「もものおかげです」
「へ?」
「初めて知りました。……私にも憎悪という感情がある事を」

いつもクールで顔色ひとつ変えないポーカーフェイス、一ノ瀬トキヤがまるで不動明王様の如く憤怒の表情へと変わっていく。

「ああごめんなさいごめんなさい! ごめんねトキヤ!」

もう今さらどう謝っても遅いだろうが、彼の豹変ぶりに、わたしはどうしても謝らずには居れなかったのだ。




今から数分前、わたしは三日ぶりに登校してきたトキヤへ相変わらずの挨拶をした。
今から思えば、これが全ての元凶だったのかもしれない。


「トキヤ、おーはやっほー! 久しぶりだね!」
「……おはようございます、もも。相変わらず朝から馬鹿みたいなテンションですね、羨ましい」
「トキヤは相変わらず不健康そうな表情だね。だからほら、トキヤも一緒に元気になれる挨拶をしよう? せーの、おーはやっほー!」
「……」

トキヤがわたしになど目もくれず、鞄から取り出した手帳に何かを書きこんでいる。相変わらずノリの悪いイケメンだなと心の中で毒づき、わたしはさらに彼に笑顔で近付いた。

「トキヤ、トキヤも言ってよ、おはやっほー」
「もも、うるさいのでどこか他へ行ってくれませんか。そうですね、できれば国外へ出ていただけると助かるのですが」
「はい、おはやっほー!」
「……いい加減にしてください。いくら温厚な私でも怒りますよ」
「トキヤが一回おはやっほーって言ってくれたらやめるから」
「……」

できる事なら、この時のわたしに、もう止めろと注意してやりたい。この時やめてさえおけば、最悪の事態は免れたはずだったのだと思う。
既に不動明王様にまでパワーアップしたトキヤを目の前にして、わたしは改めてそう思った。



「な、なんでそんなに怒ってるの? おはやっほーなんてただの挨拶じゃない!」
「もも、今ので1092回目のおはやっほーです」

トキヤが先ほどまで何かを書きこんでいた手帳を捲りながらそう呟く。もしかしたらその手帳はスケジュール帳などではなく、別の目的のためのものだったのだろうか。

「……もしかしてトキヤ、その手帳にいちいちわたしが"おはやっほー"って言った回数を書きこんでたの? ……暗っ」
「黙りなさい」

わたしは本当に口が軽い。また言わなくて良い事を言ってしまった。後悔先にたたずというやつだ。
目の前のトキヤは更に眉間の皺を深く刻み、いつもより一層低い声でわたしを制した。

「今から私は君に仕返しをします。覚悟するように」
「え?」

仕返しの予告だなんて聞いた事がない。確かにトキヤは少々ズレた所があるが、言った事は必ず実行へ移す男だ。これは厄介な事になった。わたしは彼の動向を警戒しながら、少しずつ後退った。
だが、それももう遅い。先ほどまで何か考え事をしていたトキヤは、ようやく何か思い付いたようで、すぐにこちらへ近付いて来る。

「そういえば君は今、ダイエット中だと言っていましたよね?」
「え? あ、うん……」

トキヤが楽しそうに目を細める。笑っているのに笑っていないその表情は、わたしを震え上がらせるのにじゅうぶんなものだった。

「でしたら、これからは私がもものダイエットをサポートして差し上げます」
「ええっ!?」

トキヤが毎日カロリー計算をしながら食事を取っている事は知っていたし、彼にサポートしてもらえたら体重だってすぐに減りそうだが、それが仕返しになるのだろうか。思わず訝しげにトキヤを見つめると、彼はとても意地悪く片方の口の端を上げて笑った。

「ただし、私のサポートは厳しいですよ?」
「う……」
「ちなみにももに拒否権というものは存在しませんので、あしからず」
「えっ!」

問い返す間もなくトキヤがわたしの机の上のお菓子を取り上げる。

「あ! それ、さっき開けたばかりの……」
「君は馬鹿ですか? ダイエット中に間食なんて、もってのほかです」

そしてトキヤは取り上げたわたしのお菓子を、自分の席で雑誌を読んでいた翔に無理矢理押し付けた。背が伸びますよ、だなんて詐欺師のような文句で押し付けたそれを、翔が期待の目で見つめている。心の中で翔に食べられるであろうお菓子にさよならを言い、わたしはガックリと肩を落とした。

