「こんにちは」
「また、テメェか……」

武蔵小金井のとある小さな民家の入り口に取り付けられたブザーを押すと、わたしの予想通り、厳つい顔の男が顔を出した。現在大分機嫌の良いわたしとは正反対に、その男は大層機嫌が悪そうで、わたしの顔を見るなり厳つい顔をさらに凶悪にした。少々失礼だなとは思ったが、いつもの事なので慣れっこだった。

この男は見た目こそ凶悪だが、その正体は世の平和を守る正義の警察官だ。名を木場修太郎と言い、わたしの勤務先の神、榎木津さんの幼馴染みだ。榎木津さんはいつも彼の事を弁当箱みたいな顔だとか下駄みたいな顔だとか豆腐みたいな顔だとか揶揄するが、わたしはそれほどだとは思わない。
終始不機嫌なその表情とがたいの良さから、ヤクザ関係の者と誤解されがちだが、彼は確かにれっきとした警察官なのだ。

「馬鹿探偵の下僕参号が俺んとこにわざわざ何をしに来た?」

玄関の戸に手を掛け、面倒そうに木場さんが悪態を吐く。因みに、彼の言う下僕壱号と弐号は、わたしの先輩でもある益田さんと寅吉さんに違いない。
一呼吸置き、わたしはその手を玄関の戸から外し、図々しく玄関に上がり込むと笑顔のまま木場さんを見上げた。木場さんはわたしの強引な侵入に少しだけたじろいだが、すぐにそれを咳払いで誤魔化した。

「おい、それ以上入って来るんじゃねぇ! 不法侵入で逮捕するぞ!」
「まぁまぁ固いことは言いっこ無しじゃないですか」
「固いこととかそんな問題じゃねぇんだよ! そんな事より俺はテメェに、何しに来たのかって事を訊いてんだよ!」

わたしが部屋に入るのを頑なに拒む木場さんに、わたしは焦る事なくいつものように答える。

「もちろん、木場さんの散らかった部屋を片しに来たんです。ついでにご飯も作って来ました」
「なっ……んだと! 毎回言うがな、俺ァんなこと頼んでねぇんだよ! さっさと帰れ!」
「だめですよ。木場さんからは頼まれていなくても、ちゃんと青木さんから頼まれてるんですから」
「青木だと? あのボケまた余計な事を……」
「そんな訳なので、失礼しますね」
「あっ! コラ!」

わたしは軽く大義名分を述べると、青木さんへ怨恨の眼差しを向ける木場さんの横をするりとすり抜けた。待て、と言う木場さんの言葉も聞かず、わたしはそのまま二階へと一気に駆け上がった。


木場さんはその外見とは裏腹にずいぶん小まめな性格で、本来ならば部屋が散らかっている事などなかなか無い。しかし、ここ最近事件の捜査に忙しく、木場さんは部屋に帰っても寝るばかりで、おそらく掃除などする暇は無かったはずだから、ちょっと様子を見てきて欲しいと青木さんに頼まれたのがわたしだった。まぁ、青木さんに頼まれなくても、折を見てここへ訪ねてくるつもりだったから、その依頼は丁度良いタイミングだった訳だが。

意外にも小まめなはずの彼の部屋は、青木さんの予想通り相当酷いものになっていた。煙草の吸い殻は灰皿から溢れ落ち、汚れた衣類が床に散らばっている。一体いつから掃除していないのか、わたしには皆目見当もつかなかった。
その惨状に呆気にとられていると、漸くわたしに追い付いた木場さんがゴホンと大きな咳払いをした。見上げるとその無骨そうな顔を僅かに歪め、何だか妙に気恥ずかしそうに目を泳がせている。

「だから俺ァいいって言ったんだ。テメェ、俺の部屋が予想以上に汚くて絶句してんじゃねェか……」
「……」
「オイコラ、中岡!」
「はっ! 大丈夫大丈夫、すぐ綺麗にしますから!」
「あー、だからいいって言ってんだろ、そのうち俺がやるから放っとけ」
「放っておけません!」
「……チッ」

木場さんの舌打ちを許可の合図と見なし、わたしは早速床に散らばった衣類を籠に放り込んで行った。これは後で外で洗ってこなければいけない。確か庭の方に金だらいと洗濯板があったから、そこを借りれば良いだろう。
それから煙草の吸い殻をごみ袋へ捨て、床に落ちているごみも全て拾って行った。万年床の布団を窓辺に干し、それが終わったらいよいよ箒で床の塵や埃を掃く。さらにそれが終わったら仕上げに畳を乾拭きする。とても骨が折れる作業かとも思うが、木場さんの部屋はそれほど物がないので意外にも掃除の方は早く終わりそうだ。
わたしがその作業を着実にこなしている間中、木場さんは所在ない様子で部屋の入り口付近を頻りにウロウロしていた。横目で見る彼がとても可愛いと思ったが、それは口が裂けても声には出す事ができない極秘事項だ。





「その、悪かったな、下着まで洗わせちまって」
「いいんですよ、そんなこと」
「仕事、だからか? ハッ、玄人意識の強いこった」
「違いますよ。そもそもこれは仕事じゃありません」
「あぁ? ……どういうこった」
「確かに青木さんから木場さんの事は頼まれましたけど、青木さんから報酬等は一切受け取ってませんし、というか、これは毎回わたしの意思でやってるんです。わたしが木場さんのお世話をしたいから、通っているんです」
「……」

木場さんはわたしの作ってきたいなり寿司を口に銜えたまま、その小さな目を精一杯見開いている。それからとてもばつが悪そうに眉を顰め、半分以上残っていたいなり寿司を口の中へ無理矢理押し込んだ。

「ッ! ゴホッ、ガハッ!」

案の定その過剰な詰め込みにより、ご飯粒が逆流したようで、木場さんが苦しそうにむせた。

「大丈夫ですか!? お茶、飲んでください!」
「……」

わたしから湯呑みを引ったくり、木場さんがお茶を飲み干す。
彼は先ほどのわたしの告白に、酷く焦っているようだった。
榎木津さんが木場さんの事を、女に縁の無い豆腐頭だと言っていたが、わたしはそれを話半分にしか聞いていなかった。
しかし、もしかしたら、それは本当の事だったのかもしれない。

もう何度も木場さんの部屋に訪れているというのに、一向にわたしの気持ちを察してくれないのはそういう訳だったのかと今更ながら得心する。


「中岡……テメェ、自分の言ってる意味、分かってんのか?」
「分かってます」
「……」
「木場さんに回りくどい言い方をしても伝わりそうもないので、単刀直入に言います」
「……」
「わたしを貰ってください」
「……」
「……」

室内に沈黙が広がった。
あまりにも静かすぎて耳鳴りがした。



不意に口を開いたのは木場さんだった。

「ばっ」
「……?」
「馬ッ鹿野郎!!」

突然向こう三軒響き渡りそうな大声でそう叫ばれ、今度はわたしが驚いて目を見開き、固まってしまった。

「き、木場さん……」
「女がそういう事言うんじゃねェ!」
「……」
「そ、そういうのは、男の俺が、言うモンだ……」

木場さんはそれきり黙ってしまい、無言のまま卓上に並べられた料理を食べきった。


結局はっきりとした返事は訊けなかったが、帰り際、木場さんはいつものような怒声とは違う声で、また来いよとわたしに向かって呟いた。
ゴールの見えなかったわたしの想いも、漸くゴールが見えたような気がした。





おわり
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