君は今
もうすぐ日が暮れる。リビングの南側の窓から外を眺めると、オレンジ色の大きな夕陽が地平線に沈もうとしていた。
今日は朝から何事もなく平和だった。
それというのも、今日はトキヤと真斗くんが朝から揃って不在だったためである。二人が同時に不在だというだけでこんなにも落ち着いた時間が過ぎて行く。そう思う時点で、わたしはもう相当疲れているのかもしれない。
しかし彼らとの生活が、すでにわたしの中で大きなものになりつつあるのは否めない事実だったりもする。
そういえば今日は二人がST☆RISHとして生放送の音楽番組、ソングステーションに出演すると言っていた。そろそろリハーサルも始まっている頃だろうか。彼らの頑張っている姿を頭の中に思い描くと、長い間行き詰まっていた曲作りにもようやく出口が見えそうで、わたしは一層頑張らねばと思った。
真新しい五線譜に、何度も頭の中で試行錯誤を重ねた音を書き写して行く。わたしの中の彼のイメージは未だに掴めきれてはいないが、何度か彼と話す機会を持つうちに、ぼんやりとその輪郭が見えてきたような、そんな気がしていた。
作業も終盤に差し掛かった頃、ソファの上で充電中の携帯電話が着信を告げた。真斗くんがわたしの携帯電話を弄りながら無理矢理設定したその曲は、その通り真斗くん専用のメール着信音だ。
わたしは握っていたペンをテーブルに置くと、ソファに座って携帯電話を手に取った。
●/● 18:08
from 真斗くん
sub これから
(35KB)0000_1807~01.jpg
俺たちは少し個人練習をして、リハーサルを始める。
お前は今頃なにをしているだろうか。それを考えると俺は練習にさえ身が入らなくなってしまいそうだ。---END---
これは一体どう返せばいいのだろうか。本当ならばそんな事など考えず練習に集中して欲しいと返信してやりたい所だが、本番前の神経過敏になっているであろう時刻に、そうはっきり返信するのも考えものだろう。
わたしが返信文句に頭を悩ませていると、そのメールに画像が添付されていた事に気付く。すぐにそれを開くと、そこには練習中であろう鏡越しの真斗くんの姿が映っていた。少し汗でキラキラしていて、なんだか妙に色っぽい。思わず数秒間その画像に見とれてしまい、顔が熱くなる。
その後わたしは憧憬にも似たその感情をひた隠し、応援しているとの旨を真斗くんへ返信した。
返信してすぐの事だった。またわたしの携帯電話が着信を告げる。今度は先ほどとは違う着信音だ。そういえば先日、真斗くんと一緒にトキヤも自分の曲をわたしの携帯電話の着信音に設定していたような気がする。
画面を見ると、やはり着信はトキヤからのものだった。
●/● 18:18
from トキヤ
sub (non title)
今からリハーサルです。
今夜の新曲、楽しみにしていてくださいね。
さくらもあまり無理をせず、作業の合間にちゃんと休憩を取るように。---END---
めずらしくトキヤが優しい文面のメールを送ってきたせいか、わたしは思わずそのメールの送り主をもう一度確認してしまった。それは確かにトキヤからのメールだった。
ちょうど作業に没頭していた時だったし、さらにトキヤからのメールのおかげで、わたしはずいぶん心が軽くなったような気がした。
だからわたしはきっと、油断していたのかもしれない。トキヤへの返信だというのに良く文面を考えもせず感情のままに返信してしまった事を、わたしは後に後悔する事になる。
●/● 18:25
from さくら
sub RE:
ありがとうトキヤ。トキヤの言う通り、わたし、今休憩してるよ。
リハーサル今からだってね。さっき真斗くんにも教えてもらった。
真斗くんが写真送ってくれたんだけど、頑張ってるみんなって、やっぱりかっこいいね!---END---
トキヤへ返信してすぐにまたわたしの携帯電話が鳴った。この着信音はトキヤだ。それにしても返信が早すぎる。
●/● 18:27
from トキヤ
sub RE:
(35KB)0000_1826~01.jpg
私だって頑張っています。---END---
トキヤのメールに添付されていた画像を開く。
「……何考えてるの、トキヤ……」
そこには、なぜか上半身何も身に付けず、半裸でカメラに目線を送るトキヤが写っていた。トキヤもまた真斗くんと一緒で、汗がライトに照らされてキラキラ反射している。
