私が冥府でハデスと暮らし始めてもうどれくらい経っただろうか。まだ数年という気もするし、もう数十年という気もする。
暗く深い地の底では過ぎ行く歳月など全く関係が無く、ハデス自身もそれほど季節を気にしていないようなので、次第に私のそれに対する意識も無くなった。

冥府は全く何も無い穏やかな場所であり、死者の嘆きが始終響き渡る恐ろしい場所でもある。
しかし私は、ハデスと一緒ならばそれすらも気にならない。彼はいつでも私を一番に慮り、どんな時にも優しい言葉をくれる。私はそれだけで幸せだった。



しかしそんな平穏な日々に、突然異変が起きた。

私がハデスの子供を身籠ったのだ。

更にそれをどこから聞き付けたのか、驚いた事にアポロンとディオニュソスが先ほど祝いにと冥府を訪れてくれたのだ。

現在、冥府は今までにない賑わいを見せている。




「伯父さん、おめでとう、おめでとう妖精さん! この子は僕の従兄弟になるんだね、嬉しいよ、本当に嬉しい!」

アポロンが持ってきた包みをハデスに渡し、私のお腹を優しく撫でる。ハデスはアポロンが私のお腹に触れるのを一瞬気にしたようだったが、彼の太陽のような笑顔を見て、それも気にならなくなったようだった。

ハデスは何物にも無関心なようでいて、意外にも 心配性だったりヤキモチ妬きだったりする事がある。
いつだったか、私が冥府の入り口でその向こうを眺めていた時、突然現れたハデスに、そんな所で立ち竦んで、一体向こう側の世界の誰に想いを馳せているのかと執拗に問われた事があった。当時、ここに来たばかりだった私はこの地の全てが新鮮で、色々な場所を散策していただけだったのだが、ハデスは私が冥府の外の誰かを恋しがっていたのだと感じたらしい。普段はあんなに堂々とした冥府の王なのに、あの時の不安げな顔はまるで子供のようで、その時勝手に歩き回っていた私にも妙な罪悪感が芽生えた事を今でもはっきり覚えている。
その時の誤解はすぐに解けたものの、私はそんな些細な事ですぐに心配したり嫉妬するハデスを可愛く思うようになり、ますます彼を好きになった。


アポロンとディオニュソスが居るせいか、今日はいつもよりハデスは無口である。
しかし、その眼差しは決して彼らを迷惑がっているのではなく、どこか気恥ずかしがっているようにも思えた。




「しっかし、中岡さんと冥府で暮らすって聞いた時はびっくりしたけど、ハデスさんもちゃーんとやる事はやってるんだな、安心したよ」
「なっ……!」

久しぶりに再会した私たちの挨拶も一段落し、アポロンが持参してくれた大福に手を伸ばしかけていたその時、ディオニュソスが何気ない一言を発した。
あまりにもハッキリと言い放った彼の一言は、青白いハデスの顔色を赤く変えていく。

「そうだね、妖精さんが伯父さんの子供を身籠ったってことは、伯父さんはパパになるんだ……。そうだよね妖精さん? ようやく伯父さんがパパになるんだよね?」
「え、ええ、そう、ですね……」

アポロンの真っ直ぐ過ぎる言葉に、私は何だか急に面映ゆい気持ちになった。頭では親になる事を理解してはいたものの、いざ改めてそう言われると、どこか妙に気恥ずかしい。
隣を見ると、ハデスもまた同じような事を思っていたらしく、じっと私のお腹を見ながら何かを考え込んでいるようだった。



「でもさー、キミも思い切ったよね。ハデスさん追っかけて冥府に来ちゃった上に、ハデスさんと子供まで作っちゃうなんて」
「……」

なんとなく緊張の走った空気を受け流し、ディオニュソスがそう言って私に円卓の上の大福を寄越す。
私がそれを受け取ると、ハデスも無言で大福を頬張った。

おそらく今ディオニュソスが言った事を一番気にしているのはハデス自身だ。彼は優しいから口には出さないが、毎日私が寂しくないか、ずっと心配しているのだと思う。だからこそ私はしっかりとそれに答えなければと、そう思った。

