
「おばちゃんが留守!?」

雷蔵に教えられたその事実に、私は食堂が妙に静かだった事をようやく理解した。
おそらくお腹を空かせた生徒たちのほとんどが、町へうどんでも食べに出かけているのだろう。私は静かにため息を吐き、踵を返した。


「待って、ももちゃん」
「ん?」

自分も諦めて町へ行こうかと考えていた矢先、後ろから不意に雷蔵に呼ばれ、腕を掴まれた。すぐにそちらを振り向くと、雷蔵はとても楽しそうな顔をして、更に私の腕を引っ張った。

「ももちゃん、お腹空いてるなら、ぼくがお昼ごはん作ってあげる!」

雷蔵の手料理を食べるのは、これが初めての事だった。



食堂の中には、私の他にも雷蔵の級友たちが集まっていた。どうやら雷蔵が自分の手料理を振る舞うために、彼らを呼んでいたらしい。

「……犠牲者がまた一人、か」
「え?」

くのいち教室で黒髪の美青年と噂される久々知兵助が、気になる独り言をぽつりと呟いた。なんだか聞いてはいけない事を聞いてしまった気がするが、深く追及はせずにおく。

私たちを席に案内すると、雷蔵はすぐに割烹着を着け、厨房へ篭ってしまった。何か手伝おうかと申し出たが、それは丁重にお断りされてしまった。
席に着く彼の級友たちの様子を盗み見ると、なぜだか言葉少なにお互いを探り合っているような表情をしている。とても不思議な光景だった。



「……ねぇ」

おそるおそる誰にともなく声をかけると、彼らは途端に刺すような視線を私へ向けた。

「な、なんだか鉢屋も久々知も竹谷も尾浜も、いつもと様子、違わない?」
「……」

彼らは私の質問にも答えず、揃って妙な視線をこちらへ送り続ける。その視線に我慢ならず、彼らを順に睨み返すと、ようやく彼らの表情がわずかに和らいだようだった。


「もも、お前、もしかして雷蔵の飯を食べるのは初めてか?」

鉢屋がいつになく真剣な面差しで静かに尋ねる。普段は不真面目が着物を着て歩いているような奴だが、こればかりはふざけて答えてはならないのだと直感的に思った。

「う、うん、初めてだけど……。それがどうかしたの?」
「そうか」

鉢屋は私から目を逸らし、ぼそりと何か呟いた。微かにご愁傷様とか、そんな物騒な言葉が聞こえたような気がする。

「……なに、何なのよ一体。はっきり言いなさいよ鉢屋」
「……」
「……」
「……」

いつもなら余計な一言が付くくらい物事をはっきり言うはずの鉢屋が、変に言葉を濁している。これは何かあるに違いない。さらに追及しなくては、と思ったその時、厨房から雷蔵が出てきて、お待たせと言って笑った。




「時間がかかっちゃってごめんね、ようやくできたよ!」
「雷蔵、ごめんね私の分まで。ありがとう」
「ううん、一人増えるも二人増えるも、ぼくの料理には関係ないから、気にしないで!」
「え……」

おそらく言葉の彩というものだろうが、今までの鉢屋たちの態度と雷蔵のその言葉に、私は一抹の不安を覚えた。




「さ、遠慮しないで食べてね!」

食卓の上に並べられたそれは、おそらく雷蔵の渾身の手料理らしきものだった。
白い大きな丸皿に、紫色の物体が乗っている。ごはんの上には茶色い炒り卵の残骸らしきものがかけられており、味噌汁と思しき物には、なぜだかイナゴが入れられていた。
この時私は、初めて鉢屋たちの気持ちを思い知ったのだった。


「ももちゃん、この麻婆茄子、ぼくの自信作なんだ!」
「え? へ、へぇ…」

大きな丸皿の上に乗っていた物体は、なんと麻婆茄子だったようだ。見た目からも匂いからも、全くそれだと感じられない。
雷蔵は一通り料理の説明を終えると、少しずつ小皿にそれを取り分け、私たちへ勧めた。
鉢屋が引き攣った笑顔でいただきますと言い、麻婆茄子を口にした。なんだかんだ言いながら、結局ちゃんと雷蔵の料理を食べるのだから、鉢屋はけっこう友達思いなのだと思う。
シャキシャキと鉢屋の咀嚼音がここまで聞こえる。信じられないくらい茄子の歯ごたえがあるようだ。竹谷も久々知も尾浜も、鉢屋のその様子をじっと伺っている。

「……どうかな、三郎」

雷蔵もひどく期待したような表情で鉢屋を見つめている。鉢屋の喉が鳴り、茄子が食道を通過する音が聞こえた。彼はゆっくりと顔を上げ、無理矢理口角を上げた。目が笑っておらず、少々怖い。額にはうっすらと脂汗のようなものが浮かんでいた。

