「じゃあな、しっかり働けよ、もも」
「ありがとうハリー。また明日ね!」

洋菓子店アナスタシアでバイトを始めてもう三ヶ月が過ぎようとしている。日常的に繰り返されるお客様とのコミュニケーションにも大分慣れ、バイトを応援に来てくれる同級生とも会話をする余裕すら出てきた。
今日もバンドの練習帰りだというハリーがアナスタシアを覗きに来てくれて、少し他愛のない会話をした後、彼はアナスタシアの特製シュークリームを買ってくれた。帰り際、自分が買ったそのシュークリームを、よく働いているご褒美だと言って私へ押し付けて帰った。
いつも照れ屋なハリーがこんな風に気を遣ってくれるなんて、思わず嬉しさで顔が綻んでしまった。



「中岡先輩。笑顔がだらしないですよ」
「えっ!?」

ふと我に返ると、ショーケースを挟んだ向こう側にショウ君が少しむくれた表情でこちらを睨んでいた。
ショウ君は一つ年下の私の後輩で、甘いものが好きなせいか良くここへケーキを食べに来てくれる。その縁もあり、ショウ君とは休日も良く一緒に遊んだりする。端的に言えば、彼は私と一番仲の良い男の子なのだ。


「ショウ君どうしたの? 紅茶のおかわり、いる?」
「……先輩のばか……」

いつもなら一言意地悪を言えばすぐに冗談めかしく笑ってくれるはずなのに、私がそれを受け流しても尚、ショウ君はその難しい表情を崩してはくれなかった。
来店時はとても嬉しそうに今日出たばかりの新作ケーキを注文してくれたはずなのに、いつの間にかショウ君の機嫌が悪くなっている。

「もしかして、今日の新作ケーキ、おいしくなかった?」

未だ不機嫌そうな彼に首を傾げそう尋ねる。何とか機嫌を直してもらいたいと頑張るが、そんな気持ちとは裏腹に、ショウ君はさらに眉を顰め、口をへの字に曲げて私を睨んだ。

「ショウ君……?」
「……中岡先輩、今、針谷先輩とずいぶん楽しそうに話してたよね」
「え?」

思わぬショウ君の台詞に、私は一瞬思考までもが停止してしまった。ショウ君の顔をもう一度窺うように見つめる。ショウ君は私と目が合うと反射的に目を逸らし、頬を紅潮させた。

これはもしかすると、ヤキモチというやつだろうか。



「ショウ君、もしかして、ヤキモチ?」
「――っ!」

もしかしたらそうなのかもしれないと思い、私がはっきりとショウ君にそう尋ねると、彼は更に頬を上気させ、一目散に店を飛び出して行ってしまった。


今までショウ君が座っていた座席を見ると、その座卓の上には一口分残された新作ケーキがポツンと置かれている。ショウ君がケーキを放置するなんて余程の事だったのだろう。私はからかい半分でショウ君を笑ってしまった事をひどく悔やんだ。





バイトが終わり、街灯に照らされた道を急ぎ足で進む。アナスタシアのケーキがたくさん詰め込まれた箱をしっかりと持ち、いつもとは違う道を歩く。見える景色がとても新鮮で、不思議な気持ちになった。

ショウ君は会ってくれるだろうか。先程私がからかった事を許してくれるだろうか。とにかく彼と会ったら謝るしかない。

ショウ君の家へは彼自身から何度か招待され、お邪魔した事がある。ショウ君はそんな事ないと言ってはいたが、ずいぶん大きな家だったように記憶している。

「……ええと、この角を曲がってすぐだったわよね」

道端に設置された街灯に目をやりながら、柔らかなカーブを描くように角を曲がる。すぐに見える大きな家へ視線を移そうとした瞬間、ずいぶんと見覚えのある柔らかな髪の毛が目に入った。
街灯が当たっていなくともはっきりと見える桃色の髪の毛。ショウ君だ。


「ショウ君!」
「せ、先輩……?」

お互いに驚いた表情で数秒間見つめ合う。
しばらくそうしていると、ショウ君がゆっくりと歩を踏み出し、こちらへ近付いて来た。その手には近所のコンビニのものらしき袋が下げられており、おそらくそのコンビニからの帰りだと思われる。