「……私は幸せですよ。毎日ハデスさんが隣に居てくれますし、それにいつでも……私を愛してくれますから、本当に幸せなんです」
「……」

言い終えてからふと隣のハデスを見る。
すると彼の頬がぱんぱんに膨らんでいた。

彼は意外にも照れ屋でもあったりする。
おそらく私が今正直に言った事で照れたハデスは、円卓の上の大福をどんどん口の中に放り込んでしまったのだろう。こんな所はやはり可愛い。なんて言ったら怒られてしまうので言えないが。

「……それに、みなさんは知らないかもしれませんが、意外にハデスさんは情熱的なんですよ」
「えっ……ハデスさんが……?」
「伯父さんが情熱的!? それは本当かい? 本当なのかい、妖精さん!」

私が最後に呟いた何気ない一言に、アポロンとディオニュソスが食い付いた。私は本当に、ただ何気なく言っただけなのだが、それほどまでに驚く事だろうか。彼らのその反応に驚いた私とハデスが思わず顔を見合わせる。

「中岡さん、どういう事だよそれ。ハデスさんが情熱的って、そーゆーことする時とか、けっこう激しいの?」
「なになに? そーゆーことって、どういう事? どういう事を言ってるんだい、ディディ」
「ばか、お前少し黙ってろよ、今イイ所なんだから」

無垢な質問を投げかけるアポロンを制し、ディオニュソスがさらにこちらへ顔を近付ける。
ディオニュソスはこの手の話題が好きらしく、愛想笑いで場を濁そうとする私を逃してくれそうもない。私は隣に座るハデスに、ごめんなさいと目で謝罪した。


「あ、あの、それより……」
「ねぇ中岡さん、本当の所はどうなの!? ハデスさんってそんなに毎晩毎晩激しいの?」
「で、ですから」
「いいじゃんいいじゃん、教えてよ、ね?」
「ディオニュソス、お前酔っているのか? いい加減に……」

あまりにも答えにくい彼の質問にたじろいでいると、ハデスが隣からさりげなく援護してくれる。
しかし、さすがあのゼウスの息子だけあり、ディオニュソスの質問攻撃は止まらない。

「ねぇ、そこんとこどうなの、どう情熱的なのか教えてよ中岡さん!」
「う……うんうん、僕はまだ何だか良く分からないけど、どうなの、妖精さん!」
「え! ア、アポロンさんまで!?」

良く分かっていないらしいアポロンがディオニュソスと共に円卓から身を乗り出す。おそらく彼らは慌てる私とハデスを見て楽しんでいるのだろう。いや、楽しんでいるのはディオニュソスだけかもしれないが。
先ほどからしつこいくらいに私を質問攻めにする彼らの追及から逃れるように、私は自然とハデスの方へと身を寄せた。


「だってオレ、いつものハデスさんからは情熱的な姿とか全っ然想像できないから、教えてほしいんだよ、ハデスさんのそういう所!」
「そっか! うんうん、僕も! 伯父さんが情熱的だなんて初耳だよ、初耳だ! だから教えてよ、妖精さん! 僕にも伯父さんの情熱的な所を教えて!」

「ちょ、ちょっと待ってください、アポロンさんもディオニュソスさんも落ち着いてください」

「いいからいいから! もし口では言いにくいんなら、そこで情熱的なキッスとかしてくれちゃってもいいからさ〜!」
「えっ!? 伯父さんと妖精さんが情熱的なキキキキ、キッス!? キスするの? するの、妖精さん!?」
「し、しません!」

みるみるうちに盛り上がる彼らに、私はすぐに反論する。
しかし、私がいくらそんな事はしないと言っても、二人のキスコールは加速するばかりで一向に収まる気配はない。ハデスの言った通り、この二人は酔っているのではなかろうかとも思ったが、彼らの周りにはワイン瓶ひとつ落ちていなかった。という事は、明らかに彼らは素面である。素面でここまで盛り上がれる彼らに、私はある種の敬意を払いかけていた。

「キース! キース!」
「伯父さん、妖精さん、頑張れー!」

まるで小学生が囃し立てるようにキスコールが賑やかになっていく。すでに自分の力ではどうすることもできず、私はとなりで口の周りを大福粉だらけにしているハデスを仰ぎ見た。

