ripple




夢と現実の境というものは非常に曖昧で、眠りから醒めそうな今、わたしはそれが夢なのか現実なのか、理解すらしようとしていなかった。
目の前には真っ赤な髪の男の子が見える。しかし今のわたしにはそんな事などどうでも良かった。とにかくとても眠いのだ。わたしはうっすらと開けていた目を閉じ、再び意識を手放した。

が、次の瞬間、わたしは否応なしに現実に引き戻される。


「起きてよさくら!」

それは紛れもなく音也くんの声だった。
まだ目覚める事のない脳を無理矢理起こし、わたしはこのありえない状況を精一杯理解しようと頭を悩ませるのだった。



それもこれも全てトキヤが悪いのだ。わたしにプライバシーが無いのも、わたしが真斗くんやトキヤどころか音也くんにまで堂々と寝顔を見られるのは、共同生活初日にトキヤが行なった独断の部屋割りのせいなのだ。本当に恥ずかしい。いつの間にか覚醒したわたしの脳内は、音也くんに寝顔を見られてしまったという事実に羞恥心でいっぱいになっていた。


「それにしてもトキヤもマサもひどくない? さくらは女の子なんだし、どっちかさくらに部屋を譲ってあげなよ」
「お……音也くん……!」

思えばこの共同生活を始めてから、初めて常識的な言葉を聞いた気がする。わたしはあまりの感動から、音也くんを尊敬の眼差しで見つめた。トキヤが余計な事だと言わんばかりに音也くんを睨んでいたが、彼はそんな事など全く気にしてはいないようだった。

「私たちの部屋には私たちのルールがあります。音也は口出ししないでください」
「でもさー……」
「一十木、それについては俺も反省しているのだ。だからさくら、今からでも遅くない。俺と一緒に和室で生活しないか」
「ま、真斗くん、気持ちはありがたいけど、それはちょっと」

ややこしくなりそうな真斗くんを適当にあしらい、わたしは音也くんをも宥める。

「わたしなら平気だから、ありがとね音也くん」
「……ほんとにダイジョーブ?」
「う、うん」

小首を傾げ、本気で心配する音也くんに、わたしはいつものように無理矢理笑顔を作ってそれを返す。もうこんな事など慣れっこだ。例え音也くんがどんなにわたしを庇ってくれたとしても、トキヤがわたしに部屋を譲るなんて事は地球がひっくり返ったとしてもあり得ないのだから、これ以上議論するのは無駄なのだ。こんな事を無駄に悟ってしまっているわたしが、なんだかとても情けない。



「ところでどうした一十木、こんな早朝から俺たちの部屋へ来るとは、何か大事な用事があったのだろう?」

ようやく身支度を終えたわたしはソファベッドを直し、そこへ座った。
白い割烹着を着た真斗くんがわたしたちの朝食を手際よく用意する。イレギュラーでもある音也くんの分までしっかり用意する所など、真斗くんは本当に気の回る性格だと思う。

「うっわー! やっぱりマサの料理ってうまそう!」

次々とテーブルに運ばれてくる真斗くんの料理を見つめる音也くんの顔がとても可愛い。トキヤはそんな音也くんを一瞥すると、呆れたようにため息を吐いた。

「……仕方ありませんね。それでは音也の話は食事をしながらということで」
「だね! それじゃあいただきまーす!」

音也くんの掛け声と共に揃っていただきますと合掌した後、しばらくわたしたちは真斗くんの本格的な和食を堪能した。




「ところで音也、そろそろ用件を」
「え? あ! そうだった!」

全員が朝食を食べ終える頃、トキヤがそう切り出した。それに気付いた音也くんが持っていた箸を置き、いそいそとハーフパンツのポケットから携帯電話を取り出す。そしていくつか操作をした後、無言のまま出てきた画面をわたしたちに差し出した。
その画面は今世界中で流行しているSNSだった。世界中の人々の呟きがリアルタイムで投稿され、それを読んだり、それに対して返信できたりするソーシャルネットワーキングサービスだ。

「……なんですか、それは」
「トキヤ、これ知らないの……?」
「これはSNSの呟き画面だ」
「そう! マサが知ってるなら話は早いかな。問題はここ、見て!」

わたしたちは音也くんに促されるまま、その画面に視線を移す。

「……」
「……」
「……」
「……ねぇ、この写真」

わたしが指さしたその先には、ずいぶんと見覚えのある写真が掲載されていた。
少し離れた所からピントが合わせられ、帽子と眼鏡をかけたトキヤの顔がはっきりと写っている。そのすぐ後ろにはほんの少しボケてはいたが、わたしのものと思われる横顔までもが写り込んでいた。

『ST☆RISHのトキヤが今日カノジョらしき人と遊園地に来てた』

そう一文が添えられ、その呟きはどんどん拡散している模様だった。

「ね、ねぇ、これ、どうしよう……どうしたらいいの?」
「聖川さんが写っていないという事は、私とさくらが二人きりの時に撮られたようですね」
「ト、トキヤ、そういう事じゃなくて……」
「まさか私の完璧な変装を見破られるとは思いませんでした」
「トキヤ……だから……」