「う、うまいよ雷蔵、うまい」
「ほんと!? 嬉しいなぁ。ね、ももちゃんも兵助も八も勘右衛門も食べてみてよ!」

鉢屋の目が死んでいる。それどころか竹谷と尾浜までもが顔面蒼白だ。できることなら手を付けたくないのだろう。

「よし……食うか。な? 兵助、勘右衛門、もも!」

竹谷が大声で気合いを入れる。正直、私の名前を呼んで巻き込むのはやめて欲しいのだが、呼ばれた以上は覚悟を決めるしかない。それに元はと言えば雷蔵が好意で作ってくれた物なのだし、いつまでも手を付けないでいるのは申し訳ない。
私は小皿に取り分けられた茄子を、竹谷たちと一緒に思い切って口へ運んだ。



「う、うん……、うまいな、この茄子の煮浸し!」
「……それ、麻婆茄子なんだけど……」
「え……。ああ、そうそう、麻婆茄子な! うまいよ雷蔵!」

竹谷が懸命に笑顔を作りながら雷蔵に答える。ふとみると、尾浜も一生懸命口の中に茄子を押し込んでいた。みんな雷蔵を傷付けまいと頑張っている。私はその姿に思わず顔が綻んでしまった。



「まずい」

だが、その雰囲気をぶち壊したのは、久々知のその一言だった。
その正直すぎる一言に、ここに居る久々知以外の全員が驚き固まっている。私たちの気も知らず、久々知は何事もなかったかのような無表情で、先程自分がまずいと言った麻婆茄子を黙々と食べている。

「あ、あのねぇ久々知、いくら何でもひどくない?」
「そうだよ兵助! そりゃ確かにそうかもしれないけど、そんなハッキリ言うことないじゃないか! 雷蔵が可哀相だろ!」
「そうだそうだ! おれだって我慢して喰ってんだから、そういう雰囲気くらい察しろよ!」
「勘右衛門、八左ヱ門、お前ら兵助と同じくらい失礼なこと言ってるぞ……」

私も鉢屋も、久々知の歯に衣着せぬ物言いと、無意識にも失礼な事を言っている竹谷と尾浜に、きっと今にも雷蔵が泣いてしまうのではないかと心配になった。
だが、私たちの予想に反し、雷蔵はそれ程久々知たちの言葉に衝撃を受けてはいないようだった。むしろやんわりと笑顔すら浮かべている。


「雷蔵……?」
「大丈夫か? 兵助たちはあんな事言ってるけど、ぼくは雷蔵の料理、旨いと思ってるからな」

まだぎゃあぎゃあと言い合いをしている三人――正確にはぎゃあぎゃあ騒いでいるのは竹谷と尾浜だけだが――を無視し、私と鉢屋はおずおずと雷蔵に声をかけた。雷蔵はさらにはっきりと口角を上げて笑い、ありがとうと言った。


「ぼくの料理の腕、全然上がらないんだよね。……でも」

雷蔵が久々知たちへと視線を移す。私と鉢屋も釣られるようにそちらを見る。竹谷と尾浜はまだ久々知に文句を言っている。しかし久々知本人は全く気にも留めぬ様子で、ついには小皿の麻婆茄子を平らげた。


「なんだかんだ言って、兵助は必ずぼくの作ったものを残さず食べてくれるんだよ」
「あ……」
「なるほど……」

言いたい事をはっきり言うけれど、ちゃんと相手の事をも考えている。久々知らしいと言えば確かに久々知らしい。

「ぼく、もっと上手に料理ができるように頑張る。だからももちゃん」
「ん?」
「これからもずっと、ぼくの料理を、食べてくれる?」
「……」
「……」
「……」

その雷蔵の一言に、その場が瞬時に凍りついたような気がした。一体どうした事かと周りを伺うと、なぜか頬を紅潮させた竹谷が身を乗り出し、ダン、と卓上を叩いた。

「きゅ、急に何なのよ竹谷」
「何なのよ、じゃないぞもも! い、い、今の雷蔵の台詞って、まるで、結婚の申し込みみたいじゃないかーっ!」
「そそそそうだよ! 雷蔵抜け駆け禁止!」
「えっ!? ぼ、ぼく、そんなつもりじゃ……ない、訳じゃ、ないけど……」

雷蔵の顔は誰が見ても分かるように、どんどん赤くなっていく。私もそれに釣られ、顔の熱が上がっていった。


「もうお前ら結婚しろ」

突然、まるで低学年のからかい文句みたいな事を呟いた久々知が、ごちそうさまと言って席を立った。

「ぼくも、ごちそうさま」

そして鉢屋もそれに続く。
残された竹谷と尾浜も、お互いに顔を見合わせ、何かを諦めたようなため息を吐いた後、ゆっくりと食堂から出て行った。

残されたのは私と雷蔵だけで、なんだかとても面映ゆい思いでいっぱいだ。
ふと雷蔵と視線を合わせる。なんだかお互いにお互いを意識しているようで、やっぱり少し恥ずかしい。

「えっと、雷蔵、私もごちそうさま!」

そう言って食堂を飛び出した私は、そこで待ち構えていた鉢屋に、私の気力がなくなるまで散々からかわれたのだった。



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ずっと書きたかった雷蔵の手料理のお話……書けて良かった!



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