「何をそんなに落ち込んでいるのです? まさかあのお菓子に未練でもあるのですか? ももは本気でブタになりたいようですね。作曲家を諦めて養豚場にでも就職するつもりですか? まったく、呆れますね」
「う……ちょっとトキヤ、きたよ、わたしの心にグサッときた……」

あまりの言葉に胸を押さえながらトキヤへ抗議するが、それはあっさり無視される。以前から薄々とは感じていたが、もしやトキヤは俗に言うドSというやつなのかもしれない。

「君はもう少し自制心というものを持った方がいいですね。このままでは君は将来、誰にも貰ってもらえませんよ」
「……ガーン」


「……そういう効果音を実際口で言ってしまう人を私は初めて見ました……。馬鹿ですね」
「驚くとこ、そこなの? トキヤの馬鹿! オニ! 童貞!」
「…………」

またやってしまった。やばいと思った時には既に遅かった。

「君の度重なる軽口のおかげで、私にも殺意というものが芽生えるという事を今日初めて知りました。ありがとうございます」

この時のトキヤの笑顔は他に言い様がない程怖かった。笑顔で人が殺せるかもしれないと本気で思った。




それでも翌日になれば、トキヤの怒りも少しは治まっているかもしれない。

と思ったわたしが馬鹿だったのかもしれない。

翌日の昼休み、わたしが翔と一緒に学食で昼食を取ろうとしていた時の事だった。
割り箸を割り、翔と揃っていただきますと手を合わせた瞬間、頭上から今はあまり聞きたくない彼の声が聞こえた。

「もも、なぜ君は普通にカツ丼など食べようとしているのですか」
「ト、トキヤ!」

振り向くと、やはりそこには一ノ瀬トキヤの姿があった。いつものポーカーフェイスで自分の持っていたベジタブルサンドとわたしのカツ丼を手際よくすり替える。見ていて不自然な所が無さすぎて、一瞬わたしは何がどうなっているのか、理解すらできなかった。


「あ、あれ? わたしのカツ丼がいつの間にかベジタブルサンドに……」
「君の昼食はこれです。共食いはいけません」
「なっ! と、ともぐっ……」

あまりにもこれはひどい暴言だと文句を言いそうになったが、これまでの経験から察するに、口答えなどしたところでこの先ろくな事になりそうもない。わたしは喉元まで出かかった文句をなんとかそのまま飲み込み、不自然な笑顔を作った。
その様子を見ていたトキヤが少し楽しそうに、賢くなりましたね、と言ってわたしの頭を気安く撫でた。

「私はももが本当のメスブタにならないよう、親切で言ってあげているのですよ」
「う……」
「本当に嫁の貰い手がなくなる前に、何とかした方が良いですから」

まさかトキヤのやつ、まだ"おはやっほー"の事を根にもっているのだろうか。だとしたらわたしは、ずいぶん執念深い相手をからかってしまっていたのだなと改めて後悔の念に駆られた。

「まぁ、どうしても貰い手がなかったら……私が貰ってあげても良いですけど」
「え!」



「……などという展開はありませんので、これからもしっかりダイエットに励むように」
「えええーっ!!!」

思わせ振りな態度でわたしをからかうトキヤがどんどん憎らしくなり、わたしは反撃とばかりにトキヤの耳元で精一杯そう叫んだ。
トキヤが耳を押さえている隙に、わたしはその場を後にする。

「今に見てなさいよ! 痩せてトキヤを見返してやる!」

そして意気揚々と一足早く、午後の授業へと向かうのだった。






「なぁトキヤ、なんでそんなにももを苛めるんだよ」
「他意はありません。……ただ、私には好きな相手を苛めたくなるという性癖があるだけです」
「……それってつまり、ももが好き、って事だよな?」
「まぁ、そうなりますね」

その頃、トキヤが翔に相当な意地っ張りだなと呆れられていた事を、わたしは知らない。



おわり


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トキヤに罵られれば、ダイエットも挫折せずに済みそうな気もしないでもないですよね。

 
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