確かにトキヤは元が元だし、服の上からでも分かるほど体もガッチリしていて逞しいし、格好良いのは分かるが、だが何もリハーサル前の忙しい時にこんな写真を送ってこなくとも良いだろうに。
わたしは現場で真斗くんに張り合うトキヤを思い浮かべ、少し複雑な気持ちになった。
「あれ? 今度は真斗くん?」
●/● 18:30
from 真斗くん
sub (non title)
さくら、今一ノ瀬が一十木に頼んで半裸の写真を撮ってもらっていたようだが、よもやそれをさくらに送った訳ではあるまいな。---END---
「……あの写メ、音也くんに撮ってもらったんだ……」
わたしの胸の内に音也くんへの言い様のない罪悪感が湧いてくる。心の中で音也くんに何度も謝罪しつつ、わたしは真斗くんに一言そうだと返信した。
数分後、真斗くんからさらに返信が来る。
●/● 18:38
from 真斗くん
sub (non title)
(35KB)0000_1837~01.jpg
さくら、少し恥ずかしかったが、俺のも送っておく。もし使うのならば、一ノ瀬のではなく、俺のを使って欲しい。---END---
添付されている画像を開くと、そこにはトキヤ同様半裸の真斗くんが写っていた。、恥ずかしそうに目線をカメラから背け、頬を赤く染めている。恥ずかしいのならば、こんな画像送らなければ良いのにと思わずにはいられない。
「そもそも、"使う"って、一体何に使えばいいのよ……」
途端に真斗くんの脳内が心配になった。学生時代、あんなに真面目一辺倒だった真斗くんだというのに、これではずいぶんな変わり様である。
わたしはもうすぐリハーサルが始まる彼らへ、本番に向けて集中するよう返信した。
もうわたしから言えることは何もない。
「またか……」
先ほどから繰り返される着信音に少しうんざりしつつ、携帯電話を開く。
●/● 18:45
from トキヤ
sub (non title)
先ほどの私のメールを受け取りましたね?
それではさくらも私と同じ格好をして写真を撮り、メールに添付して送るように。
三分以内ですよ。---END---
メールはもう一通届いていた。
●/● 18:45
from 真斗くん
sub (non title)
よ、良かったら、お前の写真も、送ってくれないか?
お前の写真があれば、俺は今夜の本番も頑張れる気がするのだ。
できれば……俺と同じ格好で……。
あ、無理ならば、その上にエプロンを着けてもかまわない!---END---
わたしは二人の思考がこうもそっくりな事に驚き、携帯電話を持ったまま、しばらく絶句した。
「トキヤも真斗くんも本当に本番前なの? ってくらい余裕だな……」
既にわたしは彼らへ返信する事を諦め、ソファにだらりと四肢を投げる。
数分もすると、わたしが返信しなかった事を怪訝に思った彼らは、再度メールを寄越した。やはりあの二人は妙な所が似ている。
●/● 18:50
from トキヤ
sub 大至急このメールを開きなさい
もう三分経ちましたが、何をしているのです?
相変わらず君はノロマですね。早く送りなさい。---END---
●/● 18:50
from 真斗くん
sub (non title)
ええと、先ほどのメールは読んでくれただろうか……。---END---
わたしは二人のメールを確認すると、そっと携帯電話を閉じ、再び五線譜と向き合うのだった。
携帯電話のアラームが二十時を知らせる。
わたしは手元のリモコンでテレビの電源を入れ、チャンネルをソングステーションに合わせた。
登場曲に合わせ、ST☆RISHが登場すると、観客席から女の子たちの黄色い声がスタジオ内に大きく響いた。デビューから今現在に至るまで、彼らの人気は衰えを知らない。それもこれも、彼らが影で培ってきた人脈や信用、それになんといっても妥協しない真面目さがなした結果なのだろうと思う。
「みんなすごいなぁ……。確実に自分の道をしっかり固めてる」
それに比べてわたしは、事務所に所属できたは良いものの、出す曲のペースが極めて遅く、今まで作った曲は数える程しかない。同期のハルやテレビ越しの彼らの活躍を目の当たりにする度、その事実が尚更自身に突き刺さり、わたしはひどく陰鬱な気持ちになってしまう。1/2
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