ドアが激しく叩かれた。
この乱暴な叩き方は十中八九隣に住む熊のような幼馴染み、近藤に違いない。

「俊夫さん、丁度鍋の用意ができました」
「そ、そうですか」
「近藤さん、丁度良い具合に来てくれましたね」
「は、はぁ」

真っ白いエプロンを身に付け、僕の家の台所から土鍋を持ってきたももさんが愛想良くそう言って笑った。

彼女はこの文化住宅の並びに住んでいるご近所さんで、且つ、僕の恋人でもある。知り合ったのは随分前の事だが、僕はその時の事を今もありありと思い出す事ができる。あれはももさんがこの文化住宅へ越してきたその日、引っ越しの挨拶をしに来てくれた彼女に、僕はあろうことか一目惚れしてしまったのだった。
それ以来僕は態とらしい程彼女の前へ顔を出した。買い物帰りのももさんを見れば、さりげなく荷物を持ってあげたりもした。僕にしては自分でも信じられない程の行動力だった。それほど彼女に夢中だったのだ。
ここ最近彼女は僕の家に夕飯を作りに来てくれるようになり、自然と僕たちの関係も相応のものになっていった。

こたつに座り、その中央に鍋を置いて彼女が僕に微笑む。しばらくそれに見惚れていた僕は、次第に彼女のその姿をまともに直視できなくなり、曖昧に返事をすると早足でドアへ向かった。


「よう、本島氏。こんばんは、中岡氏」
「こんばんは、近藤さん」
「ま、まぁ、上がれよ」

ドアを開けると同時に近藤が三和土へ足を踏み入れる。そしてそれと同時に奥へ目をやった。おそらくももさんを見ているのだろう。彼女から僕へ視線を移すと、近藤はその髭面を綻ばせ、ニヤニヤと笑った。

「な、なんだよ近藤、気持ち悪いぞ」

近藤のその視線に妙に居心地が悪くなり、僕は照れ隠しでそう悪態を吐く。
彼女は僕にできた初めての恋人だから、近藤もからかいたくて仕方がないのだろう。それに関しては僕だって仕方ない事だと諦めている。
しかし、彼女の不在時ならばまだしも、彼女の目の前でからかわれるのはやはり御免だ。
僕は精一杯近藤を睨んだ。

「まぁそう睨むな。吾輩はお主も中岡氏も中睦まじそうで良いなと思っただけだ」
「……」
「ふふ、さ、いつまでもそちらに居ないで、こちらへどうぞ」

近藤のからかい文句を遮り、ももさんが僕らへ席を勧める。
ももさんに言われれば僕と近藤による牽制のし合いもこれまでだ。僕がおとなしくこたつへ入ると、近藤もまた僕の向かい側へと腰を下ろした。



今日ここへ近藤を呼んだのは、半分成り行きのようなものだった。
昨晩ももさんと他愛もない話をしていると、いつの間にか話題は自分たちの幼馴染みの事になっていた。幼馴染みの事となると次に思い浮かぶのは僕たちの隣人、近藤――つまり僕とももさんの間に近藤が住んでいる――についてだ。
近藤は紙芝居描きを生業としているが、最近その紙芝居が思うように描けず、今や喰うにも困っているという状況らしいということをももさんに話した。特に他意は無かった。
しかし僕がそう言うと、僕の優しい恋人はそんな近藤を放ってはおけないと言い、結局僕は近藤を今晩の鍋に招待せざるを得なくなってしまったのだった。



三人で鍋を囲み、なぜかあの妙な探偵の話題で盛り上がる。僕たちはお互いがご近所だから、それほど遠慮するような間柄でもないが、それでもやはり近藤の順応性は常人よりも格段に優れていた。でなければ、あんな風に破廉恥な事をずけずけと言える訳がない。


「なぁ本島、お主、この住宅の壁が薄い事は知ってるよな?」
「ん? ……まぁ、知ってるが。だから何なんだ」
「まぁ聞け。このところ毎晩お主の部屋の方から声が聞こえてきて困っているのだ」
「……声、ですか?」

