「そ、そうだ、それがいいかもしれないね! ……あ、あくまで、そっちの方が便利だって理由だけどさ!」

今日も座敷の中から鏡花さんの声が聞こえる。
ここ最近、私の座敷には良く鏡花さんが訪れていた。


私が明治時代に留まる事を決め数年が経ち、気が付けば私は半玉から芸者へと転身していた。

この時代で私を拾ってくれた音二郎さんは、現在自分の一座を本格的に稼働させ、全国を飛び回っている。東京に戻って来る時は必ずと言って良い程足を運んでくれるし、いつもたくさんのお土産を持ってきてくれる。相変わらずどこに居ても面倒見が良い。あの時、音二郎さんに強引に仕込まれた日本舞踊も化粧の仕方も、今となってはとても有り難い事だった。

一方鏡花さんはといえば、夜叉ヶ池を発表してからも変わらず執筆を続けており、唯一変わった事といえば、お座敷で良く私を指名してくれるようになった事くらいだろうか。
面と向かって鏡花さんに訊けば、彼は絶対に違うと言うに決まっているが、おそらくこの時代に留まる事を決めた私を彼なりに心配してくれているのだと思う。
鏡花さんは私が現代から明治にタイムスリップした事を知っている唯一の人である。



「お待たせいたしました」

部屋の外から声を掛け、丁寧に襖を開ける。襖を開けると、そこにはめずらしく上機嫌の鏡花さんが書生仲間と大いに盛り上がっていた。普段ならばこんなことなど有り得ないはずなのだが、それを改めて追及するのは得策ではない。余計な一言が口から出そうになったが、私はそれをぐっとこらえ、鏡花さんに笑顔を向けた。

「もも、遅いよっ!」

私が中に入ると鏡花さんの声が響き渡り、それと同時に書生仲間の方々は三々五々に自分の席へと散って行った。そして当たり前のように私と鏡花さんがその場に残される。

「ごめんなさい、前のお座敷がちょっと長引いちゃって……」
「……」
「ごめんなさい」
「……ま、まぁいいけどっ!」

前のお座敷で酔っ払ったお客さんに絡まれて大変だった事は鏡花さんには話さない。
以前絡まれた事を鏡花さんに話した事があったのだが、それを聞いた鏡花さんは顔を真っ赤にして、今からそいつに説教をしに行くと言って聞かなかったのだ。私を心配してくれての事か、はたまた社会的正義のためか、それは未だに分からないけれど、ほんの少し自惚れが許されるのなら、私は前者だと思いたい。だから、私のために鏡花さんがいざこざを起こすと思われる事は避けねばならないのだ。



「さ、どうぞ」

熱燗、ならぬ、泉燗を布巾で挟み込むように持ち、私は鏡花さんにお酒を注ぐ。鏡花さんはそれ以上私が遅れた事を咎める事もなく、満足そうにお猪口を傾けた。

「……ところでもも、僕たちがさっきまで話していた事に興味はないの?」
「え……?」
「だから、さっき僕たちが盛り上がってたの、ももも知ってるよね?」

鏡花さんが上機嫌のまま豆腐を口にして私へ視線を向ける。
これは聞いても良いと言う事だろうか。

「聞いても、良いんですか?」
「まぁ、ももがどうしても、って言うなら、教えてあげてもいいけど!」

「……教えてください」

いつもの鏡花さんの調子に素直に答えると、彼は更に上機嫌になり、得意気な表情でこちらを見下ろす。

「じゃあ教えてあげるよ。僕たちは今、事の利便性について話していたんだ」
「事の……利便性、ですか?」
「ああ。世の中には色々と無駄な事が多い。夜中、喉が渇くのが分かっていながら枕元に水差しも用意しない奴とか、銭湯で石鹸を使う事が分かっていながら、持って行くのを忘れて取りに戻る奴とか、本当に無駄だと思わない?」
「え、ええ、そう、ですね?」

鏡花さんの言う事は時折とても難解になる。カレガ何を言いたいのか、私には全く分からないのだ。
とりあえず彼に言われた部分のみを理解した私は、そう曖昧にうなづいた。


「でさ、それを念頭に置いて考えると、僕もこうやって毎日アンタを指名してお座敷に来させるなんて、ずいぶん無駄な事をしているんじゃないかと思ったんだ」
「……無駄、ですか」

