「ロキさん! 助けてください、っていうかいい加減にしてください!」
「あ、ももちー。バルドル連れてどーしたのォ? ニヒヒヒッ♪」
「……私は好きでバルドルさんを連れてる訳じゃありません!」

北欧神話の神様に割り当てられた寮の談話スペースで寛ぐロキを睨め付け、私は無遠慮に部屋の中へ足を踏み入れる。私の右手にはロキの見解通り、バルドルがしがみつくように体を寄せていた。
もちろんバルドルが私にくっついているのには理由がある。
その要因は間違いなくロキにある。と、私は思っている。

「ロキさん、こんな悪戯したの、ロキさんでしょう!? 私には分かってるん……」
「あ、待ってよももさん! そんなに早足で歩いたら、わたし、転んじゃ……わぶっ!!」
「え? っきゃあ!!」

一刻も早く至近距離でロキに文句を言ってやろうと早足になったのがいけなかったのだろう。普段からおっとりしているバルドルが右足に左足を絡め、器用に躓いてしまった。彼に右手を掴まれていた私ももちろんそれに巻き込まれる形で転んでしまう。思いがけず床に強く尻餅をつき、じんじんと痛みが広がっていった。


そもそも私がなぜこんな風にバルドルと運命共同体のような状態になっているのかといえば、それはおそらく目の前で小悪魔のように笑うこの神様、ロキの仕業に他ならなかった。

現在私とバルドルの指に嵌められているお揃いの指輪は、以前ロキが月人と私に嵌めようとした彼の悪戯道具だった。その時は未遂に終わったが、今回とうとうやられてしまった。

この指輪を嵌めてしまった二人は、お互いの想いが通じ合うまで自力で指輪を外す事もできないし物理的に一定以上の距離を取る事もできない。それを破れば直ちに裁きの雷が私たちを直撃する。一見綺麗なこの指輪は、その実とてつもなく迷惑極まりない悪戯道具だった。

今日は一日穏やかな天気が続き、放課後の帰宅部部室にも午後の心地よい陽射しが差し込んでいた。そんな心地よい室内で、偶々帰宅部に顔を出していたバルドルと私は無防備にもうとうとと眠ってしまっていたようだった。この指輪はおそらくその隙に嵌められたものと思われる。
ロキはバルドルに悪戯をするのが自分のアイデンティティーだと豪語しているが、それに私を巻き込むのはやめてほしい。



「う……いたた……」
「ウヒャヒャヒャ! なーにやってんのォ? ふたりとも☆」
「ロキさん! 笑ってないで私とバルドルさんの指輪を今すぐ外してください! こんな状態じゃトイレにだって行けな……んっ!? や、ちょっ!? バルドルさんどさくさに紛れて抱きついてこないでください!」
「ええー……、少しくらいいいじゃない。わたし、転ぶのは嫌だけど、ももさんと一緒に転ぶなら幸せだよ?」
「バ、バルドルさん………………その笑顔は反則です……」

床に転がったまま文句を吐き出す私に、いつの間にかバルドルが後ろから抱きついている。それも、これでもかというくらい輝かしい笑顔を浮かべながら。これではきつく離れろとも言えやしない。



私はこれまで何度かバルドルに彼自身のその想いを告げられた事がある。
しかし、人間の私には神様である彼の想いには応える事ができない。そのため、その都度私はやんわりとその想いを断っていたのだが、バルドルはそれで諦めるような神様ではなかった。それからも隙さえあれば彼は何度でも私に想いを告げてきた。
だからだろうか。彼はこんな状況でもそれはそれで楽しそうである。前向きにも程があるが、こうでなければおそらくロキの悪戯にいちいち付き合っていられないのだろうと思う。私はほんの少し彼を見直した。


「と、とりあえず立ちましょう、話はそれからです」

バルドルの手を離し立ち上がろうとするも、彼はなかなかその手を離してくれず、さらにじたばたする私にも構うことなく楽しげに鼻歌を歌い出した。

「バルドルさんっ、離して、くだ、さいっ!」
「ふんふふ〜ん。お肉とももさん〜どっちも大好き〜」
「う……離し、て!」

良く分からない妙な歌を機嫌良く口ずさむ彼は、その顔に似合わず力が強い。お腹の前に回された彼の手は布越しにもかかわらずその熱がじわじわと伝わってくるほど激しく私の体をまさぐる。それを感じるだけで恥ずかしくなり、私は何度も全力でバルドルの手を解こうとしたのだが、彼の手は全く動じる事はなかった。私だけが恥ずかしい思いをしているのかと思うとなんだかとても悔しい気持ちになる。