完全に動転しているわたしとは逆に、トキヤは全く動じた様子を見せなかった。相変わらずポーカーフェイスを崩さないところがトキヤらしいといえばトキヤらしいのだが。しかしそんなトキヤとは真逆に、世界中へこの写真が広まっていく恐怖に頭の中が混乱し、わたしは先ほどよりもさらに気が動転してしまう。

しばらくすると、向かい側に座っていたトキヤがひとつため息を吐き、いつもの皮肉めいた笑顔でわたしを見下ろし、まるでいつもと何ら変わらない様子で、馬鹿ですねと一言呟いた。

「……トキヤ」

なぜだか良く分からないが、トキヤのその憎まれ口と憎らしい表情を見ているうちに、少しずつわたしの心が落ち着いていくような、そんな気がした。



「こんなものなど無視すればいい。さくら、大丈夫だから安心しろ」
「真斗くん」

知らぬ間に真斗くんがわたしを後ろから抱きしめていた。真剣な表情で音也くんの携帯を睨み、懸命にわたしを励まそうとしてくれている。
わたしのせいでトキヤだけでなく真斗くんにまで迷惑をかけてしまったというのに、なぜトキヤも真斗くんもこんなにわたしに優しくしてくれるのだろう。そう思うと、わたしはひどくいたたまれない気持ちになり、ただ一言彼らに謝るのが精一杯だった。



「……トキヤ、真斗くん、これ、本当に何もしなくて大丈夫なのかな」
「ええ。この手合いは下手に反応すると、ある事ない事書き立てられますから、これは別人なのだと言い張った方が楽です」
「そうだな、俺も一ノ瀬の案に賛同する」
「だからそう不安な顔をしないでください。私は迷惑だとか、そんなことは思っていませんから」
「そうだぞ。元はと言えば遊園地へ誘ったのは俺たちだ。さくらはいわば被害者だ」
「で、でも!」
「とにかく、私も聖川さんもこんな事を気にしてはいません。さくらも気にしないように」

トキヤが話を纏め、表情も変えずに飄々とミネラルウォーターを飲んだ。真斗くんも普段とは変わらずいつものように食器の後片付けを始めてしまった。

わずかに不安は残ったものの、今は確かに彼らの言う通り、何事も無かったかのように、知らぬ存ぜぬを通すしかないのかもしれない。
しばらくそんな彼らを眺めていたわたしと音也くんは、その後混乱した頭をなんとか鎮め、お互いに表情を緩めて苦笑した。





「まぁ、私としては、これを機にさくらとの婚約を発表しても良いと思ってるんですけど」
「ん?」
「え……ええーっ!? さくらとトキヤっていつから付き合ってたの!? 超ショックー、俺、トキヤの親友なのに、全然気付かなかったー……」

その後四人で他愛のない話をしていた時、不意にトキヤが突拍子もなく妙な事を言い出した。わたしはいつものが始まったかと高を括ったが、それに慣れていない音也くんはずいぶん驚いたようで、ソファから前のめりに身を乗り出していた。

「……い、いやいや、音也くん、違うよ? わたしとトキヤは別に」
「そうだ一十木、それは誤解だ! さくらは一ノ瀬と付き合ってなどおらん!」

すぐにわたしがトキヤの勝手な妄言の誤解を解こうとすると、その前に、なぜか真斗くんが代わりに弁解をしてしまった。トキヤと真斗くんの間で見えない火花が散ったような気がした。クールな二人の睨み合いというのは、いつ見ても恐ろしい。

「くっ……、しかしなぜこやつは俺とさくらが一緒に居るところを撮ってくれなかったのだ!」
「ちょっ、真斗くん……?」
「さすれば今頃、俺はさくらと婚約発表をし、その後盛大に結婚式を挙げ、新婚旅行へ旅立ち、は、初めての夜をさくらと迎えていたはずだというに!」
「んなっ、マサもかよー!」

音也くんの呆れた声が室内に響く。声は呆れていても、音也くんはなぜかとても楽しそうだった。
どうやら彼の頭の中から先ほどの不安は吹き飛んでいたようだった。


「さくら、トキヤとマサに愛されてんね」
「え、ええっ!?」

音也くんがからかうような笑顔でそうわたしに囁く。他人から見ればわたしたちの関係はそう見えるのだろうか。
確かに仲は悪くないし、むしろ良い方だとは思うが、彼らの場合、どこまでが本気なのかいまいち推し量る事ができない。そんなわたしの曖昧な表情に気付いた音也くんは、ただ頑張れと激励し、その後部屋を後にした。



やわらかな日差しが窓から差し込む。

二人が仕事へ向かった後、一人になった部屋でわたしは新しく貰った仕事でもあるCM曲の構想に入った。

しかし一人になった途端、再び不安が胸中を支配してしまう。どんなに頭を切り替えようとしても、思い浮かぶのは先ほど音也くんに見せられた写真と呟き内容ばかりで、今日もわたしは作曲作業に集中する事ができなかった。


つづく

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