確かに私たち芸者を呼んでのお座敷遊びなど、何の興味もない人から見れば無駄と思われるに違いない。しかし、それを鏡花さんが言うなんて、私はどうも釈然としない。
とは思うものの、それを顔に出すことはせず、私は鏡花さんの言葉を静かに待った。


「だってそうだろ? わざわざお座敷を開いて芸者を呼ぶなんて、時間と金の無駄以外にないじゃないか」
「……」

そうピシャリと言いはなった鏡花さんの一言が、私の胸を抉るように傷付けて行く。
そもそも無駄だと思うのならば、そんな屁理屈を言
わずにお座敷を控えれば良いのにとも思うが、まさかお客様相手にそんな事など言えはしない。
そんな私の心中を察することなく、鏡花さんはさらに持論を続けた。そして。



「……そんな訳だから……分かるよね?」


「……はい?」
「はい? じゃないよ! だから、僕が毎日無駄にアンタを指名しなくて済む方法だよ」
「あ、ああ。ええと、それは、……お座敷を控えれば良いのでは?」
「違う!」

なぜか結論を急ぐ鏡花さんの声が私の声に重なり、案の定それを否定する。いつの間にか鏡花さんの眉間にはうっすらと皺が刻まれていた。

「なんで分かんないのさ! 分かるだろ? 簡単じゃないか!」
「えっ!? ご、ごめんなさい! でも、私にはさっぱり……」
「はぁ!? アンタ馬鹿なの? そうなの? 少しは頭、使いなよね!」
「……」

辛辣な言葉を容赦なく私に浴びせ、鏡花さんがこちらへ近付く。
その顔はまるで駄々をこねた子供のようで、私はどうすれば良いのかが分からなくなってしまった。

「……ご、ごめんなさい、私、馬鹿だから……」
「だろうね! だって、誰がどう考えても僕がアンタを嫁にすれば万事解決するって答えが、アンタには全くわからなかったんだもんね!?」
「……」
「……」
「……え?」
「え? あっ!」

鏡花さんの顔色がみるみるうちに赤くなっていく。
今までの回りくどい言い回しは、全てこれに繋がっていたのだろうか。鏡花さんの言い分は全く本当に回りくどい。


「鏡花さん、もしかして今の……プロポーズ」
「違う! い、いや、違わないけど……違う!」
「え……ええー……」

一体どちらが本当の気持ちなのか、今の私ならばなんとなく分かる気もするが、それは敢えて口にしない。

「う……もういい! 別に……ももを僕一人のものにしたいだとか、僕がももを好きで仕方ないとか、そんな事、全然思ってないんだからなっ!」

お酒には強いはずの鏡花さんの顔が、すでに真っ赤になっている。
鏡花さんの隣でそれを笑うと、彼はとてもバツが悪そうに顔をしかめ、一気に酒を煽った。



「アンタもさ、そろそろ芸者なんかやめて、大人しく僕のところに来なよ……」
「鏡花さん……」
「なんで僕がこんなバイ菌だらけの所にほとんど毎晩足を運んで、更にアンタを指名し続けてると思ってるんだ」

ブツブツと文句を言いながら、鏡花さんはさりげなく私との距離を詰めてくる。あの潔癖症の鏡花さんが私に近付いても嫌悪感を露にしないなんて、いつの間にこんなになつかれてしまったのだろう。
初めて会った時、まるで毛を逆立てて威嚇する猫のようだと思ったのに、今では主人になつく家猫のようだ。


「ねえ、分かってるの?」

先ほどとは打って変わり、ほんのり語気を弱めて私の腕を掴む鏡花さんは、今度はまるで捨て猫のようだ。

「もう、いい加減、僕のものになってよ……」

そう言って鏡花さんが私の肩にもたれ掛かる。
私はそのさらさらと揺れる髪の毛を優しく撫でる。

私の心はすでに決まっているというのに、鏡花さんは未だにそれを分かっていない。

なぜ私が他のお座敷を抜けてまで鏡花さんを優先するのか。

私の肩で眠る彼は、未だに全く気付いていない。





1/1
←|→

≪short
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -