その日帰宅した私の目に映った光景を、私はなかなか信じる事ができなかった。


「ちょ、ちょっと藍ちゃん、どっ、ど、ど……どういう事なのこれ……!?」
「はぁ。うるさいな。見たら分かるでしょ? そろそろ衣替えの時期だし、ついでだからももの衣類を全部洗濯して納戸へ収納しようとしてたの」

確かに彼の言う通り、私ももうそろそろ衣替えをしなければと思ってはいたが、まさか藍ちゃんがそんな事をしてくれていたなんて思わなかった。メディアにあまり姿を見せないとはいっても、彼も超人気アイドルなのだし、レッスンやなんやらでそんな暇などないと思っていたし、むしろ藍ちゃんにそんな事をさせるなど、彼女としてはあってはならない事だと思っていた。

しかしそれはそれ。そうさせてしまった事は仕方ないとして、問題はベランダ側の窓辺に山と積まれた私と藍ちゃんの洗いかけの衣類の方だ。
洗濯が終わり、干すばかりなのだろうか。その尋常ではない量の衣類から察するに、おそらく藍ちゃんは本当に私のクローゼットや箪笥の中のもの全てを洗濯してしまったようだった。


私と藍ちゃんはこれまで紆余曲折あり、現在ルームシェアという名の同棲生活を送っている。
彼と暮らすようになってからもう二年も経つだろうか。その間藍ちゃんは家事すらまともにした事がなかったのに、突然なぜ衣替えなどしようと思ったのだろう。と言うより、彼は洗濯などできたのだろうか。嫌な予感が脳裏を過る。


「……ん?」

不意に私はその洗濯籠の中から目に付いた一枚のカーディガンを取り出した。それは黒とグレーのボーダーに一目惚れして買った私のお気に入りの一枚だった。

するすると籠の中から引き抜き、それを全て手にした瞬間、私はそこに付いているはずの右袖が見当たらず、思わず目を見開き絶句した。

「えっ……!? な、なんで!? 袖っ! 袖が無いっ!」

一体どうしたことか、私のお気に入りのカーディガンの右袖が一向に見当たらない。もしやカーディガンの袖がまだ中に残っているのではと動転し、私はすぐに洗濯籠をひっくり返す。
するとカーディガンの右袖どころかトレーナーの左袖やジーンズの裾、それに無惨にもスカートだったと思われる布が次々と中から発掘され、私はさらにその光景に絶句してしまった。




「あ、あああ、藍ちゃん! これどうしたの!?」

結局山積みにされていた洗濯物のほとんどが再起不能なまでにボロボロだった。私の衣類だけでなく、藍ちゃんの衣類も同様にボロボロだった事から、おそらく故意ではないと思われる。

先ほどから少し離れた場所で、まるで他人事のように傍観していた藍ちゃんを窓際まで無理矢理引っ張り、私は事の次第を問い質した。藍ちゃんの腕をしっかりと掴み、質問に答えるまで離さない覚悟を決めていた。

しばらく無言のまま私を見つめていた藍ちゃんが、仕方なさそうにようやくぽつぽつと言い訳を始めたのは、それからすぐの事だった。



「……だから言ったでしょ、洗濯しようとしてた、って」
「うん、それはとても有難いけど……」

「以前ショウに教わったんだ、洗濯物を干す時は、洗濯皺を伸ばしてから干した方がいい、って」
「うん……」
「だからボクも、ちゃんと洗濯皺を伸ばそうとしたんだけど……。でも、ボクが衣類をパンパン引っ張ると、なぜか全て一瞬のうちに裂けちゃうんだよ」
「……」
「……わざとじゃないからね」
「……」

わざとじゃない。それは彼なりの最大限の謝辞だったような気がした。

国民的人気アイドルの美風藍こと、藍ちゃんは、実は精巧に作られたソングロボ、つまりはアンドロイドだ。華奢な外見に反し、重いものをも軽々と持ち上げる事ができるその姿を目の当たりにすると、それがまざまざと実感できる。
そんな彼が衣類を力任せに引っ張るという事は、同時にその衣類の終わりを意味していた。

「もう……仕方ないなー……」

無惨にも残骸となった私と藍ちゃんの衣類を、私は力無く拾い集める。これは不慮の事故だ。私はそう思う事にした。

いつの間にか藍ちゃんも私の隣に屈み込み、衣類の残骸を袋へ詰め込んでいた。





それが半分程片付け終わった頃、ふと私は手にした一枚の布に目が留まった。

「あれ、これ……」
「どうしたの? もも」
「……」
「ああ、ももの下着だね。破けちゃったけど」
「え……ええーっ!? ちょっと待って藍ちゃん、藍ちゃん私の下着まで洗濯したの!?」
「え? うん。ついでだから箪笥の中のもの全部洗ってあげたんだよ」