怪談かしら、などと少し怯えた風にももさんが首を傾げる。
この時点で僕は気付くべきだったのだ。その声の正体に。

近藤はももさんの怯えた様子を豪快な笑い声で一蹴し、違う違うと繰り返した。ももさんがさらに困ったような顔をしていた。近藤が勿体ぶって続ける。

「声と言ってもアレですよ中岡氏。本島と中岡氏が交わっている時の、あの声ですよ」
「なっ!?」

確かにこの住宅の壁は薄いが、隣の家まで筒抜けになっているということは、明らかに外にまで声が聞こえているということで、僕がそれを理解するのに然程時間はかからなかった。ももさんもそれは同じだったようで、僕の顔が青ざめるのと、彼女の顔が真っ赤になるのは、ほぼ同時だった。


いつの間にかすっかり空になった鍋を叩き、まるで活弁士のように近藤が楽しげに話す。

「毎晩毎晩お盛んなのは良いが、いくら初めての恋人だからとて、そんなに中岡氏に無理をさせたら、いつか愛想を尽かされるぞ、この性欲魔神め」
「せっ、性欲……!? こ、近藤っ!」

僕の頭の中は既に真っ白だった。何を考えれば良いのかすら分からず、妙に目が泳ぐばかりだ。ふと隣のももさんを見ると、彼女は何も言う事ができないのか、顔を真っ赤にして俯いていた。


「少し前までは女のおの字も知らなかったのに、いつの間にやらお主も隅におけなくなったな」
「お前、本当に素面なんだろうな!?」
「当たり前だ」

近藤は尚も楽しそうに僕とももさんをからかった。まったく人の家に鍋を喰いに来ているくせに、コイツは本当に遠慮とか恥じらいというものが欠落しているのではなかろうか。
僕はももさんのために何かを言い返さなければならないのに、ただ一言反論するだけで精一杯で、本当に自分が情けなくなる。


僕はもう一度ももさんへ視線を向けた。

ももさんは漸く顔を上げ、それでも嫌な顔などせずに近藤に笑顔を向けていた。やはり彼女は優しい。その赤く染まった彼女の頬を見ると、次第に僕も怒る事が馬鹿馬鹿しくなり、結局は近藤の話をただ曖昧に窘めるしかなかったのだった。





「ごちそうさん、中岡氏、本島。今日もこれから励むのか? ま、隣は吾輩しか居らぬし、裏の婆さんは耳が遠いし、おおいに励みたまえよ」
「ふふ、まったく、近藤さんたら」
「ば、馬鹿な事ばかり言ってないで、お前はちゃんと紙芝居を描けよ」

近藤は分かった分かったと生返事をし、隣の部屋へと戻って行った。




「あ、あの、今日は近藤がすみません、色々と……」
「いえ、近藤さんって、ざっくばらんで面白い方ですね」
「そ、そう、ですか?」
「はい」

不躾な幼馴染みの言動を謝罪し、どうにかももさんに許してもらわなければとすぐに謝ってはみたものの、彼女は全く怒っている様子などないようだった。
その表情に安心した僕は、盛大なため息と共にがくりと肩を落とす。隣から控えめな彼女の笑い声が聞こえた。





「片付けも終わりましたし、俊夫さん、今日はこれから、どうします?」
「えっ……?」

ももさんがいつの間にか僕の隣に座り、距離を詰めていた。さらに彼女の白い手が僕の膝の上に乗せられている。彼女の匂いが鼻を掠めた。

胸元から覗く白い肌が僕の思考を麻痺させていく。



「ももさん……!」

次の瞬間、僕は彼女を押し倒していた。



ああ、やはり彼女の前では理性など何の歯止めにもなりはしない。

無理矢理彼女に口付け、衣服の上から彼女の胸を弄る。

近藤のやつがまた聞き耳を立てていたとしても、僕は彼女を抱く事を止められるはずもなかった。



『おおいに励みたまえよ』

頭の中で近藤の声がリフレーンしていた。




 
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