「もも、これはどういう事ですか?」
「え?」

眠くなりそうな程気だるい雰囲気の昼休み、わたしの後ろから突如低い声が聞こえた。

「何、一体どうしたの?」

声の方を振り返り、そちらを見回すと、そこにはトキヤどころか神宮寺と翔までもが揃ってわたしを見下ろしていた。三人の表情は同じように暗く、なぜかわたしを恨みがましく見つめている。
わたしは彼らに何かしてしまっただろうか。しばらく考えてみても、わたしの頭には心当たりなど全く浮かんでは来なかった。

呆気に取られるわたしに、トキヤが一枚のプリントを差し出した。

「……ん、何これ? あっ!」

トキヤの手に掲げられていたものを見て、わたしは思わず振り向いたその姿勢のまま固まってしまった。身体中の血の気が引いていく。

「そ、それ! なんでトキヤが持ってるの!?」

そのプリントを奪い返そうとするも見事にわたしの手は空を切り、トキヤがそんなわたしを見て、滑稽ですねと嫌味たらしく笑った。


今トキヤが持っているそのプリントは、早乙女学園の女子にのみ、こっそりと配布されたものだった。
学園の広報部から配られたそれは、女子が選ぶ“抱かれたい、抱かれたくない男子アイドル候補生ベスト3”を選ぶという企画のプリントで、わたしたちはそのプリントに自分の選んだ“抱かれたい、抱かれたくない男子アイドル候補生”の名前を書いて提出する事になっていた。わたしはすでにそのプリントへ幾人かの名前を記入しており、だから尚更他人にそれを見られるのが恥ずかしくて、何とか取り返さねばと必死だった。


「返してよ!」
「返します。……が、それは私たちの質問に答えてからです」
「……し、質問?」

ひどく嫌な予感がするのだが、わたしにはそうする以外選択肢が残されていないので、トキヤの言うことを聞くしかない。

わたしが黙ったまま彼らを見上げると、それを肯定と受け取った翔がトキヤからプリントを引ったくり、わたしの前へ進み出た。

「もも。この、抱かれたくないアイドル候補生第3位だけどよ。まぁ、俺の名前が書かれてる事にはこの際何も言わねぇ。……だがな!」

あの温厚な翔がめずらしく怒っている。
彼はわたしの机をバシンと叩くと、そのまま机を挟んで身を乗り出し、こちらへ顔を近付けた。

「何だよこの理由!」
「しょ、翔……?」

なかなかこういう仏頂面な翔を拝む機会など無いので、わたしはすでにこの時、かなり動揺していたのだと思う。おかげでわたしは、あのアンケート用紙に書いた事が頭の中から吹っ飛んでしまい、自分でもそれを思い出す事ができずにいた。

「えーと……とりあえずごめん」
「とりあえずで謝るなっ! だいたいお前、自分で自分の書いた事、忘れてんだろ」
「う、ごめん。その通りです……」

素直に頭を下げるわたしに翔が大きなため息を吐く。どうやら相当呆れているようだ。

「まったく、お前惚けすぎ……。ほら、これ見ろ。俺をワースト3に選んだ理由はこれだ」
「え、えっと、わたし何て書いたっけ? ……翔の場合、抱かれたいというより抱きたいというイメージしか湧いてこない……?」
「……」
「……あ、あれぇ? わたしこんな事、書いたっけー?」
「……」
「……すみません」

そうだ。わたしは確かにそういう理由をアンケート用紙に書いた事を今はっきりと思い出した。
だが、それは翔の人柄と外見を見れば仕方のない事のように思う。思うが、それでもやはり当然ながら翔の怒りは全くおさまりそうもなかった。

「何なんだよ、この理由は! 抱かれたいというより抱きたいってどういう事だ!」
「や、だってそれは、翔があまりにもカワ……」

「カワ?」
「……」

目の前の翔の歪んだ顔に気付き、わたしはカワイイからだと言いそうになった口を思わず噤む。

「……まさかお前、今、カワイイって言おうとしたわけじゃねーよな?」
「え? あ……、しょ、翔、いつものアイドル全開超笑顔じゃなくなってるよ……? 笑おうよ、ね?」
「だったらもも、お前抱いてみろよ! 俺を抱いてみろ!」
「ちょ、ちょっと翔、そんなムキにならなくても……。っていうかこれ、ただの遊び的な企画だよ……」
「うるせー! 俺様を馬鹿にした代償は、きっちりもものカラダで払ってもらうからな! 覚悟してろよ!」
「だ、だからそれは……って翔! 翔はそんな事言うキャラじゃないでしょ!?」
「キャラとか関係ねー! そもそも原因を作ったのは……」
「はいはい、おチビちゃんはちょっとどいてくれるかな? 俺もレディに言いたい事があるんでね」
「う……神宮寺……!」

まだまだ文句を言い足りないらしい翔を神宮寺が無理矢理押し退け、わたしの前へ歩み出る。いつも人当たりの良い笑顔を浮かべているはずの神宮寺は、今やその影すら見当たらぬ程恐ろしい雰囲気を全身から醸し出していた。

「じ、神宮寺、あのね、ちょっと言い訳させてもらうとこれは……」
「レディは俺の事、こんな風に思っていたのかい? 残念だよ」
「……あの」

神宮寺が目を細めながらわたしに顔を近付け、口の端を上げる。こんな時だというのに、怖いくらい美しい彼の顔に見とれてしまうなんて、わたしは本当にどうかしている。

「さ、いい子だから、俺を抱かれたくない男第2位に選んだその理由を、レディの口から直接聞かせてくれないか?」
「うっ……。すみません」

わたしにはもう謝るしかなかった。それは、わたしの書いたその理由が、本人を目の前に口にするのも憚られる程失礼な内容だったからだ。神宮寺に何を言われようとわたしにはもう謝罪するしか道はない。