「ネェネェももちー」
「何ですかロキさん! 見てないで早く助けてください!」
「いや、助けはしないけどォ、…………ももちー、水玉のパンツ、見えてるよっ☆」
「えっ……? ああっ!!」
「ももさんのパンツ!? ロキ、写真撮っといて!」
「なっ!」

ロキの一言に慌ててスカートの裾を押さえ下着を隠す。すると途端に後ろからぶーぶーと光の神らしからぬ野次が聞こえた。

「ずるいよももさん! ロキにばかり下着を見せるなんて……ずるいよ!」
「ずるいって……。バルドルさん……、光の神様がそんなヤラシイこと言っていいんですか!」
「え? わたしがいやらしい事を言うのに、何か問題でもあるの?」
「……え」

きらきらと後光を差したまま、バルドルがそう言って首を傾げる。その表情があまりにも純真そのものだったので、私は思わず一瞬言葉を失ってしまった。



「あ、ええと、バ、バルドルさん……?」
「だってあなたは、わたしの光に唯一惹かれなかった女の子だもの……。わたしがあなたに惹かれるのも、全ては必然なんじゃないかな」
「……」

バルドルは私を抱きしめながら起き上がり、いつの間にかとても真面目な顔をしていた。
なぜだか彼を容易に罵倒してはいけない雰囲気になったような気がした。

「わたしがあなたを好きな事に変わりはないのだから、わたしがももさんに対してイヤラシイ事を考えていても、それは自然な流れだと思うんだ」
「あ、はぁ……」
「だから、わたしがももさんにいやらしい事を言っても、何の問題もないんだよ?」
「ん……あれ?」

おかしい。
いつの間にか私はバルドルの言い分が真っ当なものだと錯覚している。隣に立っていたロキも、バルドルのその発言に目をぱちぱちさせており、おそらくほぼ私と同じ考えを抱いているに違いなかった。

バルドルにはなぜだか良く分からないが妙な説得力があった。




「なんかさァ、……バルドルにそこまで想われてるって、ももちーすごくなーい?」
「え?」
「ってゆーかさァ、今さらこんなこと言いにくいんだけどォ、実はオレもももちーのコト、前々からちょーっと気になってたんだよねェ?」
「えっ……」
「な、なにそれ! そんなの聞いてないよ、わたし! ロキ、どういう事? それどういう事?」

ロキの爆弾発言にバルドルが身を乗り出す。
ロキの発言は十中八九嘘だろうが、おそらく彼はバルドルの慌てふためく様子を見るのが楽しくてからかっているのだろう。
ロキは慌てるバルドルに構うことなく私たちの手を自分の手で包み込み、ぶつぶつと何かを口にした後、そっと手を離した。



「あっ! わたしの指輪が……」

ふと気付くとバルドルの指からは指輪が消えており、なぜかそれがロキの指に移動していた。

「え。ちょっと……ロキさん、外すなら私のも一緒に外してくださいよ……」

ロキが改心して指輪を外したのかと思いきや、私の指には未だ呪いの指輪がそのまま嵌められている。その指輪をじっと眺めながら文句を言うと、今度はバルドルではなくロキが突然私に引っ付いてきた。

「えっへへ〜☆ バルドルにはさっきたっぷりイイ思いさせてあげたしィ、ももちー、今度はオレとくっつこー♪」
「なっ! ちょっと待っ」
「何言ってるのロキ! わたしにも指輪を嵌めてよ! わたしは指輪を外して欲しいなんて一言も言ってないし、これじゃあ堂々とももさんを襲えないじゃない!」
「い……いやいやバルドルさんはちょっと黙ってくださいね」

なぜか妙な流れでロキの腕の中にまんまと収まる私は力なく彼らに反駁するが、そんな私の主張がまともに彼らへ届くはずもない。いつの間にか私は彼らの間で長い間もみくちゃにされていた。



「ニヒヒヒヒヒ♪ ももちーってイイ匂いすんねェ?」
「え? や、ちょっとそんなに顔近付けないでくださ……」
「そんなの、わたしはロキより先に分かってたよ! ももさんのうなじから薫る石鹸の香り、すごくいいよねっ!」
「……」
「どれどれ、くんくん……ほんとだ石鹸のイイ匂いだ♪ じゃあ、ちょっとだけ、食べちゃおーっと☆ ぱくっ」
「ひぁあっ!」