藍ちゃんがキョトンとした表情でこちらを見つめている。それはまるで自分が善意でしてあげたのだと言わんばかりの顔で、それをこちらへ向けられると、やはり私はなかなかそれを責める事ができない。所謂確信犯というやつだろう。

「箪笥の中のもの全部って……ってことは私の下着も全部粉々なの?」
「そうだね」
「ええーっ……」

自分の下着が全て粉々になった事もショックだが、何より私の下着が藍ちゃんの手に触れたのだと思うとちょっと恥ずかしい。

「……下着なんかパンパン伸ばさなくてもいいのに……っていうか藍ちゃんが私の下着持って洗濯皺伸ばしてる姿とか想像すると恥ずかしいよ……」
「……」
「うー……、藍ちゃんに私の全てを見られた気分……」
「……」

私は藍ちゃんに下着までもを洗濯された恥ずかしさからか、気が付くとついブツブツと口から不満のような文句がこぼれていた。それは単なる照れ隠しで、他意は全くない。


「もう、うるさいな。だったらもも、洗濯とか衣替えとか面倒だし、今日から裸で生活しなよ」
「は、はい!?」

私の度重なる不満が気に障ったのか、藍ちゃんは下着を袋へ詰め込みながらそう言った。
彼の表情から察するに、おそらく本気の提案かと思われる。

「そ、そんなことできる訳ないでしょ!」
「どうして? 大丈夫だよ。ボク、ももの裸見ても興奮しないし、襲ったりしないから」
「うっ……。それは……分かるけど、でも、それってどうなの?」
「何が?」
「何がって、一応私って藍ちゃんの彼女でしょ? 裸見て興奮しないって……」
「……仕方ないでしょ、ボクはアンドロイドなんだから」
「……」
「……」

藍ちゃんが僅かに眉を下げ、寂しそうな視線をこちらへ寄越す。


藍ちゃんは自分がアンドロイドで、自分たちが普通の恋愛などできない事を常々気にしていたようだった。私は特にそんな事など気にしてはいないのに、藍ちゃんはどうにも考え過ぎる。だからこそ私は常日頃こういう事で彼に負担をかけぬよう注意を払っていたつもりだったが、やはり完全にそれをシャットアウトする事はできなかったようだ。

こんな事を言いたかった訳じゃないのに、思うように言葉が見つからない。



「う……えっと……。ごめんね、藍ちゃん」
「別に。気にしてないし」
「……」
「……」

藍ちゃんの無機質な声色とは裏腹に、彼の表情はどんよりと沈んでいる。やはりこの話題を出すべきではなかったのだと思わずには居れなかった。





「もも」
「え?」

引き裂かれた衣類が大方片付けられた頃、不意に藍ちゃんが私の名を口にした。
反射的にそちらを見ると、彼が射竦めるような視線をこちらへ向けている事に気付く。

「……藍ちゃん? どうしたの?」
「うん……やっぱりボク、傷付いたかも」
「……え?」

藍ちゃんの瞳が小さく揺れ、その瞳がどんどん私に近付いてくる。

「でも、ももがキスしてくれたら、許してあげてもいいかな……」
「あ、藍ちゃん……」

それは藍ちゃんなりの歩み寄りのようだった。
気まずい雰囲気を払拭するように、彼はそう言って笑ったのだった。



「ん……」
「……ん、ふっ」

お互いに引き寄せられた唇を押し付け合い、そして食む。藍ちゃんの唇は到底アンドロイドとは思えぬ程柔らかい。
ほんの少し上昇した私の体温が、唇から唇へ伝わって行くような気がした。



「……ん」
「っ、はぁ」

まるで引力のように引き合った唇をようやく離し、しばらく私たちはお互いを見つめ合う。

数秒後、私たちは揃って吹き出した。
まるでバカップルのような事の顛末に、私たちは笑わずには居れなかったのだった。



「あ。あのさ、もも。ひとつ言わせてもらうけど」
「ん?」
「もももたまにはもう少しセクシーな下着とか、着けたら?」
「……はい?」
「だって、こんなコドモっぽいパンツばっかりじゃ、いざそういう行為に及ぼうと思っても、雰囲気とか、出ないでしょ?」
「……よ、余計なお世話だよ!」

藍ちゃんは反駁する私を笑顔で制し、そのまま私の腰を引き寄せる。
その顔からはなかなか想像できないが、藍ちゃんは意外にも長身であり、力持ちである。私の抵抗など抵抗にもなりえはしなかった。

「ももの衣類をだめにしちゃったお詫びに、今度はボクからキスしてあげる」
「え……? んっ!」
「……ん」

藍ちゃんの細い指が私の顎を持ち上げる。顔を傾け、彼は再度私の唇に自分のそれを重ねた。



藍ちゃんは本人の努力と周囲の協力で、日々人間らしい感情を身に付けている。それは素人目の私から見ても一目瞭然で、私はそれが何よりとても嬉しい。

私たちの関係も、きっといつか変わって行く日が来るのだろう。
日進月歩、私たちのペースはそれでいい。





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