神宮寺の低くて良く通る声が、耳をくすぐった。

「……言えないの?」
「すすす、すみません!」

神宮寺がわたしの顎に手をかけ、上向きにそれを持ち上げる。彼の美しい笑顔と向き合うわたしの心臓は、今や爆発寸前だ。

「……そうか。あくまでも言わないつもりかい?」
「……」
「……なら俺から聞くよ。ねぇ。俺はそんなに君の中で、性病を持ってそうなイメージが強いのかな?」
「ぶっ!」

神宮寺がとても綺麗な笑顔をわたしに向けた。怖すぎる。

隣で噴き出した翔が何とかそれを咳払いで誤魔化そうとしていたが、全く誤魔化し切れていない。神宮寺が翔を一瞥するも、彼はそれほど気にもしていないようで、すぐにわたしへ向き直った。

「ご、ごめん神宮寺。悪気は無かったの! 神宮寺の名前を出した以上、何か理由を書かなくちゃいけなくて……」
「まぁ、俺もこんなことくらい、許してあげたいのは山々だけど……でもその前に、ちゃんと証明しないとね?」
「証明?」
「そう。俺が性病なんか持ってないって、レディの体に直接証明してあげないと」
「うえ……!? け、結構です!」

目の前でクスリと笑う神宮寺は、口調こそ冗談めいているものの、あの顔はおそらく本気に近い。後でしっかり謝っておかなければ。

ああ、こんな面倒な事になるのなら、最初からあんなアンケートなど無記入のまま放棄すれば良かった、と、今さら思ってももう遅い。



「さて、最後は私の番ですね」

予想もつかなかった最悪の自体に頭を抱えたその時だった。トキヤの一際低い声が耳元で囁かれ、わたしは思わず背筋に悪寒が走った。

「ト、トキヤ!」

すっかり忘れていたが、問題はまだあったのだ。それも大問題が。

「ト……トキヤ、本当にごめ」
「許しません」

わたしが謝罪の言葉を述べるのとトキヤがそう言い切るのは、ほぼ同時だった。
彼の笑顔はいつにも増して胡散臭く、良く見ると目すらも笑っていなかった。

「よくも私の名を抱かれたくないアイドル候補生第1位の欄に記入してくれましたね」
「そ、それは……」
「しかもこの理由はなんですか。ああいう真面目そうな人に限って変態プレイとか好きそう……とは、私には意味が分かりませんが?」
「……」
「ももは、変態だと言い張る私の性行為を、その目で実際見たことがあるのですか?」
「え……それは」
「あるはずがありませんよね。なにせ私は未経験なのですから、そんなシーンなど存在しませんし」
「え、そ、そうなの!?」
「そうです」

「イッチー……えらい爆弾を投下したもんだねぇ……」

トキヤはムキになるあまり、言わなくとも良い事を口走り、神宮寺にひどく呆れられていた。

「ももの書いたこの理由に、私はひどく傷付きました」
「だ、だからごめんてばトキヤ」
「いいえ許しません」
「なっ! なら、どうしたら許してくれるの?」
「そうですね……」

トキヤはわざとらしく考える素振りを見せた後、いつものように口の端を上げて笑った。非常に不吉な予感が胸中を支配していく。

「良いことを思い付きました。それなら、実際にももが私に抱かれてみるというのはどうでしょう?」
「……いや、どうでしょうと言われても」
「そうすれば君は、自分がいかに私に抱かれたいかを思い知ると思います」
「いやいや、別にわたしは思い知りたくは、っていうか日本語おかし……」
「そうですか。では早速今夜お伺いしますので、寝る時は施錠せずにお願いしますね」
「えっ!? なんだかわたしとトキヤの会話、噛み合ってなくない!?」

すでにわたしは愛想笑いをする余裕さえなくなっていた。
わたしの前に迫りくるトキヤがとても怖い。

「大丈夫ですよもも。私はこう見えても優しい男です。童貞といえども中で出さぬよう努力するつもりです」
「は!? なんで童貞のくせに生でやろうとしてんの!? っていうかそういう事じゃなくて……わたしの意思も聞いてよ!」
「ももの意思など関係ありません。私はももを抱きたいから抱くだけです」
「え……? 何だかだんだん話がずれてきてるような……」
「ずれていませんよ。そもそも本当はアンケートの回答など、私にとってはどうでも良い事なのです。私はただ、その理由を正当化して、君を抱きたかっただけですから」
「……トキヤはなんでそういうヤラシイ事をさらっと言っちゃうの? 黙ってればかっこいいのにもったいない」
「なるほど。それでは黙っていますので私に抱かれてください」
「そういう問題じゃないのー!」



「あー……俺たち、もう行くわ。もももトキヤも、あんまり痴話喧嘩すんじゃねーぞ?」
「えっ!? 翔?」
「それじゃあね、レディ。イッチーと仲良くね」
「神宮寺!」

いつの間にかわたしとトキヤの口喧嘩は二人を呆れさせ、文句を言う気力すらも奪っていたようだった。二人はそう言い残した後、まるで憑き物が落ちたかのように清々しい顔で教室を出て行った。




「それでは私も色々用意せねばなりませんので失礼します」
「えっ、トキヤ、本気なの?」
「当たり前です。くれぐれも今夜、施錠はせぬよう、お願いしますよ」
「……」

しばらくするとトキヤもそう言い残し、教室を出て行ってしまった。


「今夜はしっかり施錠して、念のためにバリケードも作らなくちゃな……」

わたしの独り言は教室内の喧騒の中へ溶け込むように消えていった。






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