「そうなんですか。関口さんは小説を書いてらっしゃるのですか。ええと、改めてよろしくお願いします。中岡ももです」

そう言って私はぺこりと頭を下げる。私の目の前で終始不安げに目を泳がせていたその文士は、その言葉を聞いて少しばかり首を竦めるように頭を下げ、ただ一言関口です、と言った。おそらく彼は私に会釈をしていたのだと思われる。


私がこの文士と知り合ったのは、つい先程の事だった。
榎木津ビルヂングの一階に店を構えているテーラーで見習いをしている私は、昼食をとりに近所の蕎麦屋へ向かおうとしていた。店の事務所側の扉を開け、外へ出ようとしていた私の耳によく聞き慣れた声が届く。
声の主は三階で探偵事務所を開いている大家さんの助手で、益田龍一さんという青年だった。彼はいつも私が店の家賃を納めに行くと、ひどく快く応対してくれる。道端で会う事も多く、それなりに親交は深い方だと思う。
ロビーでばったり鉢合わせると、彼も丁度昼食をとりに行くところだったらしく、どうせならばという事で、私たちは連れ立って一緒に蕎麦屋へ行く事になったのだ。益田さんとそう話を進めていると、私は今さらながら、彼の後ろにもう一人男性が立っていたのに気付く。益田さんはその場で彼を関口さんだと軽く紹介してくれた。


関口さんの事を詳しく紹介してくれたのは、ビルの近くにある蕎麦屋に入ってからの事だった。
益田さんの話によると、関口さんは小説家で、少し対人恐怖症なのだそうだ。どうりでさっきから少し怯えたような表情をしている。もしや私が知らず知らずのうちに失礼な事でもしたのかと思ったが、どうやらそうではなかったようで、少し安心した。

「関口さん、こちらはうちのビルの一階で働いている中岡ももさんです。僕ァこの前ももさんに手作りケーキをごちそうになってですね……」

益田さんの私に対する褒め言葉はいつも過剰ぎみで、私自身聞くに耐えぬ程恥ずかしい。私はただ愛想笑いをするだけで精一杯だった。


「し、しかし、中岡さん、すみません……。僕なんかと昼食をご一緒しても、つまらないだけですよね」

もごもごと口を動かし、関口さんがそう言ってまたぺこりと頭を下げた。私はすぐに彼へ手を向け、頭を上げさせる。

「そ、そんな事ありません。そんなに謝らないでください、これでも私、楽しいんです」
「そ、そんなまさか……そんなはずないんです」
「そんなはずなくありません」
「ぼ、僕に気など遣わなくていいんです……」
「ほんとに気なんか遣ってませんから!」
「はいはい! 関口さん、あまりももさんを困らせないでくださいよ」

私と関口さんのやり取りを止めてくれたのは、私の隣に座っていた益田さんだった。彼は僅かに眉を顰め、私たちを交互に一瞥する。もしかしたら私と関口さんの今の会話で気を悪くしているのだろうか。

「す、すみません、益田さん。せっかく注文したものが冷めてしまいますよね。そろそろ食べましょうか」
「あ、いや、僕ァそういう事を言いたいのではなくですね、ももさんと関口さんの話が意外にも弾んでいる事に驚いて……というかですね、こう見えても関口さんには綺麗な奥さんが居る訳で……」
「ま、益田君、君は一体何を心配してるんだね?」

良く分からない言い訳を始めた益田さんを、関口さんが慌てて止める。その顔は先程よりもずいぶん紅潮しているようだった。
益田さんはしばらく関口さんを探るように見つめていたが、やがて意を決したように口を開いた。

「ならももさん、率直に聞きますが」
「え? わ、私ですか!?」
「はい。……聞いても、いいですか?」
「……はい」
「では……。あの、もしやももさんは、関口さんみたいな風采の上がらない鬱鬱とした人がお好みですか?」
「……」
「……」

私たちの間に妙な空気が流れた。
益田さんのその質問は、どうにも突拍子がなく、私は何か答えようにも答える事ができない。彼の思惑がどこにあるのか分からない。今の質問にはどんな意図があるのか。

「ま、益田くん……」

意外にもこの状況で口火を切ったのは関口さんで、益田さんへの不快の念をくぐもった表情のまま口にした。確かに彼の質問は関口さんを不快にさせてしまうような言い方をしていた。なんだか私まで申し訳ない気持ちになる。

「何を言ってるんだ君は。中岡さんを困らせているのは君の方じゃあないか」
「別に僕ァももさんを困らせてなんかいませんよ。……ただ、気になっただけです」
関口さんは同じじゃあないか、と呟き、目の前に置かれていたたぬき蕎麦を箸で掬った。

「だいたい……その風采の上がらない鬱鬱とした、というのはどういう意味だ」

そう反論すると、関口さんは眉を顰め、蕎麦を一気に啜った。しかし益田さんは関口さんのその文句を、ヘラヘラと笑って誤魔化す。



「で、どうなんです? ももさん」
「えっ……、な、なんで改まって、そんな事、聞くんですか……」
「それはまァ、察してくださいよ」

どうにか私はさっきの質問に答えずに済むのではないかと考えていたのだが、それは甘かったようだ。益田さんは有耶無耶にすることを許してはくれないようで、さらに私との距離を詰めてくる。困った事になった。
正直にいえば、私は初めて関口さんの存在を認識した時から、彼に惹かれていたような気がする。それは決して外見が良いからという訳ではない。益田さんの言うように、関口さんは特別目を引くような顔立ちでもなければ長身な訳でもない。それでも私は彼に惹かれた。今まで好きになった人からは感じられなかった何かが、関口さんにはあるのだと思う。

しかしこの思いは厄介だ。彼はれっきとした既婚者なのである。


「ええと、関口さんの事は、良い人だとは、思います……」
「……」

明らかに社交辞令のような言い回しだった。関口さんの表情が曇ったような気がした。
やはり言うべきではなかったか。悪い事をしてしまった。

「ほら、益田君があんまり妙な事を言うから、中岡さんに気を遣わせてしまったじゃないか。益田君は気を回し過ぎなのだ……」

関口さんがそう呟く。最後の方はあまり聞き取れなかったが、益田さんへの文句を愚痴っているようだった。益田さんはその様子を鋭い目付きで見据え、口を開く。

「なんだか関口さん、ちょっと残念そうに見えますな」

にやりと口角を上げ、意地悪そうに笑うと、関口さんはくぐもったような声で、うう、と唸った。



その後益田さんから次の日曜に映画を見に行かないかと誘われたが、私はそれを丁重に断った。
益田さんには悪い事をしてしまったが、実はまだ、私は関口さんに対して言ってしまったあの社交辞令のような言葉を気にしていたのだ。あの場ではああ言うしかなかったにせよ、本当に失礼な言い方をしてしまった。
確かテーラーの大家である榎木津さんは関口さんと仲が良いのだと、益田さんから聞いたような気がする。
それならば今度、榎木津さんに関口さんの事を少し聞いてみよう。そしてできるなら、直接関口さんへお詫びに行きたいと心の中で強く思った。




おわり
 
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