「こ、こんな時間に何してるんだよ、こんな所で!」

私の目の前で立ち止まったショウ君が、困っているのか怒っているのか分からない表情でそう捲し立てる。ショウ君は夜目にもしっかりと分かる程頬を真っ赤にしていた。

「な、なんで、こんな所に……っ! 僕の、家の前で……なんで……」

ショウ君は言いたい事がまとまらないようで、支離滅裂な事を口走るばかりだった。
彼本人もすぐにそれに気付き、私の目を見ながら黙り込む。可愛い、と言ったら更に彼の機嫌を損ねてしまいそうなので、その感想は心の中にしまっておいた。



「ショウ君、さっきはごめんね」
「……な、何が?」

ショウ君は精一杯先程の事を気にしていないように振る舞っていた。それがさらに可愛く思え、自然と顔が綻んで行く。
私は僅かに微笑んだまま、ショウ君の左手に触れた。

「ハリーの事なら心配しなくても大丈夫だよ」
「なっ……! 僕は別に針谷先輩の事なんか、心配してないよ!」
「うん。だってハリーははるひに会いに来ただけだもん」
「そうだよ! ……え?」

先程までむきになっていた表情を一変させ、驚いた彼は頻りに目を瞬たたかせる。私はショウ君の手を片手でしっかりと捕まえるように握った。

「ハリーとはるひは先月から付き合い出したの」
「針谷先輩と西本先輩が。そう、だったんだ……」

ショウ君が縋るように私の手を握る。

「……ごめん、中岡先輩。僕、誤解した上に、またコドモみたいな事して……」
「そんな事ないよ。すぐに誤解を解かなかった私が悪いの」
「違う! 先輩は悪くないったら! 僕が悪いんだ!」

ショウ君は真っ赤な顔をしながら口を尖らせ、私の言葉を遮った。
ショウ君がここまで頑なになったら、もうそれを覆す事などできない。

私はショウ君の手を強く握り返し、今までの思いを溢れさせるように笑った。



「ん……なに笑ってるのさ、中岡先輩……」

不満げにそれを見下ろすショウ君は、私と出会った頃よりずいぶん背が伸びたと思う。

「はいはい、じゃあ全部ショウ君が悪いって事でいいのね?」
「えっ!? なっ、まぁ、そうだけど……そうじゃないよ!」
「ふふ、冗談だよショウ君」
「……先輩のばかっ!」

恥ずかしそうに俯くショウ君に、私は左手に抱えていたケーキの箱を押し付ける。夜風に紛れ、甘い香りが鼻を掠めた。

「先輩……これ」
「ショウ君にプレゼント! ……って言っても、残り物で悪いんだけど」

ショウ君はしばらくそれをじっくり眺めていたが、意を決したように頷き、手中に収めた。


「……た、食べ物に釣られて機嫌を直す訳じゃないんだからね!」
「うんうん、分かってる」
「ほんとに分かってるの!?」

ショウ君が赤い顔を隠すように背中を向けるから、私は更に彼をからかいたくなる。

「じゃあ、キスしてあげるから機嫌直して?」
「なっ……なにそれ! 僕と先輩はそういう関係じゃ……」
「あはは、冗談だってば」

くるりと振り向いて反論する彼に一言冗談だと言うと、ショウ君はまた困ったように眉を顰めた。そして彼の顔を見て、ごめんねと言おうとしたその時だった。


「――っ!」


ショウ君は私の手を強く引き寄せ、衝撃的なキスをした。

鼻と鼻がぶつかり、痛さに紛れて唇が触れる。

私たちはすぐに離れ、お互いに鼻をおさえた。


「しょ、ショウ君!? い、今の……」
「先輩が言ったんでしょ! キスしてあげるって!」

目の前でフイッと視線を逸らし、虚勢を張るショウ君が可愛い。

「……し、仕方ないから、これで許してあげる!」

くるりと背中を向けたまま、家に入って行くショウ君へ、私は後ろから精一杯声をかけた。

「ショウ君、大好きだよ!」
「っ! 姉ちゃんにからかわれるから、そういうことは静かな声で言ってよ!」

大慌てでショウ君が戻って来て私の口を塞いだ。

そういうことを言うなとは言わず、静かな声で言ってと言う所がショウ君らしい。


「もう……。僕も、中岡先輩が大好き、だよ」

戻って来たショウ君は、今度は照れた顔を隠しもせず、そう言って笑った。

なんだか今、幸せな雰囲気が私たちを包んでいるような気がする。
私たちはどちらともなくお互いにゆっくりと顔を近付け、今度は柔らかなキスをした。




おわり
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