「おっ、中岡さん、ついにキスする気になった!? やっちゃえハデスさーん!」
「伯父さん、頑張れー! 頑張れ伯父さん!」

「だ、だから……!」

あまりにも私の話を聞かな過ぎる彼らにどう反論すればあきらめてくれるかと考えを巡らせていると、不意に、肩へ回されていたハデスの手がさらに私を抱き寄せた。

「……ハデスさ……っん!」

私が彼に何かを問いかける間もなく、ハデスは突然私の唇を自分のそれで塞いだ。


辺りが異様に静まり返り、アポロンの声もディオニュソスの声も聞こえない。

「ん、……ふ、んっ」

目すら瞑る隙もなく、おかげで私の眼前に迫るハデスの大福粉が頬にまで達していた事に気付き、妙に可笑しくなってくる。

「ん……」

私が彼を追って冥府まで訪れた時と同じように、ハデスは何度も何度も食むように私に口付けた。リップノイズが聴覚を犯し、私は自然と彼の背中へ手を回す。

「もも……愛している……」
「ん……」

一瞬唇を離し、そう囁くとさらに私の唇に舌を這わせ、その舌が次第に私の舌に絡み付く。その瞬間、私は身体中の力が抜けていくのが分かった。








「ちょ、ちょっとちょっと、ハデスさん! 分かったから、もういいから! 見てるこっちが恥ずかしいわ!」
「っ!?」

私はどれくらい彼らの前でハデスとキスをしていたのだろうか。意識の飛んだ私を気付かせたのは、ディオニュソスのその声だった。
言い出しっぺの彼の顔がほんのり赤く染まっている。アポロンの方はといえば、口を開けたまま私たちの様子をただ茫然と眺めていた。

「ハ、ハデスさん!」

その様子に気付いた私は、すぐにハデスの胸を押しやり、体を後退させる。ハデスは私を見下ろしながら、髪の毛の隙間から見せるルビー色の瞳を細めながら柔らかく笑った。

「こいつらがうるさいから、黙らせたまでだ……」
「……も、もう…………」

ハデスのこういう大人の余裕というものに、私は特に弱い。
先ほどまで彼らにからかわれて赤くなったり、大福を頬に詰め込み過ぎたり、大福の粉を口の周りに付けていたりして、そんな余裕など全く見せていなかったのに、これは本当に反則だ。

「す……すごいよ、すごいよ伯父さん! 僕、こんなに情熱的な伯父さんを初めて見たよ!」

バン、と円卓を叩き、アポロンが興奮ぎみに表情を明るくし、私とハデスを交互に見る。ディオニュソスの方もアポロンと同じく、どこか呆れたふうでいながらも笑みを浮かべていた。


「安心したよ、安心した……。伯父さん、幸せ、なんだね……」
「……おめでとう、ハデスさん、中岡さん」

二人がとても嬉しそうに声をかける。
アポロンもディオニュソスも、からかいに来たようでいて、おそらくハデスの事が心配でたまらなかったのかもしれない。

三人の間に暫しの間、沈黙が流れる。

私には入り込めない空気がそこにはあった。

ちょっと寂しいとも思ったけれど、この雰囲気を壊してはいけないと思った。

できるだけ寂しいという感情を出さずに彼らを傍観する。

しかし、それを察知したハデスがすぐに私の腰へ手を添え、優しく抱き寄せた。私が感じていた不安にいち早く気付き、それをハデスなりに取り除こうとしてくれたのだろう。相変わらず優しくて、私は彼を日に日に好きになっている。







「妖精さん、伯父さんをよろしく、よろしくね!」

アポロンが私の両手を強く握り、そしてぶんぶん振り回す。私たちが冥府で一緒に暮らすという事が、彼にとっては余程嬉しかったに違いない。本当に朗らかで裏表のない良い甥だ。

「オレからも頼むよ、中岡さん」

そう言ってディオニュソスも私とアポロンの手の上に自分の手を乗せた。

「ハデスさんって大人に見えて、けっこうコドモみたいな所とか、あるからさ!」
「……コドモみたいで悪かったな」

ディオニュソスの手の上に、さらにハデスが自分の手を乗せ、下から挟み込む。

「幸せになってね、伯父さん……」

めずらしくそう端的に呟くアポロンの言葉をしみじみ感じ、私はしばらく彼らの温もりを手のひらに感じていた。

私は今日も幸せだ。











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