「キミ、大丈夫?」

その日いつものように三人で買い出しに来ていたわたしたちは、偶然スーパーマーケットの入り口で派手に転ぶ小さな男の子を目撃した。
そのあまりにも見事な転びっぷりに呆気にとられていたわたしたちは、しばらくその場で突っ伏したまま動かない彼が心配になり、我に返るとすぐに男の子のそばへと駆け寄った。
わたしたちに気付いた男の子はゆっくりと体を起こし、これくらい大丈夫だと必死に強がった。下唇を強く噛み、一生懸命に泣くのを我慢しているのが分かり、内心わたしはずいぶん我慢強い男の子だなぁと感心していた。
ポンポンと膝に付いた砂を払い、男の子の頭を優しく撫でると、彼は無理矢理笑顔を作り、わたしたちにありがとうと言って頭を下げた。

「ありがとうおねえちゃん」
「どういたしまして。泣くの我慢して、偉いね」

その男の子を笑顔で褒めると、彼は照れくさそうに歯を見せて笑った後、ガサゴソとポケットを探り、少し得意気にその手をわたしに差し出した。見るとその手のひらにはピンク色の可愛いセロファンが巻かれた飴玉が乗せられていた。

「おねえちゃん、今日はホワイトデーなんだよ! だから、はい!」
「え……、わたしにくれるの?」
「うん! ボクが大きくなったら、おねえちゃんをボクのお嫁さんにしてあげるね!」
「ふふっ、ありが…」
「寝言は寝てから言って欲しいものですね、このクソガ……いえ、この子供!」
「一ノ瀬にしては良い事を言うではないか。俺も同感だな。お前の歳で結婚など考えるのは些か早すぎるだろう、童」

可愛い男の子が可愛い思いでわたしにお礼を言ってくれたのだというのに、この二人はなぜこうもあっけなくその雰囲気を壊してしまうのだろうか。

そもそも今日だって、単なる買い出しなのだから、ここへ来るのはわたし一人でじゅうぶんだったのだ。それなのにトキヤも真斗くんも、わたしを一人で出歩かせるのは心配だとか危険だとか言うものだから、結局今日も仲良く三人でここへ来る事になったのだ。一体彼らはわたしをいくつだと思っているのだろうか。

そして更には今、子供相手に本気で張り合おうとするなど、つい数時間前までは考えもしなかった事だった。

「ふ、二人ともやめてよ!」

わたしがこれ以上の彼らによる暴走を食い止めようと必死にそう叫ぶも、彼らはわたしになど目もくれず、ただ目の前の男の子を半ば睨むようにじっと見据えていた。すでに目の前の男の子は半泣き状態である。

「君、泣けば許されると思ったら大間違いですよ。とにかくさくらは私の妻となる事がすでに決定していますので、さくらの事は早々に諦めてください」
「童、この女性は俺の許嫁だ。いくら童とて、さくらに手を出したら……斬るぞ」
「……」
「……」
「……」
「う……うわぁあああああんっ!!」
「あ! キミ!」

トキヤと真斗くんに本気で睨まれた男の子は、無惨にも一目散に来た道を戻って行ったのだった。





「あんな小さな男の子に本気で説教するなんて、信じられない!」

部屋に着くとわたしはすぐに彼らを怒鳴りつけた。あの可哀想な男の子のため、わたしはこうせずには居れなかったのだ。しかし。

「何を言う。子供のうちからしっかりとした躾をせねば、ロクな大人になれぬのだぞ」
「そうです。それに私たちは彼の魔の手からさくらを救ってあげたのですよ? そうぎゃあぎゃあと怒鳴る前に、さくらは私たちへ感謝の意を示すべきです」

ああ言えばこう言う状態で、案の定言い返されてしまった。おそらく二人は自分が悪いなどとは微塵も思っていない。所謂確信犯というやつだろう、恐ろしい。
わたしはこめかみを押さえ、盛大にため息を吐いた。

「……もう分かったから、トキヤも真斗くんもあっち行ってて」

そう言ってわたしは買ってきたばかりの五線譜を袋から取り出す。こんな状況でインスピレーションが湧くはずもないだろうが、わたしは何か別の事に集中せずには居れなかった。


「何を言っているのですか、さくら。本番はこれからですよ」

しかしわたしがいざ五線譜へペンを走らせようとした瞬間、すぐに両側から腕を掴まれ、自由を奪われる。

「ちょっ……本番って、なに?」
「何を惚けた事を言っている。今日は俺たちが先月お前から貰ったチョコの礼をする日ではないか」
「……あ、ホワイトデー?」
「ああ。先ほどの童に先を越されはしたが、今日は俺の気持ちをさくらに伝える絶好の日だからな」
「さ、私の愛も、存分に受け取ってくださいね」
「えっ……」

そう言うが早いか、二人はわたしの両隣に腰を下ろし、同時にわたしを強く抱きしめた。
真斗くんがいつも焚き染めている香の薫りとトキヤのシャンプーの香りが同時に鼻を掠める。両側から心地よい温もりが伝わってくると、わたしの頭はすでに何も考えられない状態になりつつあり、かなり動揺していた。心音がどんどん大きくなっていく。

「ちょ、ちょっと、トキヤも真斗くんも離れてよ!」

恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなり、わたしはとうとう二人の間でジタバタと体を動かした。しかしそんな事ぐらいで彼らがわたしの要望通り手を離してくれる訳がない。


「さくら、今日は私を君の好きなようにしてくれて良いのですよ」
「へ?」
「今日はホワイトデーです。君が命じれば、私は喜んでさくらをいやらしく苛めて差し上げます」
「お、俺も、さくらに足蹴にされるのなら、本望だ……」

耳元でそう囁く彼らに、わたしの身体中の熱が顔に集まって行くのを感じた。

「なななな、何考えてるのよ二人とも! っていうかそれ、誰が得するの!?」
「そうですね、とりあえず……」
「……?」
「私は得をしますね」

不意に首に違和感を感じた。すぐに違和感の原因を探るように自分の首元を見ると、そこにはトキヤが先日買ってきたというペット用の首輪がいつの間にかしっかりと取り付けられていた。その首輪にはご丁寧にリードまでもが繋がっており、当然のようにその先をトキヤが握っていた。

「ちょ、ちょっと! 今日はホワイトデーだよ!? 先月のお返しがコレって……いたっ」
「口答えは許しません」

リードを引かれ、首へ僅かに痛みが走る。トキヤは無理矢理わたしの顔を自分に引き寄せ、掠れた声でそう囁いた。完全にトキヤのサディスティックスイッチが入ってしまったようだった。


「ま、真斗くん、助けて!」

こうなると頼みの綱は真斗くんしか居らず、わたしは必死に彼へ訴えた。
しかし、わたしの懇願も真斗くんには届かなかったようで、彼はリードを引かれて悶えるわたしをただ微笑みながら見ているだけだった。

「真斗くん!?」
「一ノ瀬に可愛がってもらったら、次はさくらがその鬱憤を俺に向けて晴らすといい。俺はここでロープや鉄鞭を用意して待っている」
「まっ……まさ……」
「早くいらっしゃい、さくら。これから私が目一杯楽しませてあげますよ」
「たっ、楽しむのはトキヤだけでしょー!」

わたしの絶叫も虚しく、トキヤは手に巻き付けたリードを引っ張り、有無を言わさずわたしを部屋へと連れ込んで行くのだった。

わたしはこの日、来年のバレンタインデーなど絶対に無視してやるのだと心に誓った。




おわり

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