この数ヶ月の間に、私は一生分の驚きに出会ってしまったのかもしれない。


いつものように、召し家荘の損壊された壁を補修する。もうずいぶん手慣れてしまったものだと我ながら感心してしまった。

私が友人の麦畑茜の手伝いをするようになって、もう半年程になる。彼女は同じ学科の友人で、現在召し家荘の管理人兼大家のアルバイトをしており、私はそんな彼女を補佐するために時々こうして一緒に召し家荘へ足を運んでいた。私と彼女が在籍している経営学科では二人一組で行う研究課題があり、私たちはその課題をこなすために、放課後日々奔走していた。私が彼女のアルバイトを手伝っているのも、できるだけ課題のための時間を捻出するためである。
彼女が備品補充のために商店街へ買い物へ出ている間、私は召し家荘の掃除や補修をする。毎日知らぬ間に走っている壁のヒビは、おそらく203号室の暴力男、辛澤澪によるものであると推測される。
それを見て一通りため息を吐き出した私は、物置に常備されている補修用具を手に取り、そのヒビを手早く補修していった。

補修をしていると、不意に後ろを鳥山と海野さんが通り過ぎた。すれ違い様にお疲れさまと声をかけられ、それはいつもの光景そのものだった。
だが、いつものその光景はそれまでの事で、次の瞬間、私にも信じられない事が起こったのだった。

「……」
「……サトウさん?」

壁を補修する私の手に、不意にサトウさんが手を重ねた。いつの間に私の後ろへ現れたのか、そこには表情ひとつ変えぬサトウさんの姿があった。私の手は彼に握られたままである。

私はサトウさんがアンドロイドだという事を知っている。よって、彼には恋愛感情だとか食欲性欲睡眠欲が存在しない事も知っている。そんな彼が理由も無く私の手を握る事など有り得ない。
サトウさんが私の手を握る理由をしばらく考えてみたけれど、それでも私には明確な理由など何一つ思い当たらなかった。

意を決し、再度サトウさんにこの手の理由を訊ねてみる。常時人間の体温に調節されているという彼の手の温もりは、私のそれと重なり、さらに熱くなっていた。

「あ、あの、サトウさん。どうか、しました?」
「ももちゃん、君の小さな手は食べちゃいたくなるくらいかわいいね」
「……は?」
「壁の修補、お疲れさまです。そして、いつも召し家荘を可愛がってくれて、ありがとうございます」
「え? あ、の……? っきゃあ!」

サトウさんはサトウさんらしからぬ科白を吐き出すと、握った私の手を徐に持ち上げ、それを自分の唇へ押し当てた。
アンドロイドにも関わらず、手の甲に押し当てられた彼の唇はとても柔らかい。思わず手を引き戻そうとしたものの、私の力では力持ちのサトウさんには到底敵わず、ただ顔を熱くするしかなかったのだった。


「……どこか、おかしかったでしょうか?」
「……え?」
「私がももさんに、日頃の感謝と私の想いを伝えるにはどうしたら良いのかと考えていたところ、海野さんにこうすれば良いとアドバイスをいただいたのですが、どこか間違っていたでしょうか」
「あ……ああ、なるほど……?」

サトウさんの口から海野さんの名前が出た瞬間、私の中でバラバラだったパーツが一本に繋がった。
サトウさんは海野さんに妙な入れ知恵を施されたに違いない。もっと端的に言えば、サトウさんは海野さんにからかわれたのだ。


「海野さん! 鳥山も! サトウさんに変な事教えないでください!」

下へと続く階段から顔を出し、こちらを覗く二つの影に向かって私ははっきりそう言った。
私が気付いていた事に観念したのか、海野さんと鳥山が愛想笑いを浮かべながらこちらへ歩いてくる。
サトウさんは未だ私の手を離してはくれなかった。

「まぁまぁ怒らなくてもいいじゃん、ももちゃん。可愛い顔が台無しだよ〜?」
「そ、そうそう! 俺たちはサトウくんのためを思って相談に乗っただけなんだからさ〜……」

海野さんと鳥山がそれぞれ言い訳にならない言い訳を口にする。だが、既に私にはそれに突っ込む気力すら無かった。

「あ、あの、サトウさん、そろそろ手を離してください……」
「……」

何とかサトウさんに手を離してもらうためにやんわり抗議したものの、サトウさんは全く手を離そうとせず、それどころかなぜか海野さんの様子を窺い、何か指示を待っているようだった。
海野さんがサトウさんに小声で何かを囁いた。あやしい。果てしなくあやしい。


「ももさん、召し家荘と同じくらい、私の事も、大事にしてくれませんか」
「……へ?」
「私もあなたを大事にしますし、あなたが満足するよう、私は男として頑張りたいと思います」
「え? えっ……っわ!?」