ロキにうなじに歯を立てられ、それまで感じたことのない感覚に、思わず力が抜けていく。

「おっと、危ない危ない。だめじゃないロキ、ももさんが驚いているよ?」
「だってしょーがないジャン、ももちーがあんまり美味しそうな匂い纏ってンだもん☆」

膝から崩れ落ちた私はバルドルに抱き留められたが、すぐにもう一度しっかり体勢を立て直す。


だめだ。私は彼らの間に留まっていてはいけない。
バルドルは若干本気かもしれないが、ロキはこの状況を面白がっているだけなのだし、このままだと完全に私までおもちゃにされてしまうような気がする。もう遅いかもしれないが。
そうよくよく考えた私は更なる身の危険を察知し、思い切って二人の腕を全力で振りほどいた。

「あっ、ももちー、オレから離れたら雷落ちちゃうよ?」
「う……、も、もう雷が落ちようが何だろうが我慢しますからご心配なく!」

ロキの忠告を無視し、彼からさらに離れると、不意に遠雷が聞こえた。

「いけないよ、ももさんがそんな目にあうなんて、わたしは我慢できない!」

しかしやはり彼らはまだ食い下がってくる。ロキの場合は切り捨てるのは容易いが、バルドルの場合、それが全て厚意からくるものだから案外切り捨てづらかったりもする。
私はなるべく彼の心を傷付けないように言葉を選び、それに答えた。

「い、いいんです。私は丈夫ですし、多少の痛みくらい我慢できますから放っておいてください」

暫くの間があり、バルドルがやはり納得のいかぬ様子で私に一歩近付く。

「だめだよ、やっぱりそれはだめ! わたしはあなたが雷に打たれるのを見過ごす事などできないよ! ……ねぇももさん、考えたんだけど、あなたは四六時中わたしの側に居た方がいいと思うんだ」
「……え」
「だってほら、わたしは不死の力を持っているし、だからあなたがわたしに四六時中くっついていれば、雷もももさんを避けて行くはずだよ。それならあなたも安全でしょう?」
「……で、でも……」
「それがいいよ、ね?」
「ええと……」

「いやいやいやァ〜、バルドル、それは違うんじゃな〜い?」

ややバルドルに押されていた私を見兼ねたのか、ロキが挑戦的な笑みを浮かべながら嘴を挟む。
もうどうでもいいからここから逃げ出したくてたまらないというのに、ロキの乱入で更にややこしいことになりそうな気がした。

「ロキ、どういう事? どうして違うなんて言うの?」

バルドルが不満そうな顔でロキを見る。彼にしてはめずらしい表情だ。

「だってさァ〜、バルドルがももちーの側に四六時中一緒に居なくても、オレがももちーとずーーーっと一緒にいればすむ話ジャン☆ 今お揃いの指輪をしてるのはオレなんだしィ〜」
「それはわたしだって同じだよ。わたしとももさんが一緒にいれば、指輪なんて無くてもいかなる災厄からも彼女を守ってあげられるんだから」
「でもでもォ、ももちーはオレと居れば安全だしィ、何よりたのしーよォ?」
「わたしと居ても、ももさんは楽しいよ! ね!?」

「え……」

何が何やら分からない彼らの言い合いに、とりあえず私は深呼吸をし、冷静に今までの事を思い起こした。





この騒動のそもそもの要因はロキであり、バルドルは単にそれに便乗しただけだった。しかしバルドルは離れられないのを良いことに散々光の神らしからぬ行為を私に働いた。

しかし良く考えてみれば、やはり一番悪いのは言わずもがなである。


「……っていうかですね、この事態を上手く終息させるには、ロキさんが私の指輪を外してくれれば良いだけのような気がするのですが……」

「……」
「……」

本題が二転三転し、今の彼らはきっと何を言い争っているのかすらわからなくなっていたのだと思う。
私がそう返した後の彼らの顔は、数秒間茫然として固まっていた。



「あ〜、うん、それはそうなんだけどさァ……、でもそれだと全然面白くないジャン? だ、か、らァ〜、ももちーの指輪はまだ外さないよ〜ん☆」
「え……! な、なんでそうなるんですかー!」

ようやく我に返ったロキがまたおかしな難癖をつけて指輪は外さないと宣言すると、私の腕に自分の腕を絡め、その場でくるくると楽しそうに回った。
そしてロキのその素早い動きについていけないらしいバルドルが私たちの周りで必死に叫ぶ。

「ももさん、例えロキがライバルだとしても、わたしはあなたを譲るつもりはないからね!」
「ざーんねんでしたァ! バルドルには悪いけどォ、ももちーはオレのものだよっ☆」


この日私は、二人の神様に散々振り回されたのだった。
もちろん翌日彼らはトールによってがっちりと締め上げられる事になる。





1/1
←|→

≪short
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -