エプロンとケーキ




わたしたちの朝は、一日のスケジュール報告から始まる。

「今日の私のスケジュールですが、新曲のプロモーションの撮影で、帰りは夜になると思います」
「一ノ瀬さんの新曲、ハルの作曲だよね、楽しみだなー」
「七海の曲なら、俺も楽しみだな」
「そうですね、今回も良い仕上がりになっていると思います。楽しみにしていてください。それで、さくらのスケジュールはどうなっていますか?」
「わたしは今日から三日間オフだから、のんびり怠惰な日常を過ごす予定かな」
「そういう事を大声で宣言するとは……君は本当に馬鹿ですね」

一ノ瀬さんが口の端を上げて笑う。ちょっと意地悪な顔をしているが、それももう慣れっこだ。一緒に生活していくうちに分かった事だが、一ノ瀬さんが意地悪を言うのはわたしにだけなのだ。それはきっと一ノ瀬さんがわたしに心を許してくれているから、とでも思えば、さほど気にもならない。というかつまり、気にしない事にした。

「えっと、それで、真斗くんの今日のスケジュールは?」
「俺は午前中にドラマの打ち合わせがある。帰りはそれが終わり次第となるから、おそらく昼過ぎには戻れると思う」
「そうなんだ。めずらしく午後はゆっくりできるね」
「ああ」

真斗くんはそう言うと、わたしに愛想良く笑顔を向けてくれた。真斗くんに笑顔を向けられると、なんだか心が暖かくなる。気が付けばわたしは、真斗くんに釣られるようににっこりと笑っていた。



「まったく、だらしない顔ですね、さくら」

しかしそんな幸せ気分も、一ノ瀬さんの一言で掻き消える。

「そんな、ひどい!」
「ひどくありません。事実です。それよりさくら、君は今日から暇だと言っていましたね」
「え……? う、うん、暇って言えば暇だけど」
「それなら、これを買ってきてくれませんか。私が行ければいいんですが、なかなかそういう時間が無くて」
「そっか、一ノ瀬さん、もうトップアイドルだもんね。うん、お安いご用だよ、任せて!」

一ノ瀬さんがめずらしく笑顔でありがとうございますと言い、わたしにメモとお金を寄越した。一ノ瀬さんは毎日忙しく、本格的なオフなど、ここ一年まともに取った事がないらしい。そんな一ノ瀬さんに頼りにされるなんて、ちょっと嬉しい。

「ついでにさくら、君は料理が得意だと言っていましたね」
「ん、まぁ、普通の料理なら一通り作れるけど……」
「なるほど。では明日の夕食のリクエストをしても良いですか」
「えっ!? 一ノ瀬さんが夕食のリクエスト!? もちろんいいよ!」

一ノ瀬さんは自分の食べたいものなど今まで一切口にした事がない。そんな一ノ瀬さんの初めてのリクエストを、断れるはずがない。むしろ大歓迎だ。

「それでは、明日はカチャトーラとズッパイングレーゼをお願いします」
「え……? カチャ……ズッパ……? なに?」

今まで一度も耳にしたことのない妙な料理名に驚き、思わず慌てて聞き返す。そんなわたしを見た一ノ瀬さんは、くすりと満足げに笑い、席を立った。もしかしたらまたからかわれたのかもしれないが、悔しいので後で調べて作り上げよう。



「それでは私はもう出ます」
「ならば俺ももう行く。さくらも出かける時は戸締まりを忘れるなよ」
「うん。いってらっしゃい、二人とも!」



「そうだ、聖川さん。あなたは今日、昼過ぎには帰る予定なんですよね?」
「ああ」
「ひとつ言っておきますが、抜け駆けは許しませんよ」
「……善処する」

玄関で少しブツブツと会話していた二人をようやく見送ると、その後わたしは、一ノ瀬さんに頼まれたものと食材、ついでに切らしたシャンプーを買いに行くため、支度を始めた。
一ノ瀬さんに頼まれ事をするなんてなかなかない事だし、どんな用事だろうと外へ出かける事は楽しい。新しい洋服に着替え、お気に入りの靴を履いたわたしは、弾む心を抑えながら部屋のドアを開けた。


しかしこの時はまだ、まさかこんなことになるとは予想だにしていなかったのだ。




本当に困った事になってしまった。

「一ノ瀬さんの鬼……」

まさか一ノ瀬さんからの頼まれものがこんなにたくさんあるとは思いもしなかった。
わたしの両手には今、大量の買い物袋が下げられている。
一ノ瀬さんのメモには日常品を始め、男物の下着なども買ってきてほしいと書かれており、安請け合いをした身としては、しっかりと全部買わねばならなかった。男物の下着を買うのは少々恥ずかしかったが仕方ない。

「重い……」

他にも、親切な店員さんに教えてもらったカチャトーラとズッパイングレーゼの材料や食材を買い、さらに余計な特売品などを買い込んでしまった結果、わたしの両腕はすでに限界を越えていた。
それでもなんとか商店街を出て、ようやく寮が見え始めた時だった。わたしの隣を通り過ぎて行った一台のタクシーがすぐ先で止まり、その中から良く見慣れた顔が降りたかと思えばすぐにこちらへ走って来る。

「さくら!」

それは打ち合わせ帰りらしき真斗くんだった。
青色の切り揃えられた髪の毛が揺れ、とても綺麗だと思った。

「真斗くん」
「どうしたんだ、その大荷物は!」
「ええと……つい、買い込んじゃって?」

わたしの言い訳に真斗くんが呆れたようにくすりと笑う。そして何も言わずにわたしの手から、ほとんどの荷物を取り上げた。

「あ、ありがとう真斗くん……」
「いや、男として当然だ」

本当に一時は困った事になったと思ったけれど、わたしはまた真斗くんの優しさに助けられたのだった。





その後二人で夕食を取り、真斗くんに貰ったエプロンを着けて後片付けをした。
裁縫の得意な真斗くんは、わたしには不似合いなくらいフリルの付いた可愛らしいエプロンを作り、プレゼントしてくれた。いくら似合わないと自覚してるとはいえど、そんな彼の好意を無下にする訳にもいかず、さらにどうしても着けてみて欲しいと言う彼のリクエストから、ついにわたしは先ほどそのエプロンを着ける事になったのだった。
エプロンを着けたわたしを見た真斗くんが急に後ろからギュッと抱きついてきたが、恥ずかしいから離れてと言うとすぐにその身を離し、その後いつの間にか高そうな一眼レフカメラを持って来て、わたしを写真に収め始めた。

「ま、真斗くん、写真も恥ずかしいっていうか、片付けの邪魔なんだけど……」
「いいぞさくら……! かわいいぞ! そこでくるりと回ってスカートをだな、こうフワッと……」
「もう……」


「……聖川さん」
「えっ……?」

まるで変なカメラマンのような真斗くんに少し困りかけていた時、リビングのドアが開き、一ノ瀬さんが顔を出した。一ノ瀬さんの帰りはもう少し遅くなるかと思っていたので、わたしも真斗くんもその声に少々驚き、固まってしまっていた。そして一ノ瀬さんもまた、真斗くんの妙なテンションとわたしのエプロン姿を見て僅かに動揺していたようだった。この空気は非常に気まずい。



「……え、ええと」

コホンと咳払いをして一ノ瀬さんが気を取り直す。

「今日はありがとうございました。ちゃんと私の分まで買い物をしてきてくれたんですね。いい子です。これはそんな君におみやげですよ」
「え?」

そう言って嫌味無く笑う一ノ瀬さんの手には、駅前にある有名なケーキ店の箱が握られていた。

「これって、行列のできる、あのケーキ屋さんのケーキ!? 朝から並ばないと買えないっていう、あの!」
「ええ。今日はそのケーキ店の主人が差し入れを持って来てくれたので、少し頂いて来ました」
「わー! ありがとう一ノ瀬さん! いただきます!」

なかなか手に入らないというその有名店のケーキが食べられるという事があまりにも嬉しくて、わたしは勢い良くその手を伸ばす。しかし、その手は虚しくも空を切ったのだった。

「い、一ノ瀬さん?」
「……と思いましたが、もう八時ですね。これ以降に食べたらブタになります。明日にしましょう」
「そんな! っていうかわたしなら大丈夫です! それに賞味期限が……」
「それこそ大丈夫です。賞味期限が少しくらい過ぎても、君にはどうってことないですよね?」

やはり一ノ瀬さんは一ノ瀬さんだった。大好きなケーキを取り上げられ、わたしはとても落ち込んだ。

「……一ノ瀬さんの鬼ー」
「私が鬼? ……どの口が言いましたか?」
「えっ……あ」
「この口にはお仕置きが必要みたいですね」
「い、いや……んっ」

それは不意打ちだった。
信じられない事象が起こった。
一ノ瀬さんの唇が一瞬わたしのそれに触れ、そしてすぐに離れて行ったのだ。何が起きたのか分からずしばらくの間、目をぱちぱち瞬たかせる。

「どうしました? 素頓狂な顔をして」
「どう、って……」

「一ノ瀬っ! お前抜け駆けはするなと!」

しばらくその場の空気が止まったかと思えば、すぐに真斗くんがわたしたちの間に割り入った。一ノ瀬さんの突然の行為に真っ赤になるわたしと、なぜかそれに釣られて赤くなる真斗くんは、お互いの顔を見合わせてさらに顔を赤くした。一ノ瀬さんの顔色は普段と全く変わりない。

「聖川さんもずいぶんと楽しんだようですしね」

真斗くんからもらったエプロンを指さし、一ノ瀬さんがニッと口の端を上げる。真斗くんは口を尖らせ、渋々と反論の言葉を飲み込んだようだった。拗ねた真斗くんの表情がちょっと可愛かったのは内緒だ。

結局一ノ瀬さんのあの行為の意味は、問い質す事ができなかった。共同生活を始めてからというもの、一ノ瀬さんと真斗くんの事が少しずつ分かるようになり、それがとても楽しい。
一ノ瀬さんは言葉は辛辣でもその裏は正反対な気持ちを持っている。事もある。
真斗くんは生真面目だとばかり思っていたが、ちょっと変わった趣味があるようだ。
この共同生活が終わる頃には、わたしたちは少しは仲良くなっているだろうか。

わたしはこの日、初めてこの共同生活を提案してくれた社長に感謝した。




つづく

 

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