サトウさんの抑揚の無い声が淡々とそう述べ、いつの間にか私の腰を引き寄せている。

「ヒュ〜! やるじゃんサトウく〜ん」
「うわぁ……さすがサトウくん……」

後ろから野次が聞こえるが、正直、私の心中はもうそれどころではない。

「サッ、サトウさん近い! 近いです! っていうか腰っ、腰の手、離してください!」

サトウさんの透き通るように白い肌が目の前に近付き、私は鼓動が速まるのを感じた。おそらくサトウさんには既に私の異変は感付かれているに違いない。機能、なのだから。

「ももさんの脈拍数が上昇していますね。それに呼応するように、私の脈拍数も上昇しています。……これが、恋というものなのでしょうか」
「えっ!? ……いやいやいや、サトウさんには脈拍とかないでしょ?」
「これが、恋、なのですね」
「ちょ……聞いてる!?」

サトウさんが私の突っ込みをスルーし、持論を展開していく。なぜ私がこんな風にサトウさんに迫られているのか、それは私自身にも良く分からない。というより、アンドロイドでもあるサトウさん自身に恋愛感情が湧く事自体、私には信じがたい事だった。


「それでは、私の気持ちを表現するために、あなたにキスをしても、良いでしょうか」
「は、はひいぃい!?」

あまりにもとんでもないサトウさんの思考になかなかついて行けず、私は思わず変な声を上げてしまった。
後ろから海野さんがヒューヒューと野次を飛ばす。サトウさんのこれらの言動は、明らかに海野さんの入れ知恵のような気がする。海野さんには後程絶対に制裁を加えねばと内心固く誓った。



「ももさんは、私が嫌い、ですか?」

鼻先がくっつく程の至近距離でサトウさんがそう囁く。いつもは無感情なはずの彼の表情がほんのりと寂しげに歪んだような気がした。こんな表情でそんなことを訊ねるなんて、彼は本当に卑怯だ。

「嫌い、なのですか?」
「き……嫌いなはず、ないじゃないですか……」

私が召し家荘の仕事を手伝っているのは、茜のためでもあるが、本当の事を言えば自分のためでもある。
ここに来ればサトウさんに会えるし、彼のためになると思うから、私はここの手伝いをしている。その想いは彼がアンドロイドだと分かった時に封印したはずだったが、だからといって私がサトウさんを想っている事に変わりはないし、これからも変わる事はない。サトウさんはアンドロイドだから、彼との恋愛など有り得ないのだろうと諦めていたのだが、まさかこんな展開になるとは夢にも思っていなかった。この急展開に、私は未だ頭が付いて行けてない。



「それでは……好き、ですか? 私の事を、ももさんは、好きですか?」
「え……っと」
「私は、ももさんが、好き、です」
「……」
「ももさんは……いかがですか?」
「……」

自分の気持ちを隠さず淡々と口にするサトウさんに、私は思わず声が詰まる。彼の気持ちに答えなければと思うのに、なかなか自分の気持ちを言葉にする事ができない。
しばらく声にする努力をしていたものの、どうにも考えが纏まらない私は、とうとう考える事を諦め、彼に明確な返事をする代わりにゆっくりと目を閉じた。



「……ももさん?」

「……サトウくんサトウくん! 女の子が目を瞑ったら、キス、オッケーのサインだよ! ぶちゅーっとやっちゃいなよ!」
「そうだよサトウくん! 今がチャーンス!」

海野さんがサトウさんに大声でアドバイスを送った。当人でもある私にまではっきりと聞こえるそのアドバイスは、私の顔をも熱くしてしまったのだった。

「わかりました。それでは、キス、させていただきます」

海野さんと鳥山への文句は後でたっぷり言うとして、私は速まる鼓動をなんとか抑え、サトウさんの腕の中でその瞬間を待った。



「……ん」
「っ……」
「……」
「……」

すぐに離されると思ったサトウさんの唇は一向に離れず、それどころか彼の唇は時間を追う毎に私のそれへさらに強く押し当てられる。
やはり彼の唇はアンドロイドらしからぬ柔らかさで、それが全く苦痛にもならない。


「サトウくんサトウくん! そのままベロチューしちゃいなよ〜! ももちゃんの唇を舌でこじあけて、ももちゃんの舌を舌で絡めてさ〜」
「ひえ〜っ! リッキー先輩、サトウくんにそこまでさせていいの!?」
「いーのいーの! だって面白いじゃん!」

先日朝帰りした海野さんの事を大豆さんに報告しておかなくては。

「……それでは、失礼します」
「……んっ、む!?」

なぜか海野さんを全面的に信用しているらしいサトウさんが、彼の指示通り私の唇を舌でこじ開け、無理矢理舌を侵入させてくる。
これは後ほどきっちり海野さんは要注意人物だという事をサトウさんに言い聞かさなければならないとは思ったが、知らぬ間に一気に進展した私たちの関係が嬉しくて、それもおそらくすぐに忘れてしまうだろう。

とりあえず私は、未だ手に持ったままだった補修用具を棚に置き、彼の背中へと手を回したのだった。






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